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20121

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江本武忠
(えもと・むちゅう)

(2004/08/27(Fri.) 17:46 〜 2004/05/11(Tue.) 14:04)

  信じ難い判定 2004/08/27(Fri.) 17:46 

オリンピックの男子レスリングで最悪の判定が出ました。笹本睦選手とブルガリアのナザリャン選手の試合で、主審が相手の反則によって笹本選手に2ポイントを入れようとしたのですが、副審たちがビデオを見ながら全く逆の判定で相手に2ポイントを入れました。

これについて、サンケイスポーツなどはハッキリと「誤審」という表現を使っていますが、日本レスリング協会会長の福田富昭さんが「あれが反則でないと言うのならレスリングにならない」と評しておられたように、実質的に誤審だと言うべき判定なのでしょう。

競技場に置かれたビデオは一つの方向からしか映していませんから、相手の反則行為が死角になっていて見えなかったというのが誤審のカラクリでした。しかし、全世界の人々が見ているテレビ放送などでは何度見ても笹本選手の腰から足にかけて相手が手で妨害している姿がはっきり映っており、典型的な反則の見本のようなものです。

この科学が進歩した時代、一つの方向からしか映さないビデオをかたくなに信じて強引に主審の判定をくつがえすオリンピックというのはいかがなものか。。。
日本の相撲でも、「物言い」がついた時は四方面からの審判に確認を求めた上でビデオ録画を参考にして判定します。今回の審判たちに対しては、思わず「今は古代ギリシャ時代ではなく、地球が丸いことが分かっているのですよ」と言いたくなってしまいます。

う〜む。。。これこそ古代アテネオリンピックの復活現象なのか。笑。



  審判員のモラル向上を望む 2004/08/25(Wed.) 00:33 

アテネオリンピックは例年に比べて日本人のメダル獲得も多く復興していますが、必ずしも良き審判には恵まれていないようです。
女子レスリングの浜口京子選手の試合の時、スコアの表示が最後のほうで変更(修正)されたため、浜口選手は試合終了まで得点を勘違いしていました。選手は自分と相手のポイントを掲示板の表示で確認して攻防を練りながら戦うわけですから、その表示が間違っていたらたまったもんじゃないです。何のための表示か分からない。浜口選手の父親は激怒しておられましたが無理もないと言うべきでしょう。

同じ女子レスリングの伊調千春選手の試合の時も、(私の個人的な印象ですが)審判の判定は大変おかしいものでした。明らかに伊調が相手のうしろに回わり込んでポイントが入ってもいい状態なのに得点にならなかったのも変だなあと思いましたが、両者が同点であったのだから、どう見ても終始攻め込んでいた伊調の側が優勢であると判断されるはずなのに、すんなり相手を勝たせてしまいました。相手としても勝ったのは意外だったのでしょう。尋常でない驚き方をしていました。
もちろんスポーツですから審判の判定が絶対ですが、判定の根拠が常識的に考えても説明がつかないというのでは困ったものです。

競泳男子200メートル背泳ぎ決勝では、アメリカのピアソル選手が1着になったあとすぐに泳法違反(150mのターンの前にうつぶせになったあと禁止されているバタ足を打った)で失格になりましたが、「手続きの不備」などで失格は取り消されて再び優勝が認められました。
これも変な感じです。「手続きの不備」といっても報告書が国際水連の公用語である英語かフランス語で書かれていなかったから、というような理由だったのですが、そんな外面的なことよりも選手が明らかなルール違反をしたかどうかという事実認定のほうが重要に決まっていますし、ビデオで確認すれば判定は十分できます。

また、男子の体操では韓国の選手の採点に重大なミスがあり、韓国は「金メダルを返せ!」と騒いでいますし(スポーツ仲裁裁判所に調停を申し入れるとのこと)、鉄棒の競技においてはロシアのネモフ選手が非常に難しい離れ業を6回も連続して見事に演技したにもかかわらず得点が低かったので観客がブーイングをしたところ、その勢いに押されて得点がアップして表示されました。観客のブーイングで得点が変更するとは。。。これこそ前代未聞です。

審判の判定を絶対視しなければ公平なスポーツは成り立たない、それはよく分かります。しかし、それだからこそ、審判自身の技術やモラルというものも強く問われなければならないのだと思います。
審判さえしっかり(というか普通に)役目をこなしてくれていれば金メダルだったかもしれない、というケースを考えると実に残念な気がします。それにしても、こんなにヘタくそな審判が集まったオリンピックもめずらしいのではないかと思います。



