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20105

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江本武忠
(えもと・むちゅう)

(2005/01/25(Tue.) 12:14 〜 2004/10/25(Mon.) 10:41)

  国会ドタバタ劇 2005/01/25(Tue.) 12:14 

衆議院本会議の代表質問の場で、野党第一党である民主党が自ら質問をしている最中に本会議を退席する、戦後初めてという異例の騒動がありました。

これは、小泉首相が民主党の質問に対して答弁した内容について、民主党・岡田代表が「不十分だ」として再質問したところ、首相が「全部答えている」という無内容なものだったので岡田氏が憤慨して退席したものです。

国会中継をテレビで見ていた多くの人は、答えをはぐらかす小泉首相の態度に少なからず不快感を持ったのではないかと思います。首相の答弁に対して、岡田氏がより具体的な内容に踏み込んで再質問をしているのに、「全部答えています」という答えでは全く答えになっていませんし、そういう答えで終わるのならばわざわざ国会を開いて審議する意味がありません。それどころか、小泉首相の答えはまるで裁判の尋問で不利なことを突かれて答えられなくなった時の「被告」の逃げ口上のようにも見えてしまいます。

もちろん首相の答弁といっても大半は頭のいい官僚たちが準備するのでしょうから、突然に岡田氏から9つもの質問を突きつけられると、とっさに適当な答弁の準備が間に合わず答えに窮するということはあるのでしょう。しかし、それならばそれなりに答え方があるというものです。いみじくも岡田氏が「首相の答弁は官僚の言葉だ。政治家としての意見を聞きたい」と述べたのは非常に的を得たものだったと言えるでしょう。

そういうド真剣な表情の岡田氏に対して、余裕を見せるパフォーマンスなのか、せせら笑うかのような首相の表情には何となく器のなさを感じてしまいます。黙るべき時は黙る。笑うべき時は笑うのがいいでしょう。しかし、全国民の前で堂々と審議するべき時は、日本という国家を率いる首相として誠実に答えねばなりません。

ところが、かくのごとく首相の答弁が批判を受ける性質のものであったとしても、岡田氏と民主党議員らが突然「切れた」かのごとく本会議場を退席する行動に出たのは、小泉首相の不誠実な答弁に対する不快感をはるかにしのぐほどに不快なものでした。

代表質問の最中に、質問している野党側が国会の会議をボイコットするのは戦後初めてのことらしいですが、自分の質問に対する答えが気に入らないからといって会議を退席するなど、私には言語道断のことのように思われます。
岡田氏は首相の答弁について「議会制民主主義を揺るがすもの」と言われましたが、「俺様の質問に答えないなら俺は出ていく」という不遜な岡田氏の態度こそ、まさに議会制民主主義を崩壊させるものだと言わねばなりません。

議長を務めていた河野氏は基本的に再質問を何度も許可する姿勢でしたし、民主党の質問は岡田氏で終わるのではなく小宮山氏の質問もあるのですから、その時にでも質問の形式を変えて追及することもできるのです。
また、もしも首相が答弁に窮してしまって苦し紛れの態度を示さざるを得なかったのだとすれば、それも野党の一種の実績と評価されるわけですから、長い目でみて次の戦いにつなげることも可能だったでしょう。
ともかく、その場で相手が気に入った答えをしないから退席する、これでは国会になりません。しかも、国会の会議は国民の莫大な税金が投入されています。官僚が税金を無駄づかいしていることは周知の事実ですが、官僚だけでなく政治家たちも税金の無駄な使い方はやめてほしいものです。

また、おかしかったのは民主党が退席する時にまるで金魚のフンのように社民党の人々も一緒に出ていったことです。同じ「野党」だからでしょうか。しかし、党には党のまとまりや考えがあるはずです。大切な本会議をボイコットするというような重大な行動について党の決議もなく、その場で簡単に「民主党に右へ習え」ができる社民党の腰の軽い体質も全く不思議なものです。それとも社民党は民主党の体の一部だという感じなのでしょうか。
社民党は福島瑞穂という左翼弁護士(夫はオウム真理教を破防法から守った左翼弁護士)が党首になってから全くおかしな体質になりました。退席せずに会議を重視した共産党が妙に大人っぽく見えてしまい、思わず笑ってしまいました。

河野議長は首相に対して「誠実に答えるよう」求めましたが、国民に利益が及ぶ実質的な実りのある議事を残そうとする議長としては至極当然の警告のように思えました。しかし、その言葉を取って「議長の言う通り、今回の騒動の責任はすべて首相にある」と勝手に断じた岡田氏の発言には無理があるでしょう。

私は小泉首相の総理大臣としての資質には一定の評価をしています。しかしながら、先日どこかで中曽根元首相が「小泉さんは各論ばかりで勝負して総論が全くない」というような批判をしておられましたが、確かに小泉首相の中には世界に向かう明確な国家理念が見あたらず、今の内閣にしても郵政民営化を「踏み絵」にして組閣したレベルの各論内閣にすぎません。小泉首相や竹中大臣は「小さな政府」を目指すと主張するのですが、「小さな政府」が「各論を扱う政府」という意味であるとすれば、それは全く本末転倒というべきでしょう。



  アマチュアの時代 2005/01/20(Thu.) 14:59 

もうお正月の話題は過ぎたかもしれませんが、NHK教育テレビで毎年恒例の「新春お好み囲碁対局」という特番を大変楽しく拝見しました。
「ヒカルの碁」という少年漫画の影響によって、日本の低年齢層に急速にアマチュア囲碁が普及しましたが、今年の囲碁対局を見て、アマチュアの平均的な実力もずいぶん向上したものだと感心させられました。

