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20105

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江本武忠
(えもと・むちゅう)

(2004/12/30(Thu.) 08:48 〜 2004/10/01(Fri.) 19:18)

  インド洋の大津波、続き 2004/12/30(Thu.) 08:48 

下に、今回のインド洋(スマトラ島沖)巨大津波の犠牲者が3万人を超えると書きましたが、その数字は時間を追うごとに増え続け、既に国際赤十字は死者10万人を超える恐れがあると発表しました。この災害の範囲の広さ、破壊力の大きさ、悲惨さがひしひしと感じられます。

また、モルディブの首都マレについては「日本の防波壁が首都を守った」ということを毎日新聞[Click Here!](12月28日15時32分更新)などが報じていましたが、モルディブは他の場所に比べて犠牲者が少なかったとはいえ、やはり建物の多くが浸水しており、犠牲者も数十名出たとのことです。モルディブは多数の島からなる国ですが、いずれも海抜1メートルほどしかない低い島ですから、津波に対する条件は非常に悪いといえます。

また、ロイター通信は、スリランカの国立公園(ヤラ国立公園)ではヒョウやゾウなどの数百等の野生動物が生息していたにもかかわらず、それらの野生動物の死骸が見つからないことから、今回の地震・津波を野性動物たちは事前に感知していたのではないかという見解を報じています。

地球には人間と共に多くの動物や植物が共存しています。今回の津波が「人災」であると言うことはできないにしても、地球環境についての知識を持ち、地球がいかに危険な状態になっているかということを知っているはずの人間が、それにもかかわらず戦争を含めて環境破壊への道を今もなお続けているとすれば、今回の災害について人間自身に責任がないとも言えないような気がします。

森林の消滅、海洋汚染、オゾン破壊、地球温暖化などが複合的に進み、環境破壊はものすごい勢いで広がっています。本来のバランスを崩してしまった地球が悲鳴を上げてきしむ音が、巨大な津波になって現われているように思えてなりません。



  インド洋の大津波と日本の立場 2004/12/28(Tue.) 22:33 

インド洋における巨大津波によって、犠牲者が2万4000人とも3万人を超えるとも言われており、実際には具体的な被害状況が正確に把握できていないぐらいの大災害となりました。テレビでの映像を見る限り、その悲惨な被害状況に対して全く言葉を失ってしまいます。

戦争に巻き込まれたのでもなく、人為的な爆発があったわけでもなく、瞬時にして数万人の生命を奪ってしまった巨大津波という自然の力。。。自然環境が破壊され、バランスを失った地球においては今後もますますこの種の災害を予想しなければなりません。

もともと地震国である日本は、世界にさきがけて地震・津波の研究が進みましたが、日本語の「津波」がそのままtsunamiという英語になっているほどである、という事実を私は今まで知りませんでした。
今回注目すべきことは、インド洋にあるモルディブ共和国という小さな島国が、津波の直撃に対して人口が集中する首都マレでさえ犠牲者が出ずに無事だったということです。その理由について現地の人々は、日本が援助して13年間かけて作られた防波壁のおかげであったということを異口同音に述べています。また、同国の海岸通りにある消波ブロックには、「日本とモルディブの友好のため日本政府が提供した支援で作られた」と書かれた記念碑が海に向かって建っているとのことです。

私は、今回のモルディブに見られるような支援を果たすことこそ、海洋国家日本の真骨頂だと思いました。また、犠牲者を多く出した大惨事の中にあって、かろうじて日本人として誇りに思うことのできる内容だと思いました。
日本という国家は世界の国々を災害から守る科学・技術を十分に持っている国です。イラクにおいても、自衛隊の努力によってイラク国家の技術ではとても実現できなかった巨大で高性能の大量浄水装置を実現しています。これで現地の人々がどれほど助かっているか測り知れません。

日本が、他国において平和で文化的な国家を作るための支援をすることにより、古来から平和を志向してきた国家であり民族であるということを世界中の人々に知ってもらうことが最も重要な「平和活動」であると思います。
「攻撃は最大の防御」という言葉があります。これからは武器による攻撃ではなく、平和支援活動という積極的な“攻撃”をすることこそ自国を安全に守るの最大の“防御”になる、という考えが大切になるのではないでしょうか。


もしも日本が、世界中から、特にアジア・アフリカ諸国から「私の国でも津波対策をやってほしい」、「私の国でも浄水装置の作り方を教えてほしい」と言われるようになれば、日本は決して滅びることのない国家になるでしょう。日本が滅びれば自分の国が困ってしまう、という考えを多くの人々が持つようになるからです。



