オウム真理教麻原教祖の3女が文教大学(人間科学部)に合格していたにもかかわらず大学側が入学を拒絶した問題について、東京地裁が先月に3女の申立(入学者としての地位保全の仮処分)を認めましたが、文教大学もその地裁決定を受け入れて3女の入学を改めて認めることになりました(毎日新聞[5月6日20時3分更新])。
文教大学の場合、その直前に和光大学が3女の入学を拒否していたという事情があったため、それに単純に「右へ習え」ということで拒絶したという経緯もあったかもしれませんが、オウム教祖の娘が入学することで大学のイメージが落ちるという法人経営上の判断もあったのかもしれません。 しかし、本来誰にでも学問の自由を保障すべき大学が正当な理由もなく合格者の入学を拒絶することは許されないというべきでしょう。
麻原教祖は確かに大量無差別殺人を犯したということで第一審で死刑判決を受けましたが、3女にその罪が及んだわけではありません。しかも、未成年者であれば麻原教祖の親権行使という問題がからむのかもしれませんが、この人は21歳の成人です。入学を取り消しうる正当な理由はないという東京地裁の判断は全く正しいと私は思います。
日本人的な習性なのかもしれませんが、「オウムは出て行け」という社会的風潮が高まると、その本来の罪の内容が忘れ去られてしまい、まるで社会全体が人民裁判に加担する陪審員でもあるかのようにオウムに関わる者全員を差別するようになる傾向があります。
絶対に許されてはならないオウムの犯罪に対する憤りの感情と、その罪の清算のあり方を検討する理性を混線させてはいけないでしょう。オウム事件とは一体何だったのか、「被害者」とは一体誰を指すものか、法律論のみならず宗教的見地からの考察も、まだまだ本質は見えていないと言うべきです。 マスコミや一般大衆はともかくとして、少なくとも真理を追究する機関である大学においては、万人が模範とするに足る判断基準を示してほしいものだと思います。 |