今年の特番は、囲碁のプロ棋士とアマチュアが対戦するという企画でした。もちろんアマチュアにはハンデが付けられていて、例えばプロは一手を10秒以内で打つのに対してアマチュアは30秒であり、棋力が低いアマチュア(4、5級レベル)には最初から好きな場所に3箇所の「置石」を許すというものでした。また、アマチュアには3回の「作戦タイム」を取ることが許されていて、その時には指南役としてプロ棋士の趙治勲25世本因坊の指導を受けることができる、というルールでした。

どの対局も楽しかったのですが、私が非常に驚いたことは、アマチュア4段の女子学生が黒番(先に打つ側)でプロ4段棋士と対等に(置石を置かずに)闘い、アマチュアが勝ってしまったことです。
もちろん、秒読みのハンデや「作戦タイム」のハンデはあったのですが、黒番としてもプロの相手に対して3目のコミ(あらかじめ決めたハンデとしての得点)を与えるという非常に厳しい条件のもとで、みごとにプロ棋士に勝ったのです。このことは、これまでのプロ・アマ囲碁界の常識からしても全く驚きの事態だと言わねばなりません。

通常の囲碁対局で使う碁盤は「19路盤」というもので、盤上に19×19の線が引かれていますが、今回の対局は「9路盤」という小さな盤面のものですから、確かに先に打ったほう(黒番)が絶対的に有利であるということはあるのですが、それにしてもアマチュアの4段そこそこの女子学生がプロ棋士に対して堂々とコミ(ハンデ)を与えながら勝ったということの持つ意味は大きいと思いました。時代の変化を感じる一局だったといえます。

今は、アマチュアでもプロに堂々と勝つ可能性を秘めた時代なのかもしれません。おそらく、アマチュアは仕事ではなく純粋に「好きだから」という理由だけで没頭するところが利点なのでしょう。

分野は違いますが、根っからの野球好きで知られるタレントの萩本欽一さんが正式に社会人野球の監督になるということで、最近そのチーム(ゴールデンゴールズ)の入団テストがあったことが報じられました。
そこには16歳から40歳までの男女約80人が参加していましたが、女子野球日本代表で熊本商高硬式野球部におられた片岡安祐美内野手(18歳)も参加したことで注目されました。今後の活躍を期待したいものです。
プロの世界はプロなりに熟練された見事な技もあるのでしょう。しかし、プロであるがゆえにいろいろと運営上の難しい問題があります。そんな風潮の中で、「好きだから」「楽しいから」「仲間が増えるから」という、全く純粋な動機で広がるアマチュアの世界の中に、単なる勝負を超えた貴重なものを多く発見する時代が来たのではないでしょうか。



  「民衆法廷」と新聞社の体質 2005/01/16(Sun.) 18:32 

同じ思想を持つ者たちが民間で「法廷」を作り、そこで自分たちの都合のいい「判決」を出す、いわゆる「人民裁判」というものがあります。群集が寄り集まって特定の人に対して「あいつを処刑しろ!」と騒ぎ、それなりの力のある人が判定を下す、というような場合は明らかに「人民裁判」であるといえます。

ところで、第二次大戦中の旧日本軍の責任者をいかに処罰すべきかを問う「女性国際戦犯法廷」というものがありますが、これは「人民裁判」であると非難されるべきものかどうか私には判断する能力がありません。一般には通常の法廷と混同されないように「民衆法廷」と呼ばれているようです。

しかしながら、この「民衆法廷」では昭和天皇も被告人とされており、自分たちの自由で「裕仁被告人」などと勝手に呼ぶわけですから、「被告人」は既に亡くなられた方であるにせよ、特定人の名誉を著しく毀損する行為がなされる「法廷」であると言うべきかもしれません。
いや、むしろ亡くなった方は基本的に自分の意思で反論する機会(抗弁権)が与えられませんので、「死人に口無し」という側面を大いに利用した侮辱的法廷であるとも言えるでしょう。

また、「民衆法廷」では被告人を代理する弁護人が付いていないということですから、これはもう近代法の精神を全く無視した人権侵害裁判の見本のようなものであり、一体いつの時代の裁判かという疑いすら持ってしまうものです。
更に、昔の法制度や社会規範の状況を無視して戦後生じた西欧の価値観で人を裁くことは、いわゆる「罪刑法定主義」(後に出来た法律でそれ以前の罪を裁いてはいけないという原則)に全く反するもので、法の精神に著しく反しています。確かに従軍慰安婦などの問題は真剣に考えねばならないことですが、こういう偏向した「裁判」によって裁くようなことをすれば、かえって正しい判断が出来なくなるのではないでしょうか。


数年前にNHKがこの民衆法廷を取材して放映したということですが、のちに再放送する時に作者の意図に反する「編集」がなされたということで、この団体からNHKが(現実の裁判で)訴えられているようです。その結果は、番組制作会社に損害賠償の支払いが命じられましたがNHK自体の責任は求められませんでした。

最近問題になっているのは、その番組の「編集」に当たって当時の安倍官房長官と中川経済産業大臣が「政治介入」(圧力的指導)をしたということをNHKの長井暁チーフ・プロデューサーという人が涙ながらに告発する会見を行なったことです。
NHKのプロデューサーといえば、巨額の受信料を使って飲み食いしたことで有名になりましたが、この長井さんという方も実におかしな人です。単なる伝聞にすぎないようなことを平気で述べ立てて特定の個人を糾弾するわけですから、この人にまともな人権感覚があるとは到底思えません。こういう人がプロデュースする番組の品質そのものに問題はないのでしょうか。
また、何の根拠もなく誹謗中傷された安倍氏や中川氏はたまったものではありません。実際、お二人とも事実に反すると述べ、NHK自体も「そういうことはなかった」と述べています。

この背景には、おそらく何者かによる深い画策があるのでしょう。ここではこれ以上論を進めることを控えますが、朝日新聞がやっきになって安倍氏や中川氏を糾弾する記事を書いていることについては、非常にきな臭いものを感じます。「やっぱり朝日ね」という感じです。