  簡易裁判所を悪用する手口が横行する予感 2004/12/22(Wed.) 14:24 

先日、ある少額訴訟の裁判を傍聴しました。
少額訴訟というのは、60万円以下の代金等の請求で審理内容が複雑でない事件について、特別に簡易裁判所が簡単な審査によって一日で判決を出す、というきわめて迅速な裁判です。

ところが、この迅速さを悪用した詐欺が横行しています。私は少額訴訟の裁判を傍聴して、簡裁を悪用した詐欺は今後も増えるだろうという実感を持ちました。実際、裁判所の現場ではろくな審理をしていません。裁判官の名前は伏せますが、「この人は本当に法律を知っているのか」という疑念すら生じてしまうようなデタラメ“迅速”裁判でした。

また、少額訴訟は請求金額が低いため、ほとんどの場合は弁護士を付けると採算が合わないので本人が出頭するしかなく、もしも被告が仕事などで忙しくて法廷に出頭できなければ欠席裁判となり、基本的にはどんな請求でも(請求書を偽造していても)簡単に訴えを起こした者の主張が通ってしまうのです。

最近は「振り込め詐欺」が多いので、変な請求が来ても無視することもあるでしょう。しかし、それが裁判所からの送達文書である場合は逆に無視すると詐欺師の請求が正当になってしまうのです。この事実に狡猾な詐欺師が目をつけないわけがありません。

私が傍聴した事件は原告が株式会社(G社)で、公共料金の振込みを代行したりNTTのFAXを無償貸与していた会社で、全国的に多くの被害者を出した会社です。裁判所には原告G社の社長(女性)と、被告の男性(個人で職人をやっている方)が出頭していました。
審理は非常に簡単に進み、書面でいろいろ主張していた会社による不法行為(ほとんど犯罪と言うべき行為)の内容や事実関係(会社の役員は暴力団関係者)についての審理はほとんど全く無視されていました。

時効についても、商取引上の売掛債権にかかるものなので被告は2年時効(民法173条1項)を明確に主張していたのですが、裁判官は何の検討もせず(ほとんど被告の書面を読まずに)商法上の5年時効(商法522条)を採用してしまい、時効が成立しませんでした。
司法研修所の元教官で50年以上弁護士をやっておられる野口恵三という方は「商取引上の売掛債権は5年であって、2年ではないと誤解している人が案外多くおりますが、商取引上の売掛債権も民法の規定により2年であることを特にご注意願います」(税務経理協会発行、「営業担当者の法律実務」P.87)と書いておられますが、簡易裁判所の裁判官のレベルでは、これを間違える人も多数存在するのでしょう。

私はその裁判官の訴訟指揮や審理の進行をみて、これはもう原告の会社について「被害者の会」でも作って対抗しなければ、今後どんどん荒っぽい訴訟が起こされる危険があると感じてしまったほどです。原告も被告も弁護士を付けていない法律の素人であるため、裁判官も「気がゆるむ」という現象もあり、非常に荒っぽい審理がまかり通っているということも感じました。

被告は大事な仕事を休んで裁判所に出頭し、生まれて始めて被告という立場で法廷に立つという経験をさせられた上、ろくにまともな審理を受けることが出来ませんでしたので、非常に気の毒な気がしました。
少額訴訟という制度は、乱用を防ぐために同じ簡易裁判所に対して同一原告が年間10件以上利用することが禁じられているのですが、問題の本質は件数などではありません。
少額訴訟は「迅速」なので便利な面もありますが、弁護士が付かないケースが多いという特殊性を考えて、例えば親族や関係者も法廷に入れるようにして発言を許可するとか、重要な証拠が被告側から出た時点で地裁に移行するとか、何らかの改革案は考えられるはずです。簡易裁判所を悪用した詐欺的な訴訟が横行する昨今、少額訴訟という制度そのもののあり方について、再考を強く願いたいものだと思いました。



  「ホームオブハート」の問題について 2004/12/16(Thu.) 12:07 

元X-JapanのToshiさんを洗脳したということで騒がれた自己啓発の団体「ホームオブハート」(MASAYA=倉渕透さんがアーティストとして所属)は「カルト集団」であり、その施設内で幼児虐待が行なわれたとして、紀藤正樹という弁護士が刑事告発をしていることはテレビでも何度か報じられました。

ところが何と、ホームオブハート側の弁護士として登場したのが、それまで紀藤弁護士と一緒に活動してきた仲間である伊藤芳朗弁護士だったことで関係者らは驚き、紀藤氏は大変憤慨したということです。
週刊新潮(2004.7.15)の記事によると、紀藤氏は伊藤弁護士に対して「宗教被害者の救済や子供の虐待問題を共に追及してきた仲間として、強い憤りを感じています」と言っています。

