以下で述べた裁判員制度に対する私の疑念を要約すると、次の3点になります。
(1)法律や過去の判例等を全く知らない素人の裁判員が加わった場合、それが「より正しい判断」になる可能性はきわめて低いこと。
(2)裁判員に選定されると拒否できないので、仕事や家事で忙しい中を不平不満や憤りの気持ちを持ったまま参加するケースが多くなり、被告人にとって厳粛で公正な裁判を受ける権利が侵害されること。
(3)裁判員は国民の中から無作為に選出されるため、心身に問題のある人(ノイローゼ等)や法律に全く無知な人から法律学者、法務関係の国家資格のある者まで、その格差があまりにも著しく、被告人にとっては「当たりはずれ」が顕著であって、平等な裁判を望む被告人の人権を侵害する恐れがあること。
以上の内容に加えて、更に裁判員の守秘義務の件についても述べておきます。
裁判員には「守秘義務」があって違反すると懲役刑を含む厳しい罰則があるわけですが、もともと守秘義務などとは無縁だった人間が「被告人のことについては絶対に黙っておれ」と言われても、何となく無理があるような気がします。例えば、裁判員をやった人が酒に酔った勢いで他人に裁判の内容を言いふらす、というようなことは十分あり得るのではないでしょうか。一般国民に対して法務関係者と同等の「守秘義務」を課する、ということ自体が不自然ではないかと思います。そして、そのことは被告人にとっては重大な人権侵害をもたらすものであると言わざるを得ません。
確かに国民が裁判に関心を持つべきである、という立法の趣旨には私も賛同できるのですが、本来それは徴兵制のように強要したりする性質のものではありません。要するに、裁判員制度というものは法律関係者が国民の意識や被告人の人権擁護の立場を無視して(自らの法律感覚を国民全体に強いる形で)造り上げていったものである、という性格がきわめて強いように私には思えてなりません。 |