日本の歴史は、新聞社が国民の思想を操作し誤導してきた側面が大きく、歴史事実も新聞社によってねじ曲げられてきました。新聞社は剣よりも強いと言われる「ペンの力」を強力な武力として特定の人間の人権をいとも簡単に踏みにじってきたし、平気で嘘を書き、また多くの犯罪を隠蔽してきました。
昨年、小学1年生の女の子が殺害された事件で、その犯人は毎日新聞販売局の従業員でしたが、警察に嘘をついて彼の居場所を隠したのも毎日新聞の従業員でした。これは、新聞社の体質をそのまま象徴するような出来事だと思います。

とんでもない思想を持つ人々は多く存在しますが、「ペンの力」によってあたかもそれが正当な主張であるかのように巧妙に仕立て上げる新聞社の体質が糾弾され、根本的な部分で改善されない限り、日本に明るい将来はないと言うべきでしょう。



  発明対価 2005/01/13(Thu.) 16:59 

カリフォルニア大学の中村修二教授(電子工学)が日本の会社(日亜化学工業)に勤務していた時に発明した「青色発光ダイオード(LED)」の発明代価について支払いを求めた裁判で、東京高裁において和解が成立しました。

この裁判は、2004年1月30日に東京地裁が600億円の発明対価を認定した上で、原告(中村教授)の請求額(200億円)全額の支払いを命じる判決を出したのに対して、被告(日亜化学工業)が東京高裁に控訴していたものです。

中村教授の発明によって、携帯電話の液晶画面のバックライトなどが半永久的でしかも極めて微弱な電力で表示が可能になるなど、実にさまざまな所で活用されており、その市場価値は何兆円になるか測り知れないとも言われています。

実際、日亜化学工業の収益のほとんどはこの発明に頼っており、もともと年間百数十億円の売上規模だったものが中村教授の発明によって年間1000億円以上の売上になっているのですから、少なくとも中村教授の貢献度を数百億円以上のレベルで認めなければいけないことは明らかでしょう。しかも、その経済効果は一過性のものではなく、当然今後も更に続くということをも考慮しなければなりません。

第一審(東京地裁)の三村量一裁判長は、日亜化学が特許によって得た利益を約1208億円と認定し、それに対する中村教授の貢献度を50%として約604億円を会社が支払うべき発明対価とした上で、原告の請求額(200億円)の全額を認めたわけですが、裁判所が認定した会社の利益はあくまでも当面の利益であって、実際にはそれ以上に会社は利益を受けたというべきです。
それにしても、この三村裁判長の判断は高く評価すべきものであると私は思います。日本は知的財産に対する感覚がにぶく、いくら「発明立国」などと叫んでもむなしい面がありますが、三村裁判長の考えはそれを払拭して、日本に新しい国際的感覚をもたらす画期的なものだったと思います。

それに対して、東京高裁の佐藤久夫裁判長の考えは全く間違ったものであると私は思います。裁判所は被告の経営に多大な影響を与えないよう配慮してきわめて少額の和解を強く勧告したと言われていますが、佐藤裁判長はこの発明が現実にもたらした価値について判断を大幅に誤っているばかりか、これによって会社の収益が飛躍的に今も増え続けているという現状についても全く認識していません。

また、被告の日亜側は発明についての「リスク」面を第一審では無視された、ということを主張しているようですが、そもそも「発明対価」という概念は、その発明がプラス面でもたらした経済的な効果ということですから、会社がその発明を使用するに当たってのリスクなどのマイナス的な概念は含まれていないのです。
つまり、この発明が相当の利益をもたらしたにもかかわらず正当な対価が与えられなかったという趣旨の裁判ですから、この裁判自体の争点の基盤に「リスク」に関する事実認定は含まれないと解釈すべきだと私は思います。

また、会社のリスク(倒産など)は当然そこに勤務する社員たちも同様に背負っているわけですから、この裁判に限ってリスク云々を主張するのは筋違いであり、そういう会社の主張には必死で争点をそらす姿勢が見られるように思います。

プロ野球界などでも、貢献度の高い選手には何億円という年棒を与えることで評価します(もちろんリスクを伴っています)。日亜化学工業は、自分の会社を急成長させてくれた恩人のような社員である中村教授に対して、当時支払った代価はたったの2万円でした。「2万円」です。今回も8億円そこそこで済ませようということですから、そういう会社の考えに安易に同調した佐藤裁判長の考えも時代錯誤だと思いますが、会社自体もまだまだ前近代的・封建的な企業概念から一歩も出ていないように私には思われました。

日本は国土や資源に乏しいですが、優秀な学者や発明家は多数存在するものです。そう考えると、知的財産によって立国するという精神も今後の日本においては非常に大切になるでしょう。そして、何兆円ともいうべき規模の産業復興に貢献した中村教授に対してはそれ相応の対価が認められてしかるべきでしょう。そういう意欲的な学者や発明家たちが日本の封建的体制を嫌ってどんどん国外に離れていかないよう、頭の固い裁判官や企業人たちもよく考えてもらいたいものだと思います。



  島田紳助さんの事件をめぐる評価について 2005/01/09(Sun.) 23:32 

吉本興業のタレント・島田紳助さんが今年になってテレビ番組に復帰されました。昨年の事件があって自粛していたものですが、私はこの事件についてきわめて不可解なものを感じます。

事件は、紳助さんが吉本興業の社内で言葉づかいの横柄な女性を見た所から始まります。その女性(40歳)は「タメぐち」を使って会社の取締役を呼び捨てにするなど横柄な態度だったので、吉本興業という会社の為に一筋で生きてきた紳助さんは思い余って注意をしようとした所、話しているうちにその女性がもう4〜5年も勤務している身内の社員であることがわかり、ついカッとなって手を出して叩いてしまったとのことでした。