それに対してホームオブハート側の代理人・伊藤芳朗弁護士は、事実関係を調査したけれども幼児虐待行為などは全く存在しない、それは紀藤氏らのデッチあげであるという考えを示し、更に紀藤弁護士らに対する懲戒請求を申立てました。

懲戒請求といえば、伊藤芳朗弁護士自身も個人の戸籍謄本をテレビ局に横流しして売ったということで懲戒処分(4か月の業務停止)を受けていますので、「どっちもどっちじゃないの?」という印象も多少あったりするのですが、それにしても興味深いことは伊藤弁護士は過去に紀藤氏と同じ仲間だっただけに宗教団体などを攻撃する紀藤氏の手口を熟知している、ということです。

伊藤弁護士はToshiさんのホームページの中で、紀藤弁護士について、「弁護士という肩書きを持ちながら、虚偽告発・名誉毀損などを繰り返している」と徹底的に非難しています。[Click Here!]

このホームページによると、紀藤弁護士の行為はきわめて悪質であり、許しがたいものであることが具体例をあげて述べられていますが、私はそれらの事実関係について判断することはできません。
しかし、これまで左翼弁護士たちが宗教団体に対していかなる手口を用いてきたかを現場で見てきた私などがToshiさんの主張している内容を読むと、実に痛いほどリアルに彼の悲痛な心情が伝わってくるもので、深い同情を禁じ得ません。

私個人としてはMASAYAという人はアーティストとして天分の才能を持っておられるように思いますし、人の心の奥深い所に思いを至らせることのできる貴重な人物であるようにも思います。
唯物的な左翼弁護士たちの手によって、精神世界を尊重するアーティストやご家族・関係者らの自由な世界が侵害されないよう、精神世界を追求する者の一人として強く念願するものです。



  「マルチ商法」「ネットワークビジネス」について 2004/12/10(Fri.) 11:17 

先日(12月8日)、日本テレビの「ザ・ワイド」をたまたま見ていたら、「マルチ商法」「ネットワークビジネス」の被害事例が特集的に報道されていました。マルチ商法やネットワークビジネスの被害を専門に扱っている“行政書士”の活動を取材するという形式でした。

その番組を見て、「マルチ商法は悪質だ」「ネットワークビジネスにひっかからないようにしなさい」という強いメッセージが感じられたのですが、いかにもワイドショー的な扇動的番組の作り方に大きな問題も感じられました。

「マルチ商法」というものの定義も問題になるのですが、それがアメリカで発祥した「マルチレベルマーケティング」(MLM)という販売方式を意味しているとすれば、これを短絡的に悪質と決め付ける日本テレビの姿勢は問題だと思います。
実際、三菱総合研究所相談役の牧野昇博士は「検証マルチレベルマーケティング」(ビジネス社、2001年)という本の中でアムウェイなどのMLMを高く評価していますし、アメリカの大学では立派な研究対象にもなっています。

更に、MLMではなく「ネットワークビジネス」という概念になるともっと定義に幅が出てきます。経営の神様といわれた船井幸雄会長はユニチャームの高原慶一朗社長との共著で「ネットワークビジネスが日本経済を救う」(ビジネス社、2000年)という本も書いておられますが、テレビ宣伝などに莫大なお金をかけて動いてきた日本のビジネスに対して、個人の口コミで商品の具体的説明をするネットワークビジネスやシステム販売という販売方式が、今や逆に注目されてきているのです。

MLMやネットワークビジネスというものは、日本では訪問販売法の中のいわゆる連鎖販売に該当するもので、この法律を守っている限り何ら違法なビジネスではありません。これが違法だというのなら、日本の訪問販売法自体が違法だということになってしまいます。私の身近にもアムウェイ、ニュースキン、ニューウェイズ、モリンダ(ノニジュース)などのMLMをやっている人々がたくさんいますが、彼らの中で「悪質」と言われなきゃいけない人々は見かけません(いたとすれば既に除名になっているのでしょう)。

もちろん、私はMLMにお金を投入しすぎて破綻してしまった事例を知っていますし、MLMの紹介者に対して深い恨みを抱いてしまった方も知っています。しかし、それは法律に定められた連鎖販売という営業形態自体に欠陥があるというよりは、それを著しく誤解している人々の問題だと言うべきでしょう(売る側も買う側も)。

