衆議院本会議の代表質問の場で、野党第一党である民主党が自ら質問をしている最中に本会議を退席する、戦後初めてという異例の騒動がありました。
これは、小泉首相が民主党の質問に対して答弁した内容について、民主党・岡田代表が「不十分だ」として再質問したところ、首相が「全部答えている」という無内容なものだったので岡田氏が憤慨して退席したものです。
国会中継をテレビで見ていた多くの人は、答えをはぐらかす小泉首相の態度に少なからず不快感を持ったのではないかと思います。首相の答弁に対して、岡田氏がより具体的な内容に踏み込んで再質問をしているのに、「全部答えています」という答えでは全く答えになっていませんし、そういう答えで終わるのならばわざわざ国会を開いて審議する意味がありません。それどころか、小泉首相の答えはまるで裁判の尋問で不利なことを突かれて答えられなくなった時の「被告」の逃げ口上のようにも見えてしまいます。
もちろん首相の答弁といっても大半は頭のいい官僚たちが準備するのでしょうから、突然に岡田氏から9つもの質問を突きつけられると、とっさに適当な答弁の準備が間に合わず答えに窮するということはあるのでしょう。しかし、それならばそれなりに答え方があるというものです。いみじくも岡田氏が「首相の答弁は官僚の言葉だ。政治家としての意見を聞きたい」と述べたのは非常に的を得たものだったと言えるでしょう。
そういうド真剣な表情の岡田氏に対して、余裕を見せるパフォーマンスなのか、せせら笑うかのような首相の表情には何となく器のなさを感じてしまいます。黙るべき時は黙る。笑うべき時は笑うのがいいでしょう。しかし、全国民の前で堂々と審議するべき時は、日本という国家を率いる首相として誠実に答えねばなりません。
ところが、かくのごとく首相の答弁が批判を受ける性質のものであったとしても、岡田氏と民主党議員らが突然「切れた」かのごとく本会議場を退席する行動に出たのは、小泉首相の不誠実な答弁に対する不快感をはるかにしのぐほどに不快なものでした。
代表質問の最中に、質問している野党側が国会の会議をボイコットするのは戦後初めてのことらしいですが、自分の質問に対する答えが気に入らないからといって会議を退席するなど、私には言語道断のことのように思われます。 岡田氏は首相の答弁について「議会制民主主義を揺るがすもの」と言われましたが、「俺様の質問に答えないなら俺は出ていく」という不遜な岡田氏の態度こそ、まさに議会制民主主義を崩壊させるものだと言わねばなりません。
議長を務めていた河野氏は基本的に再質問を何度も許可する姿勢でしたし、民主党の質問は岡田氏で終わるのではなく小宮山氏の質問もあるのですから、その時にでも質問の形式を変えて追及することもできるのです。 また、もしも首相が答弁に窮してしまって苦し紛れの態度を示さざるを得なかったのだとすれば、それも野党の一種の実績と評価されるわけですから、長い目でみて次の戦いにつなげることも可能だったでしょう。 ともかく、その場で相手が気に入った答えをしないから退席する、これでは国会になりません。しかも、国会の会議は国民の莫大な税金が投入されています。官僚が税金を無駄づかいしていることは周知の事実ですが、官僚だけでなく政治家たちも税金の無駄な使い方はやめてほしいものです。
また、おかしかったのは民主党が退席する時にまるで金魚のフンのように社民党の人々も一緒に出ていったことです。同じ「野党」だからでしょうか。しかし、党には党のまとまりや考えがあるはずです。大切な本会議をボイコットするというような重大な行動について党の決議もなく、その場で簡単に「民主党に右へ習え」ができる社民党の腰の軽い体質も全く不思議なものです。それとも社民党は民主党の体の一部だという感じなのでしょうか。 社民党は福島瑞穂という左翼弁護士(夫はオウム真理教を破防法から守った左翼弁護士)が党首になってから全くおかしな体質になりました。退席せずに会議を重視した共産党が妙に大人っぽく見えてしまい、思わず笑ってしまいました。
河野議長は首相に対して「誠実に答えるよう」求めましたが、国民に利益が及ぶ実質的な実りのある議事を残そうとする議長としては至極当然の警告のように思えました。しかし、その言葉を取って「議長の言う通り、今回の騒動の責任はすべて首相にある」と勝手に断じた岡田氏の発言には無理があるでしょう。
私は小泉首相の総理大臣としての資質には一定の評価をしています。しかしながら、先日どこかで中曽根元首相が「小泉さんは各論ばかりで勝負して総論が全くない」というような批判をしておられましたが、確かに小泉首相の中には世界に向かう明確な国家理念が見あたらず、今の内閣にしても郵政民営化を「踏み絵」にして組閣したレベルの各論内閣にすぎません。小泉首相や竹中大臣は「小さな政府」を目指すと主張するのですが、「小さな政府」が「各論を扱う政府」という意味であるとすれば、それは全く本末転倒というべきでしょう。 |