私は関西で育ちましたし、吉本新喜劇もよく見ていました。そして、吉本という会社は社員同士が家族的な人間関係で結ばれていて、上司が部下の家庭の事情や人生相談などについて面倒をみることもめずらしくないことを知っていましたので、今回の事件のようにスキンシップが暴力に昂じたようなトラブルも確かにありうるだろうな、という感想を持ちました。

ただ、いくら紳助さんが会社を愛するがゆえにカッとなったとはいえ、暴力をふるうというのは言語道断であり、絶対にいけないことです。
紳助さんはきわめて純情な人であり、そういうことに無分別な人ではありません。会社を愛する気持ちも純粋でしたが、暴力をふるってしまったことに対する反省の気持ちも同様に純粋でした。テレビの記者会見で、暴力については「100%自分のほうが悪かった」と言って涙ながらに全面的な謝罪をしたのです。
また、刑事事件にもなりましたので、紳助さんは素直に応じて所定の(略式裁判の)罰金を支払って刑事責任を全うしました。その上、しばらくの期間はテレビ出演を自粛するという、芸能人としてはかなりの社会的制裁も受け入れました。

ところが、私が非常に不可解に思うのは、この女性(およびその弁護士)は紳助さんが芸能界を「引退」するよう要求しているということです。謝罪をして刑事罰も受け、自粛期間も設けて謹慎した者に対して、それ以上何をしろというのでしょうか。

慰謝料などを請求するのであれば民事裁判を起こして、自分の気の済むような金額を(裁判所が認めるかどうかは別として)請求すれば良いことであるし、会社の使用人としての監督責任を追及するのなら会社を訴えればいいでしょう。
しかし、いくら相手が悪いからといって相手の職業を放棄させる権利や、芸能界から引退せよ、などという主張が成り立たないことは余りにも明白です。極端な例を言えば犯罪を犯したオウムの信者に対してさえ、その職業を奪う権利など誰にもないのです。この弁護士は一体何を考えているのかしら、と率直に思いました。

また、紳助さんのテレビ番組への復帰が「早すぎる」というようなことも主張しているようですが、それは紳助さんを雇用している吉本興業が決めることです。この女性も一応は吉本の社員であるのならば、会社の決定に従う義務すらあると言わねばなりません。そう考えると、この女性がますます何を考えているのか分からなくなります。


もちろん私は暴力に対しては絶対反対です。しかし、この事件をめぐる両者のやり取りを見る限り、紳助さんのほうに同情心がどんどん沸いてしまうことを、どうすることも出来ません。

紳助さんはこの女性のヒステリックな対応によって、以前のような活気ある番組の司会をする自信がなくなったと言っており、「訴える」という言葉を聞いただけで萎縮してしまうという精神的後遺症があると言われます。あの真剣な表情からすると、紳助さん自身も相当の精神的ショックを受けているのでしょう。タレントにとっては仕事に大きく影響する損害だと言えます。

何度も強調しますが、暴力はいけません。しかし「女は弱い」ということを逆に女の武器にして感情に訴え、正当な主張とは到底言えない内容までも強引に押し通そうとする行為に関しては、マスコミも世論もこれを簡単に(雰囲気に流されて)認めてはいけないように私は思います。世論が紳助さんに対して冷たい状況であるからこそ、私はあえて紳助さんの立場に立つことも重要である、と言いたいのです。

吉本興業の林裕章会長は1月3日に逝去されましたが、亡くなる直前まで紳助さんのことを心配し、他の人に「紳助を頼む」と言っておられたとのことです。会社のトップからこれほどに信頼され期待されていた紳助さんが、この逆境を何とか越えていかれることを望みたいと思います。



  インド洋の大津波、続き 2004/12/30(Thu.) 08:48 

下に、今回のインド洋(スマトラ島沖)巨大津波の犠牲者が3万人を超えると書きましたが、その数字は時間を追うごとに増え続け、既に国際赤十字は死者10万人を超える恐れがあると発表しました。この災害の範囲の広さ、破壊力の大きさ、悲惨さがひしひしと感じられます。

また、モルディブの首都マレについては「日本の防波壁が首都を守った」ということを毎日新聞[Click Here!](12月28日15時32分更新)などが報じていましたが、モルディブは他の場所に比べて犠牲者が少なかったとはいえ、やはり建物の多くが浸水しており、犠牲者も数十名出たとのことです。モルディブは多数の島からなる国ですが、いずれも海抜1メートルほどしかない低い島ですから、津波に対する条件は非常に悪いといえます。

また、ロイター通信は、スリランカの国立公園(ヤラ国立公園)ではヒョウやゾウなどの数百等の野生動物が生息していたにもかかわらず、それらの野生動物の死骸が見つからないことから、今回の地震・津波を野性動物たちは事前に感知していたのではないかという見解を報じています。

地球には人間と共に多くの動物や植物が共存しています。今回の津波が「人災」であると言うことはできないにしても、地球環境についての知識を持ち、地球がいかに危険な状態になっているかということを知っているはずの人間が、それにもかかわらず戦争を含めて環境破壊への道を今もなお続けているとすれば、今回の災害について人間自身に責任がないとも言えないような気がします。

森林の消滅、海洋汚染、オゾン破壊、地球温暖化などが複合的に進み、環境破壊はものすごい勢いで広がっています。本来のバランスを崩してしまった地球が悲鳴を上げてきしむ音が、巨大な津波になって現われているように思えてなりません。



  インド洋の大津波と日本の立場 2004/12/28(Tue.) 22:33 

インド洋における巨大津波によって、犠牲者が2万4000人とも3万人を超えるとも言われており、実際には具体的な被害状況が正確に把握できていないぐらいの大災害となりました。テレビでの映像を見る限り、その悲惨な被害状況に対して全く言葉を失ってしまいます。