日本テレビの番組では、あるマルチ商法で「必ず儲かる」などという甘い言葉にひっかかって、学生ローンに手を出して親に迷惑をかけた女子学生の事例が扱われていましたが、そういうことはむしろビジネス以前の問題ではないでしょうか。「必ず儲かる」などの文言は法律で禁止されていますし、学生ローンに手を出してビジネスをやる、というのも本人の常識欠如の問題でしょう。
日本テレビはマルチ商法を専門に扱っている“行政書士”のお墨付きを受けているような印象もありましたが、一人の見識の狭い行政書士に権威を借りるというやり方自体、日本テレビの体質を物語っているといえるのではないでしょうか。

今の日本経済の状況は深刻で、失業問題はどんどん悪化しています。そういう中で、民間の口コミを通じたビジネスに対する再評価がなされようとしています。改善すべき点もあるでしょうし、更に大きな価値を見出すこともあるでしょう。しかし、それを全て悪質であると決め付ける日本テレビの姿勢は間違いであると私は思いました。



  エイズで国が滅ぶ時代がきた 2004/11/24(Wed.) 16:47 

昨日の国連(エイズ合同計画=UNAIDS)の発表によると、今年のエイズ感染死亡者は約310万人で、新たに約490万人が感染したと推定され、現在の感染者総数は約4000万人ぐらいだという。

特にアフリカ南部では医療面などが行き届いていないため、感染者が急増していて、エイズによって国家の平均寿命が40歳ぐらいに低下している国もあるというから、事態はきわめて深刻です。国家自体の平均寿命が40歳以下になってくると、現実的には世代交代が間に合わず、国家権力が崩壊する可能性が出てきます。

エイズの場合は発病するまでの潜伏期間も長いため、実際の感染者数が表面に出にくいという性質があります。また、検査が個人の意思に任されるので、発見されるのが遅れるという事情もあるでしょう。
日本でもエイズに対する警告は政府・地方自治体やいろいろな団体が行なっていますが、実際には10代の若い世代にますます急増しているというデータもあるようです。

エイズを警告するキャンペーンなどでは、コンドームが無料で配布されたりするわけですが、それは緊急避難的な対応であって、エイズを根絶するためには、もっと倫理的な観念を徹底させねばならないと思われます。

倫理観というと、「そんな観念的なものがエイズ防止に役に立つのか」という印象がなきにしもあらずですが、エイズに感染する原因の多くは安易な性交渉によるものであることを考えれば、性に対する倫理観を国家が改めて見直し、国民に徹底して呼びかけることはむしろ最も効果的な対策だとも言えるでしょう。

日本はまだエイズで滅びるという事態が迫っているわけではないかもしれません。しかし、アフリカに見られるようにエイズで国が滅びるという現象はもはや架空のものではなくなりました。しかも、日本ではジェンダーフリーなどという名のフリーセックス主義が蔓延しつつあります。

日本の医療技術は世界でも最高水準ですから、エイズ検査を徹底して早期に対処することが大切ですが、もっと大切なことは国家を崩壊させるフリーセックス思想を根絶する方向に国民の意識が向かうことだと思います。
アメリカ大統領選挙は国家の倫理観を問う選挙だったとも言われていますが、日本もそれを外国の話として見るのではなく、国家の基本は家庭にあること、そして家庭を崩壊させるフリーセックス思想や低年齢に性行為を教える左翼教育家の活動を阻止することが大切な課題になってきたと痛感します。



  ブッシュ大統領に真のキリスト者の精神を期待 2004/11/13(Sat.) 21:58 

ここのところ、世界情勢がめまぐるしく動いています。
先月末に日本の民間人である香田さんがイスラム・テロリスト組織によって悲惨な形で殺されてしまいましたが、その直後にアメリカ大統領選挙が始まりました。一方、ビンラディンは選挙直前にあの9.11のテロが自分の犯行であることを初めて自白し、アメリカに対するテロを繰り返すことを予告しました。

今月4日アメリカ大統領選挙でブッシュが再選され、さっそくのイラク・ファルージャへの攻撃が開始されました。市街戦を強行しましたので、また多数の市民が犠牲になったことでしょう。そして、その激戦が続く最中にPLOのアラファト議長が死去されることとなり、アラブ社会はますます先が見えなくなってきました。

さて、今回のアメリカ大統領選挙は、確かにテロとの戦い方が一つの争点ではあったのですが、米国では本質的に「倫理観・価値観」が問われた選挙であったとも言われています。それはアメリカが長い間、結論を出せないままになっていた課題である「同性間の結婚は合法か違法か」という問題に結論を出す動きと今回の選挙が重なっていたことからも読み取ることができます。