  「柔」の精神 2004/08/19(Thu.) 12:17 

今回のオリンピックは日本柔道の活躍が目立っています。日本の金メダルは現在8個ですが、その内の5個は柔道です。銀は3個ですが、その内の2個が柔道です。オリンピックの発祥の地アテネで、日本の国技が大活躍する姿は実に頼もしい限りです。

柔道の「柔」は「柔よく剛を制す(柔能制剛)」という精神が込められていると言われています。「ヤワラちゃん」こと谷亮子選手は146cmの小柄で、しかも手足を損傷して痛々しいテーピングをしながらも、相手の力を利用して(借りて)大きな者を投げ飛ばす「柔」の精神をみごとに見せてくれました。また、夫婦で一生懸命頑張っている姿にも本当に暖かいものを感じます。

日本柔道の神様と言われた三船久蔵十段は、「柔よく剛を制す」の極地とも言うべき「空気投げ」という技を体現されました。三船十段は159cm、55kgという小柄でありながら、何百回という試合で「生涯無敗」であったばかりか、決して自分を高ぶることなく、稽古においても相手が熟練した柔道家であろうが柔道を始めたばかりの小学生であろうが何の区別もなく自ら直接相手をして熱心に指導されたということです。

日本という国は国土も狭く、資源も豊富ではありません。他の国の力を借りなければ1億2千万人の国民は存続できないと言っても良いでしょう。日本文化に流れる「柔」の精神とはいかにあるべきなのか、世界において日本はどういう身のこなし方をすればよいのか、アテネにおける柔道の活躍から日本自身が大きく学ぶことが出来るとすれば、それこそが大きな成果であると言えるでしょう。



  「小学6年生」、付録はもっとひどかった? 2004/08/15(Sun.) 17:36 

アダルトサイトにつながるホームページを紹介していた「小学6年生」ですが、実はその「付録」にはもっとすごい内容があったということでした。子供の学習雑誌については基本的に信頼感があるので、付録の内容までいちいち立ち入って点検することもないでしょうけれど、今回の事件をきっかけに内容を改めて読んだ主婦たちから驚きや抗議の声が出ているとのことです。[Click Here!]

「小学6年生」の付録によると、イラスト図解の性器や性行為の説明があり、しかもセックスをするのに相手のことを「好きとか嫌いとか関係ない」とか、同性愛についてもまるで奨励するかのような書き方になっている。これでは「小学6年生」は学習雑誌ではなく、子供たちを同性愛や愛情を無視した性行為に導く有害図書だと言わなきゃいけなくなってきます。

この現象は、明らかに子供の“学習雑誌”自体がジェンダーフリーの家庭崩壊思想に毒されていることを意味するものでしょう。批判力のある成人が読む雑誌ならばともかく、小学生が読む学習雑誌にこういう家庭破壊的な思想が混入していると、読む者はそれを無批判に受け入れてしまいます。

「性」は「愛」という目的を成就するための手段だと思います。目的を無視すれば手段だけが不節操に一人歩きしてしまいます。愛を無視した性の自由を強調するジェンダーフリー的な思想が低年齢に浸透した過程と、異常な犯罪が低年齢化した過程は一致するのではないかと私は思うのですが、この恐るべき家庭崩壊・国家崩壊思想そのものにメスを入れない限り、病める日本文化の根本的な癒しはないと言わねばなりません。



  アテネオリンピックに思う 2004/08/14(Sat.) 20:09 

オリンピック発祥の地であるギリシャで、108年ぶりに開催されるアテネオリンピック。その開会式の模様は、人類史のパノラマを見るような鮮やかなものでした。

ギリシャはオリンピックという体育競技の発祥の地であると同時に、ピタゴラス、ソクラテス、プラトンを始めとする数学や哲学の原点を築いた地でもあります。そういう意味で、今回のオリンピックは人類全体が文化と体育の原点に再び立ち返るような意味が強いのでしょう。

人類は、いまだに恐るべき戦争を続けています。エイズの脅威からも解放されていません。森林破壊、オゾン層破壊などによる環境危機も緊迫しています。そういう状況の中で、人類の知性のふるさと、知的遺産の国家とも言うべきギリシャにおいて、全人類が自らの歴史をふりかえり、人類が本当に求めてきた知恵とは一体何だったのかを思索することは、どれほど素晴らしいことでしょうか。

