1950年、空中に出現したイエス・キリストの姿


学研「ムー」1990年8月号
神の奇跡か!! 空中に浮かぶキリストの巨像
「1950年、時はまさに朝鮮戦争の真っただ中。半島の北緯38度線をめぐって、北朝鮮・中国軍と韓国・国連軍との間で、連日、激しい戦闘が繰り広げられていた。
韓国・国連軍は、中国から北朝鮮へ送り込まれる援助物資の補給路を断とうと、B-29戦略爆撃機隊を編成し、北朝鮮爆撃作戦に全力を注いだ。
一方、北朝鮮・中国軍側も同年11月に入って、ソ連のミグ-15ジェット戦闘機を登場させ、補給路の防衛につとめるべく激戦が展開されていたのである。
その日も激しい空中戦を終えたB-29の編隊、夕刻、基地に向けて帰途についていた。パイロットや兵士たちの顔には、疲れと焦燥の色が濃くにじんでいる。
異変は北西の上空で起こった。
突然、指令機のキャプテンのヘッドフォンに叫び声が飛び込んできた。それは、後方に続く僚機のパイロットたちおn声だったが、最初は何のことだかわからなかった。
『主だ! 空にイエス・キリストが現れた!』
『奇跡が起こったんだ!』
驚き、興奮した部下たちの声が、次々と耳に入ってくる。
『落ち着け! いったあい何を言っているんだ!』
キャプテンは怒鳴りつけた。だが、部下たちの騒ぐ声はいっこうに止もうとしない。彼は部下たちのあまりの興奮ぶりに舌打ちをしながらも、操縦席の窓越しに北西の空を見てみた。その瞬間、彼は驚愕のあまり体がグラリと揺れるのを覚えた。
雲におおわれた空に、巨大なキリストの顔がはっきりと浮き出ている!
パイロットたちは全員、十字を切りながら、感動にうち震えてこの奇跡の光景に見入り、なかには涙を流す者までいた。
やがて、キリストの像は遠ざかりはじめ、雲に同化して薄れていったという。
当初、この現象に対して、全員が幻覚を見たのではないかという意見が出された。激しい戦闘を追えたパイロットたちが、異常な精神状態のもとで、集団ヒステリーを起こしたのだろうというわけだ。
が、後日、この説は完全にくつがえされた。というのは、クルーのひとりがこのとき撮影した写真が現像された結果、そこには、まぎれもなくキリストの像が写っていたからだ。幻影でもトリックでもない。密雲をバックに、飛行するB-29の機影とともにキリストの顔が、確かに焼きつけられているのだ。」
(同書P.100)








 ■フランス
  「パリ・マッチ」誌

 (1951.10.20付)
フランスの「パリ・マッチ」誌は、この写真を掲載している。「このキリストの写真は、奇跡的ともいうべき偶然によって韓国の空に現れ、2機の爆撃機の後方を飛んでいたアメリカ人パイロットが撮影した。フィルムを現像するため、そのパイロットはシカゴにいる両親のもとに送った。驚いた事にかれの両親は、写真に、雲で形づくられた『人かげ』を見た。背景には2機の爆撃機が見える。この『神の写真』を見たシカゴの新聞はすぐさま、号外を発行したが、その号外は数時間以内に売り切れた」

イエス・キリストはなぜ十字架についたか。直接的にはイエスをメシヤとして証言すべき洗礼ヨハネがイエスを不信してしまったからであるが、その後イエスは12弟子を中心とする新しい教団を形成したものの弟子の一人であるユダが裏切ることによって12弟子の基盤を失い、ゲッセマネという場所で3弟子(ペテロ、ヤコブ、ヨハネ)の基盤を失い、最後は有名なペテロ(1番弟子)の裏切りによって、結局全ての基盤を失って十字架につく運命に至ったのである。

十字架についたイエスは、その後霊的に復活して40日間にわたって弟子たちを再び結集させて出発していったが、それが今日のキリスト教の基盤となった。本来ならば、2000年後に誕生した再臨主・文鮮明師はイエス・キリストを中心とするキリスト教の基盤の上に立つはずであったが、キリスト教が文鮮明師を不信することになったため、文師はイエスが失った基盤を再び命がけで取り戻さなければならなくなったのである。それが決死の興南収容所における路程であり、その監獄の中で文師は12弟子の基盤を確立したのであった。その結果、文師は十字架について死ぬことなく、奇跡的に救出されたのである。それは霊的復活ではなく、地上におけるメシヤの実体的復活であるともいえよう。

その後、文師はイエスが霊的に40日間にわたって弟子たちの前に現われたように、実体的に40日間にわたって命がけで弟子たちを集めていったのである。その当時、イエスがあたかも「雲に乗って来る」という聖書の預言のごとくに空中に登場したのは、イエスが自らの使命を託した文師の歩みにおいて、まさに文師が再臨主としてなすべき一つの責任を全うしたことを示すものであると言うべきであろう。

