福岡地裁は、小泉首相の靖国神社参拝について憲法違反であるという判断を下しました。但し、原告側の損害賠償請求は棄却しているので、形式上は原告の敗訴です。しかし、原告はお金を要求するのが目的ではなく首相の参拝の違憲性を確認することが主たる弁論の目的ですので、いわば「裁判に負けて弁論に勝った」という実質勝訴の形です。ですから、損害賠償請求ではなく「確認請求訴訟」の形式にしていたら、外形上も原告勝訴になったのかもしれません。詳しいことは私にはわかりません。
裁判では、靖国神社が「宗教法人」であること、小泉首相が政府の公用車を用いて参拝し「内閣総理大臣」という記帳をしたこと、首相が特定宗教法人に参拝することの国民に与える影響力、などが違憲判断のポイントになっていると思います。
首相とすれば、日本人が正月に神社に行ったり戦没者を慰霊したりするのは特定の宗教行為ではなく歴史的、文化的習慣であると言いたいのかもしれませんが、気になるのは弁論で小泉首相側が「靖国参拝を禁じるのは信教の自由を制限するもの」という趣旨の主張をしている点です。この主張だと、靖国参拝が信教に基づく宗教的行為であることを自ら認めてしまっていることにならないでしょうか。
もしも靖国参拝が宗教行為でなく文化的な慣習上の行為であると小泉首相が主張したいのであれば、靖国神社を宗教法人からはずす(例えば国立墓地にする)とか、あるいはそうしないのならば公用車を使わず私的行為に徹するとか、ともかく姿勢を首尾一貫すべきだと思います。
小泉さんの言いたいことは大筋でわかるのですが、どうも自身の理想とする国家イメージが先行しすぎて勇み足になっているような気がします。最近、君が代を歌う時に起立しなかったというだけで約200名の教員が処分されたりしましたが、問題は「起立するべきかどうか」という外面的な規制ではなく、日本がどういう国家を目指そうとしているのかという具体的なステップが示されていないことだと思います。 |