日本が東京オリンピックを契機に一挙に国際化が進んだように、オリンピックはその国の文化や歴史に覚醒をもたらすもののようです。それは、全世界の人々がオリンピックを通してその国がたどった歴史を慰労し、称えるからなのかもしれません。アテネオリンピックの開会式を通して、人類がたどった壮大な知性の歴史を共に称え、真実の平和を求めようとする人類の姿を見る思いがしました。



  「ジェンダーフリー」という唯物思想 2004/08/13(Fri.) 10:23 

「ジェンダーフリー」という定義の不明確な言葉が、政府の進める「男女共同参画社会推進」と混同されていることがよくあります。ジェンダー(性差による種別)を撤廃して、オカマもホモレスも何でもありの社会にしましょうというのが「ジェンダーフリー」の思想であって、政府が進める方針とは何の関係もありません。

昨日(8月12日)、東京都教育委員会は「ジェンダーフリー」という用語を教育現場から排除することを決めました。[Click Here!] これは実に賢明な対処だったと思います。「ジェンダーフリー」という、いわゆる横文字の聞こえのいい用語に惑わされて、それがまともな家庭を崩壊させる危険思想であることに気づかないまま、用語が一人歩きすることは危険思想家たちの巧妙な戦術にはまってしまう恐れがあるからです。

ジェンダーフリー思想によると、男女の差をなくすために名簿も男女の区別を無視した「混合名簿」を使用し、小学生のランドセルの色も男女同じものを使用するなど、いわゆる「男らしさ・女らしさ」を徹底的になくしてしまおう、という教育が進められます。

左翼思想を持つ人々が進める性教育にも、ジェンダーフリー思想が流れています。小学2年生ぐらいで男女の性器について細かい名称を教え込み、性行為や避妊の仕方まで載っている教材を配布し、男同士・女同士が結婚してもいいのだ、という家庭崩壊思想を刷り込みます。

まだ自我というものが明確になっていない時期に、そういう家庭崩壊思想を刷り込まれると、それを自力で変えようとすることは難しくなります。小学生にとって担任教師の影響はきわめて強いものがあります。「教育現場」という便利な密室洗脳機関を使って自分たちの唯物思想を植え付けてしまおう、というのが彼らの早期性教育の考え方ですが、戦後ずっと日教組が牛耳ってきた教育現場には「ジェンダーフリー」という名の恐るべき家庭崩壊・国家崩壊思想が蔓延していると言わねばなりません。

ちなみに、キリスト教は「男らしさ・女らしさ」を否定するジェンダーフリー思想には全く反対です。それは、例えばマザー・テレサのメッセージなどにもよく現われています。[Click Here!]



  「小学6年生」にアダルトサイト案内情報? 2004/08/10(Tue.) 11:36 

暑い日が続きます。
サーバの変更に伴い、いろいろ不具合も生じてしまいました。かなり修復しましたが、まだ完全ではない部分もありますので、ひとつよろしくお願い申し上げます。

小学館が長期的に発行している学習雑誌(かな?)「小学6年生」の中でアダルトサイトに飛ぶようなホームページの紹介があったということで、書店の店頭から回収作業がなされているとのこと。小学館は「週刊ポスト」がヘアヌード路線に走った頃からおかしくなったと思いますが、それはさておき、今回の出来事はネット文化が低年齢化すると共に起こるべくして起きた問題という気もします。一部の主婦たちの指摘でわかったということなので、指摘がないまま放任されているケースもあるのでしょう。

この種の学習雑誌は、小学生が自分でお金を出して書店に買いに行くというよりは、親が保護者名義で定期購読を申し込んでいることも多いと思いますので、いくら書店の店頭から回収しても情報が出回るのを食い止めるということは不可能に近いと言えます。好奇心が旺盛で、しかも友人同士の交流が親密な小学生においてはかえって逆効果になる可能性すらあります。

そもそもインターネットは老若男女が入り乱れた情報網であるばかりか、そこには国境すらもなく、アドレスさえ分かればどんな危険なサイトでも誰でも見る可能性があります。
また、パソコンという道具を使用することもあって、インターネットはTYゲーム世代の低年齢の間に一挙に普及しました。中学生がハッカーとなってサイバー攻撃をする時代です。問題は、いまや教育者や親などが追いつかないほどに小中学生のほうがインターネットに詳しくなったということであり、そういう知識の逆転現象ともいうべき問題をいかに考えるかという問題を抜きにして単なる教育論を展開することは、双方の世代にとって不幸なことです。