つまり、今回のアメリカ大統領選に合わせて、11の州で同性間の結婚を禁止する憲法改正条項をめぐる州民投票が行われ、その結果、11の全ての州で改正条項は過半数の支持を受けました。したがって、同性間の結婚は憲法で禁止されることとなったわけです。これは、ブッシュ氏を支援しているアメリカの保守系キリスト教団体の見解に一致する結論でした。

アメリカがそのように倫理的に正しい選択を取りつつあることは喜ばしいことと思います。特に性倫理に対する退廃こそが文化全体の退廃を招き、麻薬社会を助長させてきたということ、そして結婚や家庭の倫理観こそが全ての問題の根にある大切なものだということをキリスト教国家アメリカが自覚してきたという事実、それこそまさに今回の選挙の最も偉大な収穫であったと言えるでしょう。

ただ、まだまだアラブとイスラエルの紛争問題、テロリストの問題、北朝鮮の問題など国際問題は山積しています。実は今回の大統領選挙には再臨のキリストが非常に深い関係において決定的な関与をしています。ブッシュ大統領がアメリカの建国精神に立ち返り、真のキリスト者として世界を平和に導く役割を果たしてくれることを強く期待したいと思います。



  趣味と精神世界 2004/11/07(Sun.) 23:59 

今日の午後2時から東京MXテレビで能をやっていました(第7回東京大薪能)。これは9月15日に新宿副都心の都民広場で開催された分の放映です。こういう伝統芸能が都庁のある新宿の中心部で開催されることに何か心のやすらぎを覚えました。

そして、よく見ると坂上田村麻呂を演じておられるのはワールドメイトという宗教団体の深見東州教祖ではないですか。私は深見教祖が多趣味多芸であることは存じていたのですが、大観衆の前で能を舞う姿にはさすがに驚かされました。

考えてみれば、能楽などは単なる趣味というにとどまらず、歴史的には宗教行事と深く関連しているものです。そういう日本古来の精神世界を求める人々にとって、このような催し物は大変有意義なことだと思いますし、またその伝統を宗教心のある人が守ろうとすることも大切なことだと思いました。

趣味といえば、私は囲碁などの趣味がありますが、囲碁の世界でも阿含宗(あごんしゅう)という宗教が一つのステータスを持っています。「阿含杯・桐山杯」という囲碁のタイトルですが、今年は羽根直樹・棋聖が優勝されたようです。[Click Here!]

日本の歴史では、囲碁は武士階級などに普及したものですが、常に生死の境を生きる武士の勝負の世界において、囲碁の勝負もまた極めれば単なる趣味の世界以上に深いものがあったのでしょう。
武士の精神的な基盤として「禅」というものがありましたが、おそらくは禅における「主客一如」の観念や無心の境地などが、囲碁における勝負の心構えや勝敗を超えた相手との精神的な交流にも活かされていたものと思われます。

ワールドメイトの活躍や阿含宗の活躍を見ていて、宗教者がそういう精神世界に通じる趣味や芸能の世界で国民の伝統文化を維持しようとされることの意義深さを感じさせられました。



  目に見えない世界を知る時 2004/10/29(Fri.) 10:49 

新潟県中越地震で土砂崩れ災害に遭遇した皆川優太君が27日午後、92時間の極寒の環境に耐えて救出されました。残念ながら母親と姉を失ってしまうことになりましたが、優太君については車と崖の間に生じた小さなスペースが優太君の体を保護するという、奇跡としか言いようがないほどの状況で助かりました。

奇跡というものは無条件で起きるものではありません。人の生命が救われるほどの奇跡は、それに相当する有形・無形の条件がそろわなければ起こらないと思います。「優太君、生きていてくれ。がんばってくれ」と念じながら、余震が続く危険な状況を押し切って命がけの救出活動をしたレスキュー隊のすさまじい執念は、そういう奇跡を起こす目に見えない要因になったのでしょう。

そして、それにもまして母親貴子さんの強い信念が優太君の生命を救ったといえるのではないでしょうか。貴子さんが事故の瞬間、どういう動きをされたのか想像すべくもありませんが、その執念は子どもを助けたいという一念に集中していたに違いありません。4日間にわたって何の食べ物もなく、大人でも寒さに震える環境の中で優太君が無事でいたのは、とりもなおさず母親の強い心が通じていたからだと言わねばなりません。

