文師が通学した五山普通学校

(「五山70年史」写真、光言社「聖地定州」掲載)



五山学校の創設者、李昇薫(1864〜1930)
文師が誕生した定州出身者は独立運動家が多いことで有名で、そのうちの大半が敬虔なキリスト教徒である。
五山学校創立者の李昇薫も定州の著名な独立運動家で、日本総督府からの弾圧で105人が有罪判決を受けた「百五人事件」と呼ばれる弾圧(1910年12月)で李昇薫は最高刑の懲役10年を受けている。
その後の3.1独立運動時にも投獄されたが、刑期中の3年間に旧約聖書を10回、新約聖書を40回精読したという。李は五山学校を1907年に創立したが、独立運動参加者が多かったため日本憲兵により放火された。現在はソウル特別市普光洞に移転し、彼の銅像も城東区の子供大公園に再建されている。
(写真は「南岡李昇薫と民族運動」所収、光言社「聖地定州」掲載)