今後ますますインターネットは低年齢化するでしょう。しかも、その影響が深い精神面において大きいというインターネットの特質は非常に重要なことです。もはや、「見るな」「近寄るな」というような表面的な対策では間に合わない状況になっていることを感じさせられます。
インターネットが内面に与える影響が強ければ強いほど、より強く人間の内面を刷新して真実に至らせてくれるもの、そういうものを見つけることこそが現実の急務であることを、今の社会現象が示していると言えるのではないでしょうか。



  2億円の義援金 2004/07/28(Wed.) 10:31 

福井県の集中豪雨で被害を受けた人々に対する見舞金として、2億円の宝くじ当選券を贈られた匿名の方がおられましたが、その高貴な精神に心が洗われる思いがしました。

一体、このお金がどのように使われるかということについて多くの人が関心を寄せていまたが、結局他の義援金と合わせて被災者1万4479世帯に一律2万円の見舞金を支給する形で使われることとなり、それもまた有意義な案だと思いました。

もちろん、2億円といっても一律に分配してしまうとわずかな金額になるため、もっと別の形で使用するほうがいいのではないかという意見も出ていますし、そういう考えにも説得力があるのでしょう。しかし、それを敢えて一律に支給することを決めた県の方針の中にはお金には換え難い温かい心遣いが感じられます。

家を失い仕事を失った被災者にとって、もちろんお金は必要ですが、もっと必要なものは同じ国に生きる人間として助け合いたいという温かい心情の働きかけであろうと思います。
2万円自体は大金とは言えないかもしれませんが、被災者一人一人の心に大きな力を与えるものだと思います。そのお金は被災者の数だけ形を変えていくのでしょうけれど、そのような形で義援金を送られた匿名氏の心が千変万化して多くの人々の心の中にしっかりと残り、永遠に人の心の温かさを感じることの出来る道を選んだ福井県の判断は、復旧の見通しも立たない悲惨な被災の現場においてなし得た最善の選択だったのだと思います。



  女子高生コンクリート詰め殺人事件 2004/07/13(Tue.) 23:09 

先月、埼玉県八潮市で監禁・傷害事件があり、犯人は東京地検により起訴されましたが、産経新聞によるとこの犯人(神作譲被告人)は1988年に起きた女子高生コンクリート詰め殺人事件のサブリーダー格の男であるという。[Click Here!]
少年犯罪が多発する昨今ですが、この事例のように一度は法の裁きを受けて反省の機会が与えられてもまた同様の犯罪を犯してしまうのはなぜなのでしょうか。

特に、コンクリート殺人事件はあまりにも冷酷な事件でした。[Click Here!]思うに、人間がこういう冷酷な行為を平然となしうるのは、それ相当の思想、すなわち「この世は唯、物質しかない」という唯物思想の環境で育った場合に、こういう恐ろしい事態を容易に引き起こしてしまう要因となるのではないかと思われます。

コンクリート殺人事件は共産党員の自宅で起きたものでした。[Click Here!]また、コンクリート殺人事件当時、今回起訴された神作被告(当時は別姓でしたが)の代理人として弁護した人物は、左翼弁護士として知られる伊藤芳朗弁護士でした。

二度とこの種の冷酷な事件が起きないようにするには、犯罪者自身の唯物的な思考の間違いについて根本的に反省を求めることから始めなければいけないのではないかと思います。



  オウム石川公一逮捕に思う。 2004/07/08(Thu.) 14:02 

暑い日が続きます。。。
家を引越ししてから、やることが多くて大変です。まあ、やるっきゃないですが。

最新の話題でオウムの石川公一(オウム「法皇官房」最高幹部)が、国松警察庁長官狙撃事件の容疑者として逮捕されましたが、これは一連のオウム事件の中で非常に大きな意味を持っていると私は思います。

石川は他の信者とは違って、麻原の最愛の3女アーチャリーの教育係を任せられるほど教祖から信頼された人物であり、しかもオウムの実質の教義内容の骨格を作ったのも彼であるし、オウムがある時点から宗教儀式(イニシエーション)に使用した薬物関係の指導をしたのも石川でした。彼は東大医学部に在籍していたので、麻原に対して医療上の知恵も与えていました。