それはまた、イエスの公生涯といわれる3年間(30〜33歳)を再臨主が全うできるよう、神が確実に導いているという証しの現象でもあったと言えるかもしれない。まさに韓国動乱(1950〜53年)は文鮮明師の30歳〜33歳の3年間を意味しており、その期間にサタンが文師を殺害することができず文師が33歳を超えたため、サタンに操られていた動乱の首謀者ともいうべきスターリンが1953年に死亡したのである。

1950年、再臨を説いたドッド博士

著名な神学者C.H.ドッド博士は、1950年待降節の聖日ごとに4回にわたって英国放送協会国内放送でキリストの再臨について語っているが、1950年12月のクリスマス前夜(待降節第4聖日)においては、「キリスト教は『彼の到来の約束』を持っている。単に歴史の彼岸にある最後の来臨ではなく、現下の情勢への来臨である。それはこのクリスマスに起るかもしれない」と述べている。
(ドッド著「キリストの来臨」神田楯夫訳、新教出版社1953、P.51)

(参考サイト)
韓国動乱と統一教会の出発(「天地の諸事情」所収)

韓国動乱と統一教会の出発」 (江本武忠のブログ「天地の諸事情」より)

統一教会の創始者・文鮮明師は、1920年に現在の北朝鮮(平安北道)で誕生しましたが、統一原理という新しい真理を説く中、
キリスト教会と共産党からの迫害により、1948年に北朝鮮・興南(フンナム)の強制収容所(窒素肥料工場)に送られました。そこは、極端に劣悪な環境下で重労働を強いられる監獄であり、次々と囚人が死んで行く、まさに「生き地獄」のような受難の場所でした。

もしも文鮮明師が「再臨のキリスト」であるならば、朝鮮国は大変な運命をたどることになるでしょう。なぜなら、イエス・キリストを生み出したユダヤ王国がイエスを迫害したために国家が分裂する悲惨な運命をたどったと言われているので、もしも朝鮮国が再臨のキリストを生み出した国ならば、彼を迫害すれば何らかの悲惨な分裂の道をたどる恐れがあると考えられるからです。

イエスは30歳から33歳までの3年間、ユダヤで真理を説きましたが、受難を受けました。
もしも再臨の主が迫害された場合、その国(朝鮮)にとって、本来は偉大な真理がもたらされるべきであった3年間が悲惨な期間として失われるに違いありません。

実は、そのような摂理的背景によって勃発した事件が韓国動乱(朝鮮戦争)であり、それゆえに韓国動乱は文鮮明師が30歳から33歳までの3年間(1950年〜53年)続くことになったのです。そして朝鮮国は北朝鮮と韓国に分裂する悲惨な運命をたどりました。


韓国動乱が勃発した1950年、マッカーサーが率いる国連軍が北朝鮮を空爆し、8月1日には文鮮明師が収監されていた興南工場を爆撃しました(画像参照)。9月15日には仁川上陸作戦が成功し、更に韓国からの反共青年団の奇襲攻撃によって10月14日に文鮮明師を含む興南収容所の囚人たちが解放されました。

解放された文師には、獄中で伝道した12人の弟子がいましたが、その日から40日間にわたって北朝鮮に残っていた弟子たちを呼び集め、38度線を越えて南(韓国)に向かおうとしていました。イエスは受難から復活した際、12弟子を編成して再出発したとされていますが、文師の場合も同様だったのです。

まさにその頃、韓国の上空に巨大なイエス・キリストの姿が出現したのです(画像参照)。その写真は国連軍のパイロットによって撮影され、フランスの『パリ・マッチ誌』(1951年10月20日)にも掲載されました。ちなみに、学研『ムー』(1990年8月号)の記述によれば、その光景を見たB-29のパイロットたちは「主だ! 空にイエス・キリストが現れた!」「奇跡が起こったんだ!」と叫んだという。ここに、2000年前の主イエスが再臨の摂理にかける強い願いが伝わってくるようです。

ところでイエス・キリストの場合、ユダヤ国家に受け入れられなかったため、受難後はイエスをキリストとして信じる「キリスト教」という新宗教が発生して人類救済の真理が普及したのですが、再臨のキリストの場合、もしも国家に受け入れられなかったら、キリスト教に代わる新しい宗教をもって再出発するしかないのです。

そのような歴史的事情の中で、文鮮明師が33歳を越えて34歳を迎えた年(1954年)、「統一教会」(世界基督教統一神霊協会)という新しい宗教が現われ、最終的な人類救済の真理(統一原理)を世界に説く道を進むしかなかったのです。これが統一教会の始まりであり、人類歴史の流れにおける真実の一局面なのです。