戦争に巻き込まれたのでもなく、人為的な爆発があったわけでもなく、瞬時にして数万人の生命を奪ってしまった巨大津波という自然の力。。。自然環境が破壊され、バランスを失った地球においては今後もますますこの種の災害を予想しなければなりません。

もともと地震国である日本は、世界にさきがけて地震・津波の研究が進みましたが、日本語の「津波」がそのままtsunamiという英語になっているほどである、という事実を私は今まで知りませんでした。
今回注目すべきことは、インド洋にあるモルディブ共和国という小さな島国が、津波の直撃に対して人口が集中する首都マレでさえ犠牲者が出ずに無事だったということです。その理由について現地の人々は、日本が援助して13年間かけて作られた防波壁のおかげであったということを異口同音に述べています。また、同国の海岸通りにある消波ブロックには、「日本とモルディブの友好のため日本政府が提供した支援で作られた」と書かれた記念碑が海に向かって建っているとのことです。

私は、今回のモルディブに見られるような支援を果たすことこそ、海洋国家日本の真骨頂だと思いました。また、犠牲者を多く出した大惨事の中にあって、かろうじて日本人として誇りに思うことのできる内容だと思いました。
日本という国家は世界の国々を災害から守る科学・技術を十分に持っている国です。イラクにおいても、自衛隊の努力によってイラク国家の技術ではとても実現できなかった巨大で高性能の大量浄水装置を実現しています。これで現地の人々がどれほど助かっているか測り知れません。

日本が、他国において平和で文化的な国家を作るための支援をすることにより、古来から平和を志向してきた国家であり民族であるということを世界中の人々に知ってもらうことが最も重要な「平和活動」であると思います。
「攻撃は最大の防御」という言葉があります。これからは武器による攻撃ではなく、平和支援活動という積極的な“攻撃”をすることこそ自国を安全に守るの最大の“防御”になる、という考えが大切になるのではないでしょうか。


もしも日本が、世界中から、特にアジア・アフリカ諸国から「私の国でも津波対策をやってほしい」、「私の国でも浄水装置の作り方を教えてほしい」と言われるようになれば、日本は決して滅びることのない国家になるでしょう。日本が滅びれば自分の国が困ってしまう、という考えを多くの人々が持つようになるからです。



  簡易裁判所を悪用する手口が横行する予感 2004/12/22(Wed.) 14:24 

先日、ある少額訴訟の裁判を傍聴しました。
少額訴訟というのは、60万円以下の代金等の請求で審理内容が複雑でない事件について、特別に簡易裁判所が簡単な審査によって一日で判決を出す、というきわめて迅速な裁判です。

ところが、この迅速さを悪用した詐欺が横行しています。私は少額訴訟の裁判を傍聴して、簡裁を悪用した詐欺は今後も増えるだろうという実感を持ちました。実際、裁判所の現場ではろくな審理をしていません。裁判官の名前は伏せますが、「この人は本当に法律を知っているのか」という疑念すら生じてしまうようなデタラメ“迅速”裁判でした。

また、少額訴訟は請求金額が低いため、ほとんどの場合は弁護士を付けると採算が合わないので本人が出頭するしかなく、もしも被告が仕事などで忙しくて法廷に出頭できなければ欠席裁判となり、基本的にはどんな請求でも(請求書を偽造していても)簡単に訴えを起こした者の主張が通ってしまうのです。

最近は「振り込め詐欺」が多いので、変な請求が来ても無視することもあるでしょう。しかし、それが裁判所からの送達文書である場合は逆に無視すると詐欺師の請求が正当になってしまうのです。この事実に狡猾な詐欺師が目をつけないわけがありません。

私が傍聴した事件は原告が株式会社(G社)で、公共料金の振込みを代行したりNTTのFAXを無償貸与していた会社で、全国的に多くの被害者を出した会社です。裁判所には原告G社の社長(女性)と、被告の男性(個人で職人をやっている方)が出頭していました。
審理は非常に簡単に進み、書面でいろいろ主張していた会社による不法行為(ほとんど犯罪と言うべき行為)の内容や事実関係(会社の役員は暴力団関係者)についての審理はほとんど全く無視されていました。

時効についても、商取引上の売掛債権にかかるものなので被告は2年時効(民法173条1項)を明確に主張していたのですが、裁判官は何の検討もせず(ほとんど被告の書面を読まずに)商法上の5年時効(商法522条)を採用してしまい、時効が成立しませんでした。
司法研修所の元教官で50年以上弁護士をやっておられる野口恵三という方は「商取引上の売掛債権は5年であって、2年ではないと誤解している人が案外多くおりますが、商取引上の売掛債権も民法の規定により2年であることを特にご注意願います」(税務経理協会発行、「営業担当者の法律実務」P.87)と書いておられますが、簡易裁判所の裁判官のレベルでは、これを間違える人も多数存在するのでしょう。

私はその裁判官の訴訟指揮や審理の進行をみて、これはもう原告の会社について「被害者の会」でも作って対抗しなければ、今後どんどん荒っぽい訴訟が起こされる危険があると感じてしまったほどです。原告も被告も弁護士を付けていない法律の素人であるため、裁判官も「気がゆるむ」という現象もあり、非常に荒っぽい審理がまかり通っているということも感じました。

被告は大事な仕事を休んで裁判所に出頭し、生まれて始めて被告という立場で法廷に立つという経験をさせられた上、ろくにまともな審理を受けることが出来ませんでしたので、非常に気の毒な気がしました。
少額訴訟という制度は、乱用を防ぐために同じ簡易裁判所に対して同一原告が年間10件以上利用することが禁じられているのですが、問題の本質は件数などではありません。
少額訴訟は「迅速」なので便利な面もありますが、弁護士が付かないケースが多いという特殊性を考えて、例えば親族や関係者も法廷に入れるようにして発言を許可するとか、重要な証拠が被告側から出た時点で地裁に移行するとか、何らかの改革案は考えられるはずです。簡易裁判所を悪用した詐欺的な訴訟が横行する昨今、少額訴訟という制度そのもののあり方について、再考を強く願いたいものだと思いました。