奇跡は、目に見える地上の立場だけで考えれば偶然に偶然が重なった不思議な現象に見えるのですが、目に見えない世界を考えれば、それもまた起こるべくして起こる霊妙なものだと言えます。
今回起きた地震の被害はまだまだ続いています。しかし、多くの教訓も残しました。阪神大震災の教訓が生かされた面もあるし、そうでなかった面もあります。優太君の救出は、人の心の強さというもの、そして目に見えない世界というものが奇跡をも起こすことを証明する大きな教訓であったと思います。

2歳で母親を突然なくした優太君が心身共に受けたショックは甚大で、今後のケアが非常に大切ですが、優太君の生命には母親や家族、レスキュー隊、県民の強い願いをはじめ、全国の人々の心ある支援の念がかけられています。

心は目に見えないものですが、人が成長する上で最も大切な「栄養素」でもあると言えるでしょう。優太君はこの事故をバネにして、多くの人の熱い真心を受けながらのびのびと育ってほしいなあ、と本当に、本当に期待します。



  掲示板としてのNHK放送について 2004/10/25(Mon.) 10:41 

新潟で起きた地震はすさまじく、建物が崩壊するほどの大きな揺れが数回、余震にいたっては数百回を記録しました。私自身、新潟に住む知人が多いため心配になりました。犠牲になられた方々には大変気の毒なことと思います。

ところで、昨日のNHKでは番組を大幅に変更して「安否情報」というものを報道していました。それは、アナウンサーが交替しながら「○○県○○市の○○さんから、新潟県○○市の○○さんへ、心配しております。連絡ください」というような個別のメッセージを延々と放送する、という企画でした。

私は最初、さすがNHKだな、こういうことはスポンサーの持ち時間が限られている民放では出来ないだろうな、と思ったのですが、この掲示板的な放送が何時間も延々と続くのを見て(もちろん全部見たわけではないですが)、非常に強い疑問を感じるようになりました。

まず、「心配している」ということはあたり前のことで、公共の電波を使ってまで是非とも伝えなきゃいけない内容とは思えないこと、また被災者がNHKのテレビを見ていなければ意味のない放送内容なので、相手は少なくとも「現在NHKを見ている」という一応無事な状態にあることは確かであること、読み上げられる各人の名前は数秒間にすぎないため、偶然にも自分の名前が読み上げられるのを自分で聞く確率はきわめて低いこと、しかもそれを聞いたとしても連絡先の電話番号まで放送されないため、あまり意味がないこと、などなど。。。

決してこういう放送が無駄なものだとは思いませんが、国民の緊急事態が起きている中で貴重な時間を使って放送する公共番組の内容としてはもっと他に有益なものが考えられたのではないだろうか、という気がいたしました。
例えば、もっと具体的に「○○県○○市○○町の人の安否を知りたい方は電話番号○○○○におかけ下さい」という確認システムを作るとか、具体的な各住所について個別に被害状況を放送するとか、今回の地震の特徴について専門家の解説と今後の復旧にむけての具体的な対策を現場と連絡を取りながら検討する番組を作るとか、考えてみればいろいろあると思います。

安否確認の連絡掲示板のような放送番組は、一見親切な印象があるため好感を得ることはできるかもしれませんが、全国の人が見ているテレビ番組にしては非常に安上がりで無内容なものであると、率直に感じました。



  自然からの警告 2004/10/21(Thu.) 20:14 

台風23号は既に56名以上の死者を出し、いまだ行方不明者も多数います。しかも、各地の被害状況を見るとその破壊力の大きさに驚かざるを得ません。今年ほど頻繁に大型の台風が襲ったのはめずらしいということですが、それはもう異常気象という次元ではなく、地球そのものの異変に気づかなければならないということを意味しているのではないかと思います。

また最近は自然環境の被害も多く、たとえば海岸ではクラゲが大量発生して漁民が打撃を受けているとか、クマが作物を荒らしたり民家を襲っているとか、あげれば切りがないほどです。そういうことは大型台風などの被害とは直接的には一見無関係のようにみえて、実は「物が言えない」自然そのものがしきりに何かを人類に訴えかけている現象の一環であるように思えてなりません。

地球は美しい星ですが、環境には限界があります。戦争、差別、経済格差から最近の汚職事件やオレオレ詐欺にいたるまで、そういう人為的な問題に関心が集中する中で、物言わぬ自然が発する警告的なメッセージに真剣に耳を傾ける機会に乏しかったような気がします。環境問題といえども、つきつめれば人間の行為が自然環境に対して致命的な打撃を与えてきた「人為的問題」であるということもできるでしょう。

私たちは、いま一度あらためて地球そのものが一体どんな状態になっているのかということ、そして地球上に住む人類がお互いの共有の場である環境について何をなしうるのか、そういう問題について国や民族の利害関係を超えて本気で考えなければならない時が来たのではないでしょうか。