麻原は91年1月に東大生を集めて「オウム真理教東大生グループ」を作って知能集団のようなものを組織していましたが、石川はそのグループのトップとして教祖の寵愛を受けながら教団の方向性などについて助言をしていたのです。

また、彼は大物政治家との人脈を持っている関係もあって、麻原の側近中の側近でありながら常に身柄を守られる立場にありました(ほとんど全ての事件の概要を知っていると思われる位置にあったにもかかわらず一件も起訴されていないことは、まことに不思議だと言わざるを得ません)。
現在、麻原は薬物(主にLSD)の影響でかなり脳がやられていますが、この石川という男こそ、オウムの教義がいかにして形成されていったか、一連の犯罪がどのようになされたかを教団の「内側から」客観的に述べることができる人物であると言えます。

石川逮捕という新局面を見て、私は以前オウムの現役信者らと教義内容や事件について徹底的に論戦した時のことを昨日のことのように思い出しました。オウム事件とは一体何だったのか。教祖の死刑確定を待つばかりとなった今、側近中の側近であった彼がその本質に迫る供述をなすことに期待したいと思います。まずはともかく、警察の当面の狙いである国松長官狙撃の真犯人逮捕が不発に終わらないように願うばかりです。



  引越しでドタバタ 2004/06/15(Tue.) 10:21 

引越しの作業で、しばらくドタバタしておりました。
その関係で、ブロードバンド回線の復旧にも2週間ほどかかってしまい、この日記もお留守になっておりました。

先日、あるマンションにお住まいの方のインターネット接続設定をしましたが、マンション全体に光ファイバー回線が来ていて、大変便利なようでした。これからはそういう契約形式の建物が増えるのでしょうか。

最終的には、地球全体が光ファイバー網で結ばれるようになっていく。。。のかなあ。



  裁判員制度は、果たして日本社会になじむのか 2004/05/22(Sat.) 00:34 

5月21日、裁判員制度に関する法案が国会で可決成立しました。これは、重大な刑事裁判に対して国民が「裁判員」として裁判官と一緒に被告人の有罪・無罪を決めたり刑の重さを決めたりする制度です。

裁判員は、20歳以上の国民から無作為に選出されますので誰でも裁判所から「召喚」(呼び出し命令)される可能性があります。政府の試算では国民68人に一人は一生に一回経験するだろうとのことですが、この召喚を断ることはよほどの理由が無い限り出来ないことになっています。
しかも裁判員の仕事はきわめて責任が重い内容で、例えば事件の内容を漏洩するなど守秘義務に違反した場合には6か月以下の懲役または50万円以下の罰金刑となります。

ただ、これほど国民に負担をかける重大な決定であるのに、具体的に裁判員がする仕事内容や責任の重さについては必ずしも国民に広く告知・啓蒙されているとは言えないような気がします。本当にこの制度は国民の合意が得られた法案だと言えるのでしょうか。私にはかなりの疑問が感じられます。

裁判員は裁判所で何をするのでしょう。裁判に対する助言や感想を述べるような軽い内容ならばともかく、実際には裁判官とほぼ対等の立場(責任)で有罪・無罪を決める重大な仕事をするわけで、法律の専門家でさえ意見の分かれる法解釈や法の運営について素人の裁判員が加わることで本当に「より正しい判断」になるという保証はあるのでしょうか。

私は民事裁判に関しては何度も法廷に立ったことがあるので、裁判がどういうふうに行なわれるか大体の流れやポイントは分かるつもりですが、刑事裁判についての判断は非常に難しいと思います。特に被告人が無実を訴えているような場合、一つ間違えると重大な人権侵害を犯す恐れがあるからです。
しかも現実の事案は検察と弁護人が双方の対立する立場から何度もやり取りをして争点を煮詰め、当事者の事情をよくよく知らなければ判断できない内容が多いと思いますので、かなり法律に詳しい人間でもいきなり自分の意志に反して呼び出された場合には正確に判断できるかどうか怪しいものです。

ましてや、裁判員といっても一般に裁判とか法律解釈になじみのない主婦やサラリーマンが圧倒的に多いでしょうから、多忙の中をいきなり裁判所に呼び出されて、当事者を有罪にするか無罪にするかという個人の人権に重大に関わる高度な判断ができるとは到底考えられません。
これが、もしも「どうせ有罪に決まっている刑事事件だけを審理するので難しい問題ではない」などと政府が考えているのならば、それこそ被告人に対する人権侵害も甚だしい法案だと言わねばならないでしょう。