  「ホームオブハート」の問題について 2004/12/16(Thu.) 12:07 

元X-JapanのToshiさんを洗脳したということで騒がれた自己啓発の団体「ホームオブハート」(MASAYA=倉渕透さんがアーティストとして所属)は「カルト集団」であり、その施設内で幼児虐待が行なわれたとして、紀藤正樹という弁護士が刑事告発をしていることはテレビでも何度か報じられました。

ところが何と、ホームオブハート側の弁護士として登場したのが、それまで紀藤弁護士と一緒に活動してきた仲間である伊藤芳朗弁護士だったことで関係者らは驚き、紀藤氏は大変憤慨したということです。
週刊新潮(2004.7.15)の記事によると、紀藤氏は伊藤弁護士に対して「宗教被害者の救済や子供の虐待問題を共に追及してきた仲間として、強い憤りを感じています」と言っています。

それに対してホームオブハート側の代理人・伊藤芳朗弁護士は、事実関係を調査したけれども幼児虐待行為などは全く存在しない、それは紀藤氏らのデッチあげであるという考えを示し、更に紀藤弁護士らに対する懲戒請求を申立てました。

懲戒請求といえば、伊藤芳朗弁護士自身も個人の戸籍謄本をテレビ局に横流しして売ったということで懲戒処分(4か月の業務停止)を受けていますので、「どっちもどっちじゃないの?」という印象も多少あったりするのですが、それにしても興味深いことは伊藤弁護士は過去に紀藤氏と同じ仲間だっただけに宗教団体などを攻撃する紀藤氏の手口を熟知している、ということです。

伊藤弁護士はToshiさんのホームページの中で、紀藤弁護士について、「弁護士という肩書きを持ちながら、虚偽告発・名誉毀損などを繰り返している」と徹底的に非難しています。[Click Here!]

このホームページによると、紀藤弁護士の行為はきわめて悪質であり、許しがたいものであることが具体例をあげて述べられていますが、私はそれらの事実関係について判断することはできません。
しかし、これまで左翼弁護士たちが宗教団体に対していかなる手口を用いてきたかを現場で見てきた私などがToshiさんの主張している内容を読むと、実に痛いほどリアルに彼の悲痛な心情が伝わってくるもので、深い同情を禁じ得ません。

私個人としてはMASAYAという人はアーティストとして天分の才能を持っておられるように思いますし、人の心の奥深い所に思いを至らせることのできる貴重な人物であるようにも思います。
唯物的な左翼弁護士たちの手によって、精神世界を尊重するアーティストやご家族・関係者らの自由な世界が侵害されないよう、精神世界を追求する者の一人として強く念願するものです。



  「マルチ商法」「ネットワークビジネス」について 2004/12/10(Fri.) 11:17 

先日(12月8日)、日本テレビの「ザ・ワイド」をたまたま見ていたら、「マルチ商法」「ネットワークビジネス」の被害事例が特集的に報道されていました。マルチ商法やネットワークビジネスの被害を専門に扱っている“行政書士”の活動を取材するという形式でした。

その番組を見て、「マルチ商法は悪質だ」「ネットワークビジネスにひっかからないようにしなさい」という強いメッセージが感じられたのですが、いかにもワイドショー的な扇動的番組の作り方に大きな問題も感じられました。

「マルチ商法」というものの定義も問題になるのですが、それがアメリカで発祥した「マルチレベルマーケティング」(MLM)という販売方式を意味しているとすれば、これを短絡的に悪質と決め付ける日本テレビの姿勢は問題だと思います。
実際、三菱総合研究所相談役の牧野昇博士は「検証マルチレベルマーケティング」(ビジネス社、2001年)という本の中でアムウェイなどのMLMを高く評価していますし、アメリカの大学では立派な研究対象にもなっています。

更に、MLMではなく「ネットワークビジネス」という概念になるともっと定義に幅が出てきます。経営の神様といわれた船井幸雄会長はユニチャームの高原慶一朗社長との共著で「ネットワークビジネスが日本経済を救う」(ビジネス社、2000年)という本も書いておられますが、テレビ宣伝などに莫大なお金をかけて動いてきた日本のビジネスに対して、個人の口コミで商品の具体的説明をするネットワークビジネスやシステム販売という販売方式が、今や逆に注目されてきているのです。

MLMやネットワークビジネスというものは、日本では訪問販売法の中のいわゆる連鎖販売に該当するもので、この法律を守っている限り何ら違法なビジネスではありません。これが違法だというのなら、日本の訪問販売法自体が違法だということになってしまいます。私の身近にもアムウェイ、ニュースキン、ニューウェイズ、モリンダ(ノニジュース)などのMLMをやっている人々がたくさんいますが、彼らの中で「悪質」と言われなきゃいけない人々は見かけません(いたとすれば既に除名になっているのでしょう)。

もちろん、私はMLMにお金を投入しすぎて破綻してしまった事例を知っていますし、MLMの紹介者に対して深い恨みを抱いてしまった方も知っています。しかし、それは法律に定められた連鎖販売という営業形態自体に欠陥があるというよりは、それを著しく誤解している人々の問題だと言うべきでしょう(売る側も買う側も)。

日本テレビの番組では、あるマルチ商法で「必ず儲かる」などという甘い言葉にひっかかって、学生ローンに手を出して親に迷惑をかけた女子学生の事例が扱われていましたが、そういうことはむしろビジネス以前の問題ではないでしょうか。「必ず儲かる」などの文言は法律で禁止されていますし、学生ローンに手を出してビジネスをやる、というのも本人の常識欠如の問題でしょう。
日本テレビはマルチ商法を専門に扱っている“行政書士”のお墨付きを受けているような印象もありましたが、一人の見識の狭い行政書士に権威を借りるというやり方自体、日本テレビの体質を物語っているといえるのではないでしょうか。