  スポーツに対する考えの違い 2004/10/16(Sat.) 15:22 

インターネット関連企業で著名なライブドアがプロ野球の経営に参加するということで、日本プロ野球組織による質疑応答がなされましたが、その内容は大変興味深いものだと思いました。

よく「インターネットはアダルトとゲームによって発展した」と言われるほどに、アダルト関係の浸透ぶりには驚くべきものがあります。ひと昔前の話になってしまいますが、私が久しぶりに秋葉原に行った時、低年齢の学生なども出入りするパソコンショップに堂々と「アダルトコーナー」というフロアがあるのを見てわが目を疑うほどに驚いたことがあります。

ライブドアのホームページにもアダルトサイトに入るリンクがあったり、ライブドア自身もアダルトゲームの製作に関わっていたりします。インターネットで儲けようとする企業としては、さほど不思議なことでも悪いことでもないという感覚なのでしょう。アダルト、ゲーム、スポーツはライブドアなどの企業にとってはほとんど同列の感覚だといえます。

ところが、そこにプロ野球業界の人々が持つ意識との間に大きな落差がありました。プロ野球といっても、野球選手はもともと少年野球から始めたわけであるし、野球を通じて大人だけでなく青少年たちに健全な心と体を育ててほしいという気持ちが根底にあります。当然、今回の質疑応答ではライブドアのアダルト問題に質問が集中し、堀江社長は返答に苦しむことになった。

特に巨人軍の清武代表が厳しくその問題を追及されたとのことですが、まだまだ日本の野球界も見捨てたものじゃないと思いました。お金さえだせばオーナーになれるというわけじゃない。確かにプロ野球界は経営が困難になっているけれど、青少年の育成精神を犠牲にしてまで助けてもらおうとは思わないよ、というスポーツマンの自負心が感じられました。

オリンピックでは、自分の限界に挑戦する姿や、むつまじい親子の姿を見て、スポーツの素晴らしさを痛感させられました。プロ野球も基本的にその精神は同じでしょう。「健全な体に健全な心が宿る」という古いことわざがありますが、確かにスポーツを通して精神が鍛えられるし、観戦する者も深い感動を共有することができます。それを犠牲にするような事態が起こった時こそ、日本のスポーツが本当に堕落する時であると言えるのかもしれません。



  宗教者の人権に対して野蛮な日本の文化 2004/10/06(Wed.) 22:05 

先日発売された講談社「月刊現代」の中に、ルポライターの米本和広氏が書かれたドキュメントが載っています。題名は「書かれざる『宗教監禁』の恐怖と悲劇」というものです。

これは、統一教会信者を拉致監禁してきた日本基督教団や福音派の牧師たちの行為を具体的に指摘しながら、宗教者に対する拉致監禁行為というものが一体許されるのだろうか、ということを問いかけたものです。

統一教会の女性信者が路上で引きずりまわされて服が破け、靴が飛び散っている露骨な暴力が起きているのに警察は助けもしない。。。拉致監禁した統一教会信者に対して日本基督教団や福音派の牧師が罵声を浴びせたり、包丁を突き立てて脅迫したりしても、そういう暴力に対して裁判所も違法行為であると認めない。。。逆に暴力的な拉致監禁行為をしたほうが裁判で勝ってしまったりする。。。こういう実に奇妙な現象は現在も続いています(今年の8月も今利理絵さんという監禁被害者の控訴審で今利さんが敗訴しています)。

統一教会は悪いんだ、だから拉致監禁してしまえ、暴力をふるっても許されるんだ、こういう考えは日本基督教団および福音派の牧師たちや左翼思想の弁護士たちの間では常識なのでしょう。そして、日本のマスコミは視聴率が最優先ですので統一教会をバッシングする方向で一致しており、暴力的な拉致監禁行為を認める野蛮な連中の意見だけを垂れ流すわけです。しかし、人権思想が徹底している諸外国では、こういったことは「絶対にありえない」といってもいいほどの明白な人権侵害なのです。

上掲書の執筆者である米本和広氏は、もちろん統一教会のシンパではありませんし、むしろ統一教会に対しては批判的な文章を書いておられた方です。その米本氏でさえ、これは人権侵害なのではないか、拉致監禁をしている側がおかしいのではないか、という問題提起をされたわけです。