この法案の実施は2009年をめどにしているということですが、実施するまでによくよく裁判員制度というものの目的や実際の業務内容、責任内容などを国民に告知し、理解を得ることが必要でしょう。

裁判員の存在は、裁判が密室的に行なわれないように国民が監視するという意味で有益なのだろうと思いますが、これを「制度化」してしまうということは、いわば裁判を監視しようという強い意思のない国民にまで裁判への参加を強いることになる、すなわち「不本意ながら罰則が恐いので参加する」とか、「この忙しい時に裁判所から呼ばれた」と不平不満の気持ちを内面に持ちながら参加する人々が多数生じることが予想される制度ですから、くれぐれも被告人の人権に対する配慮を優先する方向で再検討してほしいものだと思います。私個人の意見としては、実施するにはまだまだいくつもの準備段階が必要な制度ではないかと思います。



  年金茶番劇は「衆愚政治」の見本 2004/05/18(Tue.) 09:38 

世間は年金未納&謝罪のオンパレードです。

福田官房長官は過去に年金未納期間があったことで、官房長官を辞任しましたが、その後、民主党の菅直人代表も未納問題で代表を辞任。その菅代表の未納問題を厳しく非難した公明党の神崎代表、冬柴幹事長、北側政調会長ら(この3人はいずれも弁護士)も未納期間があったことが判明し、陳謝しました。

また、社民党の土井前党首、石原都知事など次々と年金未納の事実が発覚、テレビで謝罪。国会議員の年金未納問題をテレビで厳しく追及していたお茶の間の人気ニュースキャスター田原総一朗、草野仁、筑紫哲也、安藤優子、小宮悦子らも未納期間があったことが分かり、テレビで謝罪。筑紫哲也さんは「厳しく批判してきた身として誠に恥ずかしい」として当分の間、出演を控えることに。。。

余裕の笑顔で勝ち逃げできるかと思われた小泉首相自身も未納期間があったということでこれまた大騒ぎ。更に、昨日は未納問題で辞任した菅直人代表の後任として登場した小沢一郎さん自身も20年ぐらい前に未納期間があったということで、代表になることを辞退。。。これが今の日本の姿です。小学生の喧嘩みたいです。

「お前のほっぺたにごはんつぶが付いとるぞ」
「なんやねん、よう見てみい。お前も付いとるがな」
「あれ? よう見たら、ほとんどみんな付いてるなあ」
「やはり、日本の弁当箱には制度的欠陥があるようだ」
「そうだそうだ。そういうことにしよう」
「待てよ、この弁当箱、何だか怪しい仕掛けが。。。」
「あっ、関係ない人がおいしそうに全部食べとるがなあ〜」


日本国民(有権者)の40%ぐらいは年金未納です。単に「未納の期間があった」という人々も入れると80%以上が該当するかもしれません。国会議員だって国民に違いありませんから、そりゃあ徹底的に調べれば未納期間があった人が大勢いることでしょう。そんな当たり前みたいな現象について、何十年も個人情報をさかのぼって追求することにどれほどの意義があるものか、私は大いに疑問です。

「角(つの)を矯(た)めて牛を殺す」ということわざがありますが、牛の角がちょっと曲がっているといって無理に矯正しようとするあまり、牛自体が死んでしまっては何にもならん、というたとえ話の通り、まさに年金未納という、誰にでも容易に起こりうる制度上の欠陥に起因するミスの責任を厳しく追及するあまり、大切な日本の政治自体が生命を失ってしまうような愚かなことをやっている状況が今の日本だと思います。



  雅子様に関する皇太子殿下のご発言 2004/05/14(Fri.) 19:39 

皇太子様がヨーロッパ訪問を前に、同行されない雅子さまの状況について「雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です」と述べられたことで、宮内庁が大変な問題になっています。

雅子様の「キャリア」ということですが、雅子様はオックスフォード大学経済学部を卒業されたあと帰国して東大法学部に入学され、入学中に外務公務員1種国家試験に合格したため中退してそのまま外務省に入省、更に1988年から90年までケンブリッジ大学に留学して外交官として活動されましたが、93年にご結婚が決まったため外務省を退職して皇太子妃になられた、というような経歴です。

