米国政府は、統一教会創始者文鮮明師の夫人である韓鶴子女史の米議会講演(1993.7.28)を記念して、毎年7月第4日曜日を「父母の日」とすることを決定、国家の法律として大統領が署名し(公法103−362)、全米国民が永久に祝うべき国民の祝日として法制化した。 |
韓鶴子(ハン・ハクジャ)・世界平和女性連合総裁(文鮮明師夫人)の講演が全米の宗教指導者、政治家、学者等に与えた影響はきわめて大きく、韓総裁の講演の理念を実現するために「父母の日」を法制化する動きが生じ、ついに正式な議会の決議と大統領の署名をもって1994年10月14日、「父母の日」が毎年7月第4日曜日に祝われる国民の祝日となった。以下はその経緯である。 |
<アメリカ国民の祝日「父母の日」制定に至る経緯> | |
1993.5.26- | 韓鶴子女史が全米44か都市で講演を開始。この講演内容に共鳴した地方自治体などのうち、韓女史の趣旨を実現するため「真の父母の日」を宣言する市長等が現われるようになった。 |
1993.7.27 | ダン・バートン米下院議員が、この翌日行なわれる韓鶴子女史の米議会講演に先立ち、講演1周年に当たる「1994年7月28日」を「父母の日」として宣言する決議案を米議会に提出した。 |
1993.7.28 | 韓鶴子女史は、米国連邦議会(上院議員会館)において「真の父母と成約時代」と題する講演を行なった。韓女史は現代の家庭崩壊と不倫や道徳的退廃の深刻さを訴え、その根本的原因を解決するには神の創造理想と歴史の摂理を悟ることが重要であると主張。また、神の理想を実現するために多くの迫害を超えて活動している団体が統一教会であるという事実を具体的に語った。 |
1993.7.28- | 韓鶴子女史の講演を聴いた多数の上下両院議員、宗教指導者、学者らがダン・バートン米下院議員の「父母の日」に関する決議案に賛同した。 アメリカ自由連合(AFC)会長ロバート・グラント博士、黒人公民権運動指導者ウォルター・フォントロイ元米下院議員(M・ルーサー・キング牧師の元補佐)、ファーストAME教会セシル・マレー博士、コラル・リッジ宣教会ジェームズ・ケネディ博士、南部キリスト郷指導者会議(SCLC)ジョセフ・ラウリー会長、ボブ・ウィルソン元米下院議員などが賛同者の中心的人物であった。やがて、これらの有志たちが共同会長となって「全米父母の日連合(NPDC)」が組織された。 |
1994.3.11 | NPDC(全米父母の日連合)は、米国の家庭崩壊問題解決のために全国的な運動を展開し、1994年3月までに米下院議員総数435人の半数に当たる218人(民主党122人、共和党96人)の下院議員が決議案を支持した。 米議会では、下院議員の過半数が共同提案すれば本会議で表決できるため、3月11日に下院本会議で表決にかけられ、決議案は全会一致で承認された。 |
1994.7.20 | クリントン大統領が7月28日の祝典のために、父母の日制定が「測り知れない価値ある貢献」であるとのメッセージを寄せた。メッセージは「ヒラリーは私と共に、記念すべき日に最善を祈る」と結ばれている。 |
1994.7.28 | 米議会決議にもとづき、第1回「父母の日」記念祝典が米連邦議会の一室で開催された。そこで、伝統的な父母の役割を広めることに貢献した著名人に対する表彰がなされた。表彰されたのは、俳優ビル・コスビー氏、女優でゴスペル歌手のフィリシア・ラシャドさん、ステイプルズ・シンガーズ創始者で歌手のポップス・ステイプルズ氏、女優フローレンス・ヘンダーソンさん、俳優ジョン・フォーサイス氏、女優バーバラ・ビリングスレーさん、社会奉仕家W・ジョンソン氏らであった。 彼らは、少年少女時代に受けた父母の愛情の思い出を語ることで表彰の喜びを表した。歌手のステイプル氏は喜びを歌で表現した。 |
1994.8.5 | NPDCは、94年3月11日に承認された決議は「94年7月28日を父母の日と宣言して祝う」という1回限りのものであったため、すでに議会で決められている「母の日」(5月第2日曜)と「父の日」(6月第3日曜)に加えて、毎月7月の第4日曜を「父母の日」として恒久的に祝う法律が家庭再建のために必要であると考え、ダン・バードン議員らが「7月第4日曜を父母の日として恒久的に祝う法案」を議会に提案した。 ただ、議会の上下院および下院郵便市民サービス委員会は1986年以来、議事運営の都合上これ以上新たな恒久的祝日を定める法案を審議しないという決定をしていたため、奇跡的なことでも起きない限り恒久的な国民の祝日としての「父母の日」制定は不可能であるようにも思われた。 |