みなさん、一度じっくり考えてみて下さい。日本は人権思想というものを戦争などで「勝ち取った」国ではありません。敗戦により、むしろ価値観が崩壊してしまった国家なのです。しかも、日本はキリスト教的な考えに基づく人権思想がありませんから、そこにうまく侵入したのが唯物思想すなわち「唯、物があるだけ」という心なき思想だったのであり、国家崩壊の自己中心主義思想だったのです。それが、宗教者の人権に対して日本人がきわめて野蛮な態度を示す根本の原因になっているのだと言えるでしょう。

そういう思想に操られながら視聴率を稼ぐテレビ局と、そこにうまく乗じる三流ジャーナリストたちが、今の日本文化の全体的風潮を作り上げているのです。これから日本に真実の文化を築き上げるとすれば、まずは今の日本における人権思想が間違ったものであり、それによって作り上げられた文化が「虚構」であることを見破るところから始めねばならないように思います。



  イチロー選手の快進撃 2004/10/04(Mon.) 20:01 

マリナーズのイチロー選手が、もはや不動とも言われていたシスラーの年間安打記録(257本)を塗り替える快進撃をなしとげました。これは、やはり日本人としては非常に嬉しいことです。

「スズキ」、「イチロー」。。。苗字も名前も平凡といえばきわめて平凡です。しかし逆にいえば、これは日本人を代表するような名前だとも言えるでしょう。しかも、メジャーの最前線にあって多くのアメリカ選手たちと交流しながらも、妙にアメリカナイズされていない点が彼の良い所だと思います。

普通は、世界中が注目するような目標を達成した時には飛び上がったり、はしゃぎまわるものですが、イチロー選手はいたって冷静で、偉業達成に大きな歓声が沸く中、帽子を取って観客に礼儀正しく挨拶をしました。こういう態度はなかなか出来ないものです。

イチロー選手の野球は、まず精神的に「落ち着いていること」、体全体を使って「柔軟(器用)であること」、盗塁などの「チャンスを逃さないこと」という、いくつかの特色をあげることができると思います。
必ずしも巨体でもなく、腕力が人一倍強いというわけでもなく、むしろ小柄な選手といえます。その体を柔軟にフル活用してしかも力まず落ち着いている。。。こういうイチロー選手の魅力は、今やアメリカのスポーツ界では研究の的になっているとも言われています。

野茂、松井、イチロー。。。日本の選手が礼儀正しく、かつ他の選手にも見本になるようなプレイをする時、まだまだ世界における日本人の使命は重大なものがあるということを自覚させられます。特に精神面における日本人の美徳はもっともっと世界に知られるべきだと言えるでしょう。



  朝日新聞社員の犯罪と会社の体質 2004/10/01(Fri.) 19:18 

朝日新聞東京本社のW容疑者(44)が強制わいせつ行為をしたということで逮捕されました(警視庁四谷署)。これは破廉恥な行為ということで、ある意味では単純なのですが、もっと複雑に考えさせられる犯罪もありました。

8月11日、朝日新聞東京本社の山田遣人(けんと)記者(29)が道交法違反の罪で宮崎地裁に起訴されました。山田被告は昨年10月25日に乗用車の夜間通行が禁止されていた宮崎市の市道で乗用車を運転したため、宮崎北署に交通反則切符を切られました。あたり前です。しかし、その際に本人は「ここが通行禁止であることはおかしい」と抗議して署名を拒否し、出頭命令にも応じなかったため、警察としては略式裁判ができないので正式に起訴するしかなくなったわけです。

もしも山田被告の言うように、その市道が夜間通行を禁止していることに対して不服なのであれば、きちんとした抗議の仕方もあるのではないかと思います。仮にその規則によって生活に支障が出るほどであれば、その法令を再検討するよう自治体に申し出るとか、場合によっては法の無効を訴える行政訴訟を起こすとか、いろいろあると思います。

ところが、その初公判(9月22日宮崎地裁・高原知明裁判官)で山田被告はあっさりと起訴事実を認め、「間違いありません」と言ったというのだから全く不可解なことです。もしも本人が正しいと思う考えがあるのであれば、一応は陳述すべきだと思われます。

では、どうして本人があっさり起訴事実を認めたかというと、その理由について被告人質問では「上司から(争うのは)『やめなさい』と言われた」と述べたということですから(河北新報社9月22日)、これまた驚きです。何だか、これでは最初から本人の意思ではなくて全部会社の意思を反映して動いていたんじゃないかと疑ってしまいたくなります。

検察側は「過去に速度違反や信号無視を繰り返し、警察官に暴言を吐くなど反省の態度はない。思い上がりとしか考えられない」と指摘したということですが、この事件から察するに、こういう「思い上がり」体質は朝日の体質そのものを示していると言えるのではないでしょうか。




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