これは一般的に全く非の打ち所のない経歴で、これ以上の見事なキャリアを持つ女性はそう簡単には存在しないと思われますが、雅子様の場合に見落としてはいけないことは、英語・フランス語・ドイツ語に堪能な国際通の外交官として日本の国際的立場の向上を心から願う情熱があったからこそ、「皇室に入る」という極めて強いプレッシャーを乗り越えてご結婚を決断されたのであろう、と想像されることです。つまり、雅子様におかれては外交官のキャリアと皇室外交は同一線上にあるものと解しうるのだと思います。

皇太子殿下のご発言は、そういう雅子様の国際性の高い「キャリア」を否定したり、外交官を志した尊い「人格」を否定したりする心ない言動が皇室内で発生したということですが、興味本位であれこれ詮索することは全てマスコミに任せるとして、私たちは雅子様の心の中に存在した激しい葛藤の中に日本の真の改革の方向性を見出す努力をすることが必要ではないかと思います。

殿下のご発言の中に「雅子にはこの10年、自分を一生懸命、皇室の環境に適応させようと思いつつ、努力して来ましたが、私が見るところ、そのことで疲れ切ってしまっているように見えます」とありますが、ここに皇室という長い歴史や慣習を持つ国家の枠組みと、純粋に日本国家の国際的向上を願われる雅子様の人格の関係、すなわち歴史と個人、国家と個人の理想がお互いに葛藤する未清算の部分が露見されたと言うべきでしょう。

日本の歴史上、皇室における女性の位置は(女性が天皇になれないという法律上の問題もありますが)低かったと認めざるを得ません。統一原理では日本はエバ(女性)国家、世界の「母の国」という位置づけになるのですが、今回の皇太子殿下のご発言は自らが妻(エバ)の立場をいたわるように代弁して悲痛な内面を明らかにし、それについて皇室内だけでなくあえて国民の前に自覚を促され、日本という国家において雅子様の位置が一体どうあるべきかという問題を勇敢に問いかけられた所に日本史上重大な意義があると思います。



  Winny開発者の逮捕 2004/05/11(Tue.) 14:04 

昨日(10日)、Winny(ウィニー)というファイル交換ソフトの開発者(東大大学院助手・金子勇容疑者)が逮捕されました。Winnyについては大手出版社から解説本が出ていますし、PC雑誌でも定番ツールのような扱いをされていましたので、今回の逮捕はインターネット業界ではかなり衝撃的な事件です。

Winnyは個人のパソコン内部にある特定のソフトやファイルをお互いに匿名で自由に交換できる場を提供するシステム(P2P)で、それだけならば違法性はないのですが、利用者が100万人を超えてしまう状況になると、やはり有料ソフトをお互いに自由に交換したり、音楽や映画ファイルなどが制作者の著作権を無視して自由に出回ってしまう弊害は避けられそうにありません。

また、企業の内部名簿などが出回った場合、収拾がつかなくなるほど際限なく多数の人にコピーされてしまうという危険があります。実際、警察内部の組織図や名簿、自衛隊の内部情報、公安関係者の住所録などが出回っていることが今回の逮捕に拍車をかけたという見方もされているようです。

しかし、逮捕には大きな問題もあります。容疑者は著作権侵害の幇助罪(つまり犯罪を手助けした罪)の容疑で逮捕されたのですが、利用者が100万人にも増えて著作権侵害が日常茶飯になるまでの期間は開発者に対する違法性は問題にならなかったわけです。
すなわち、開発当初の初期段階で開発者自身に「大量に著作権侵害をするぞ」という犯罪の意思が存在していたことを立証できない限り、基本的には開発者に対しては罪に問えないというのが法律的な考えだと思われます。
ですから、せいぜい警察としては実際に著作権侵害をしている個々の利用者(実際の犯罪者)に対する捜査や処罰を強化しつつ、開発者に対しては問題の改善を強く要請する程度のことしかできないというのが通常の判断だろうと考えられるのです。

報道では容疑者自身が「逮捕されても仕方ない」というような事実を認めているようですので、これから無罪を主張することは難しい状況だと思われますが、それにしてもいろいろと考えさせられることの多い事件です。

Winnyのようなファイル交換ソフトは、ある意味ではお互いに持っている良い物を出し合って共有しようという「資産共有」のような志向性があって、その思想自体には評価しうる面もあるので一概にソフトの開発者を単純に犯罪者扱いすることには相当の抵抗感がある事件です。




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