今の日本経済の状況は深刻で、失業問題はどんどん悪化しています。そういう中で、民間の口コミを通じたビジネスに対する再評価がなされようとしています。改善すべき点もあるでしょうし、更に大きな価値を見出すこともあるでしょう。しかし、それを全て悪質であると決め付ける日本テレビの姿勢は間違いであると私は思いました。



  エイズで国が滅ぶ時代がきた 2004/11/24(Wed.) 16:47 

昨日の国連(エイズ合同計画=UNAIDS)の発表によると、今年のエイズ感染死亡者は約310万人で、新たに約490万人が感染したと推定され、現在の感染者総数は約4000万人ぐらいだという。

特にアフリカ南部では医療面などが行き届いていないため、感染者が急増していて、エイズによって国家の平均寿命が40歳ぐらいに低下している国もあるというから、事態はきわめて深刻です。国家自体の平均寿命が40歳以下になってくると、現実的には世代交代が間に合わず、国家権力が崩壊する可能性が出てきます。

エイズの場合は発病するまでの潜伏期間も長いため、実際の感染者数が表面に出にくいという性質があります。また、検査が個人の意思に任されるので、発見されるのが遅れるという事情もあるでしょう。
日本でもエイズに対する警告は政府・地方自治体やいろいろな団体が行なっていますが、実際には10代の若い世代にますます急増しているというデータもあるようです。

エイズを警告するキャンペーンなどでは、コンドームが無料で配布されたりするわけですが、それは緊急避難的な対応であって、エイズを根絶するためには、もっと倫理的な観念を徹底させねばならないと思われます。

倫理観というと、「そんな観念的なものがエイズ防止に役に立つのか」という印象がなきにしもあらずですが、エイズに感染する原因の多くは安易な性交渉によるものであることを考えれば、性に対する倫理観を国家が改めて見直し、国民に徹底して呼びかけることはむしろ最も効果的な対策だとも言えるでしょう。

日本はまだエイズで滅びるという事態が迫っているわけではないかもしれません。しかし、アフリカに見られるようにエイズで国が滅びるという現象はもはや架空のものではなくなりました。しかも、日本ではジェンダーフリーなどという名のフリーセックス主義が蔓延しつつあります。

日本の医療技術は世界でも最高水準ですから、エイズ検査を徹底して早期に対処することが大切ですが、もっと大切なことは国家を崩壊させるフリーセックス思想を根絶する方向に国民の意識が向かうことだと思います。
アメリカ大統領選挙は国家の倫理観を問う選挙だったとも言われていますが、日本もそれを外国の話として見るのではなく、国家の基本は家庭にあること、そして家庭を崩壊させるフリーセックス思想や低年齢に性行為を教える左翼教育家の活動を阻止することが大切な課題になってきたと痛感します。



  ブッシュ大統領に真のキリスト者の精神を期待 2004/11/13(Sat.) 21:58 

ここのところ、世界情勢がめまぐるしく動いています。
先月末に日本の民間人である香田さんがイスラム・テロリスト組織によって悲惨な形で殺されてしまいましたが、その直後にアメリカ大統領選挙が始まりました。一方、ビンラディンは選挙直前にあの9.11のテロが自分の犯行であることを初めて自白し、アメリカに対するテロを繰り返すことを予告しました。

今月4日アメリカ大統領選挙でブッシュが再選され、さっそくのイラク・ファルージャへの攻撃が開始されました。市街戦を強行しましたので、また多数の市民が犠牲になったことでしょう。そして、その激戦が続く最中にPLOのアラファト議長が死去されることとなり、アラブ社会はますます先が見えなくなってきました。

さて、今回のアメリカ大統領選挙は、確かにテロとの戦い方が一つの争点ではあったのですが、米国では本質的に「倫理観・価値観」が問われた選挙であったとも言われています。それはアメリカが長い間、結論を出せないままになっていた課題である「同性間の結婚は合法か違法か」という問題に結論を出す動きと今回の選挙が重なっていたことからも読み取ることができます。

つまり、今回のアメリカ大統領選に合わせて、11の州で同性間の結婚を禁止する憲法改正条項をめぐる州民投票が行われ、その結果、11の全ての州で改正条項は過半数の支持を受けました。したがって、同性間の結婚は憲法で禁止されることとなったわけです。これは、ブッシュ氏を支援しているアメリカの保守系キリスト教団体の見解に一致する結論でした。

アメリカがそのように倫理的に正しい選択を取りつつあることは喜ばしいことと思います。特に性倫理に対する退廃こそが文化全体の退廃を招き、麻薬社会を助長させてきたということ、そして結婚や家庭の倫理観こそが全ての問題の根にある大切なものだということをキリスト教国家アメリカが自覚してきたという事実、それこそまさに今回の選挙の最も偉大な収穫であったと言えるでしょう。

ただ、まだまだアラブとイスラエルの紛争問題、テロリストの問題、北朝鮮の問題など国際問題は山積しています。実は今回の大統領選挙には再臨のキリストが非常に深い関係において決定的な関与をしています。ブッシュ大統領がアメリカの建国精神に立ち返り、真のキリスト者として世界を平和に導く役割を果たしてくれることを強く期待したいと思います。



  趣味と精神世界 2004/11/07(Sun.) 23:59 

今日の午後2時から東京MXテレビで能をやっていました(第7回東京大薪能)。これは9月15日に新宿副都心の都民広場で開催された分の放映です。こういう伝統芸能が都庁のある新宿の中心部で開催されることに何か心のやすらぎを覚えました。

そして、よく見ると坂上田村麻呂を演じておられるのはワールドメイトという宗教団体の深見東州教祖ではないですか。私は深見教祖が多趣味多芸であることは存じていたのですが、大観衆の前で能を舞う姿にはさすがに驚かされました。

考えてみれば、能楽などは単なる趣味というにとどまらず、歴史的には宗教行事と深く関連しているものです。そういう日本古来の精神世界を求める人々にとって、このような催し物は大変有意義なことだと思いますし、またその伝統を宗教心のある人が守ろうとすることも大切なことだと思いました。

趣味といえば、私は囲碁などの趣味がありますが、囲碁の世界でも阿含宗(あごんしゅう)という宗教が一つのステータスを持っています。「阿含杯・桐山杯」という囲碁のタイトルですが、今年は羽根直樹・棋聖が優勝されたようです。[Click Here!]