1994.9.30 | NPDCの懸命の努力に加えて、下院郵便市民サービス委員会も趣旨を理解した結果、同法案を下院本会議の審議にかけることに成功、法案は下院本会議の全会一致をもって承認された。 |
1994.10.4 | 同法案は更に上院本会議において全会一致で承認された。 |
1994.10.14 | 同法案に上院議長、下院議長、クリントン大統領が署名、ここに毎年7月第4日曜を「父母の日」として恒久的に祝う全米国民の祝日が正式に法制化された。 |
▼公法103-362 第103回国会共同決議(1994.10.14決議) |
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(参考訳) 公法103−362─1994年10月14日 公法103-362 第103連邦議会 共 同 決 議 7月の第4日曜日を「父母の日」とすること 招集された連邦議会においてアメリカ合衆国の上・下院議員によって決議 される。毎年7月の第4日曜日が「父母の日」として制定されるということは、 永久に繰り返される記念日として認められる。 地方、州、連邦の各レベルにおいて、全ての市民、団体、そして政府および 立法府は子供たちを育てることにおける親の役割を認識し、高揚し、支援する ことにおいて、宣言、活動および教育的運動を通して、父母の日を認識するよう 奨励される。 1994年10月14日承認 |
合衆国法典 36編142C 合衆国法典 36編142C-1 |
▼クリントン大統領署名
NPDC共同会長 ロバート・グラント博士のコメント | |
とくに父親の子供に対する役割に焦点を当てた。その発端になったのは、文夫人(韓鶴子女史、WFWP総裁)が議会で行なった講演だ。文夫人の講演は、父母が子供に対して父母たることの重要性を強調したものだった。それが米国において、父母の問題に取り組む運動を引き起こすことになった。そのための手段として考えたのが、米国で父母の日の伝統を設定することだった。 米国でも、母の日、父の日を祝うが、その伝統を延長し父母の日を決めて祝うというものである。米議会はこれ以上祝日を設定しないという方針を決めていたから、父母の日の制定は容易なことではなかった。奇跡的なことでも起こらないと実現しないと思われた。米議会において、リベラル派、保守派の2人の議員が「父母の日」の制定が重要であることに共鳴してくれた。その助けがあって私たちは法案を下院、上院で承認させることに成功し、94年10月にクリントン大統領が毎年7月の第4日曜日を永遠に「父母の日」と定め、祝う法案に署名し、それを法律とした。それは私たちの努力の直接の結果だった。これにより米国社会ではこれから毎年、家庭における父母の役割、父親の息子娘との関係について真剣に考え、話すことになる。米国の社会問題の根底にある家庭を、もう一度再建する癒しのプロセスが開始されることになった。非常に誇りに感じている。 95年の7月第4日曜日が第1回の「父母の日」になるわけだ。家族内で父母の日のカードを送ったり、父母の日についてコラムが書かれたりする行事が伝統化してゆくようになると思う。全米各州で父母の日の行事をしたり、やがては全米、あるいは世界で模範的父母が選ばれ、表彰されるなどの行事も始まるだろう。ホワイトハウスの祝賀への参加も考えている。 |
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ウォルター・フォントロイ・元米下院議員のコメント |
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(中略)黒人教会、とりわけ公民権運動が文師の統一運動と樹立した協力分野の一つは、夫婦、親子の健全な家族関係が、社会が抱える病弊の多くの解決となるということです。統一運動が推進してきた家庭教会(ホーム・チャーチ)は、社会病理の多くに対処するために強固な家庭を支援しなければならないという信念に基づいています。 (中略)文師はその生涯を通じて、父母が重要であり、カインとアベルが愛し合って神の愛を中心にした家庭をつくるうえで重大な責任があると説いてきました。 (中略)全米父母の日連合(NPDC)は、毎年7月の第4日曜日にいろいろな行事を計画しています。私たちは父母の日連合を通じて、企業、労組、教会、市民団体、地域団体の協力を求めており、7月の父母の日だけでなく一年中、父母の役割を促進する活動を進めようとしています。 |