日本の歴史では、囲碁は武士階級などに普及したものですが、常に生死の境を生きる武士の勝負の世界において、囲碁の勝負もまた極めれば単なる趣味の世界以上に深いものがあったのでしょう。
武士の精神的な基盤として「禅」というものがありましたが、おそらくは禅における「主客一如」の観念や無心の境地などが、囲碁における勝負の心構えや勝敗を超えた相手との精神的な交流にも活かされていたものと思われます。

ワールドメイトの活躍や阿含宗の活躍を見ていて、宗教者がそういう精神世界に通じる趣味や芸能の世界で国民の伝統文化を維持しようとされることの意義深さを感じさせられました。



  目に見えない世界を知る時 2004/10/29(Fri.) 10:49 

新潟県中越地震で土砂崩れ災害に遭遇した皆川優太君が27日午後、92時間の極寒の環境に耐えて救出されました。残念ながら母親と姉を失ってしまうことになりましたが、優太君については車と崖の間に生じた小さなスペースが優太君の体を保護するという、奇跡としか言いようがないほどの状況で助かりました。

奇跡というものは無条件で起きるものではありません。人の生命が救われるほどの奇跡は、それに相当する有形・無形の条件がそろわなければ起こらないと思います。「優太君、生きていてくれ。がんばってくれ」と念じながら、余震が続く危険な状況を押し切って命がけの救出活動をしたレスキュー隊のすさまじい執念は、そういう奇跡を起こす目に見えない要因になったのでしょう。

そして、それにもまして母親貴子さんの強い信念が優太君の生命を救ったといえるのではないでしょうか。貴子さんが事故の瞬間、どういう動きをされたのか想像すべくもありませんが、その執念は子どもを助けたいという一念に集中していたに違いありません。4日間にわたって何の食べ物もなく、大人でも寒さに震える環境の中で優太君が無事でいたのは、とりもなおさず母親の強い心が通じていたからだと言わねばなりません。

奇跡は、目に見える地上の立場だけで考えれば偶然に偶然が重なった不思議な現象に見えるのですが、目に見えない世界を考えれば、それもまた起こるべくして起こる霊妙なものだと言えます。
今回起きた地震の被害はまだまだ続いています。しかし、多くの教訓も残しました。阪神大震災の教訓が生かされた面もあるし、そうでなかった面もあります。優太君の救出は、人の心の強さというもの、そして目に見えない世界というものが奇跡をも起こすことを証明する大きな教訓であったと思います。

2歳で母親を突然なくした優太君が心身共に受けたショックは甚大で、今後のケアが非常に大切ですが、優太君の生命には母親や家族、レスキュー隊、県民の強い願いをはじめ、全国の人々の心ある支援の念がかけられています。

心は目に見えないものですが、人が成長する上で最も大切な「栄養素」でもあると言えるでしょう。優太君はこの事故をバネにして、多くの人の熱い真心を受けながらのびのびと育ってほしいなあ、と本当に、本当に期待します。



  掲示板としてのNHK放送について 2004/10/25(Mon.) 10:41 

新潟で起きた地震はすさまじく、建物が崩壊するほどの大きな揺れが数回、余震にいたっては数百回を記録しました。私自身、新潟に住む知人が多いため心配になりました。犠牲になられた方々には大変気の毒なことと思います。

ところで、昨日のNHKでは番組を大幅に変更して「安否情報」というものを報道していました。それは、アナウンサーが交替しながら「○○県○○市の○○さんから、新潟県○○市の○○さんへ、心配しております。連絡ください」というような個別のメッセージを延々と放送する、という企画でした。

私は最初、さすがNHKだな、こういうことはスポンサーの持ち時間が限られている民放では出来ないだろうな、と思ったのですが、この掲示板的な放送が何時間も延々と続くのを見て(もちろん全部見たわけではないですが)、非常に強い疑問を感じるようになりました。

まず、「心配している」ということはあたり前のことで、公共の電波を使ってまで是非とも伝えなきゃいけない内容とは思えないこと、また被災者がNHKのテレビを見ていなければ意味のない放送内容なので、相手は少なくとも「現在NHKを見ている」という一応無事な状態にあることは確かであること、読み上げられる各人の名前は数秒間にすぎないため、偶然にも自分の名前が読み上げられるのを自分で聞く確率はきわめて低いこと、しかもそれを聞いたとしても連絡先の電話番号まで放送されないため、あまり意味がないこと、などなど。。。

決してこういう放送が無駄なものだとは思いませんが、国民の緊急事態が起きている中で貴重な時間を使って放送する公共番組の内容としてはもっと他に有益なものが考えられたのではないだろうか、という気がいたしました。
例えば、もっと具体的に「○○県○○市○○町の人の安否を知りたい方は電話番号○○○○におかけ下さい」という確認システムを作るとか、具体的な各住所について個別に被害状況を放送するとか、今回の地震の特徴について専門家の解説と今後の復旧にむけての具体的な対策を現場と連絡を取りながら検討する番組を作るとか、考えてみればいろいろあると思います。

安否確認の連絡掲示板のような放送番組は、一見親切な印象があるため好感を得ることはできるかもしれませんが、全国の人が見ているテレビ番組にしては非常に安上がりで無内容なものであると、率直に感じました。




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