<文鮮明師・米国裁判とダンベリー刑務所収監の経緯>
1975.- フレーザー委員会(米下院国際機関小委員会)が文師と統一教会に対して意図的な調査を開始。
1981.10.15 文師名義の銀行預金の利息について納税申告を怠っていたとの容疑で検察官が文師をニューヨーク州連邦地方裁判所に起訴。
1982.3.22 連邦地方裁判所、陪審員選任を開始。
1982.4.1 ゴーテル裁判長、連邦地方裁判所(ニューヨーク南部地区)で公判開始。
1982.4.21 (別件裁判で統一教会が勝訴
米国連邦最高裁は、ミネソタ州政府の統一教会に対する申告命令が違法(憲法修正第1条違反)であるとして、統一教会に対する全面勝訴の判決を下した。
また、判決文の中で、統一教会が宗教団体である旨が明記された。
1982.5.6 (別件裁判で統一教会が勝訴
ニューヨーク州最高裁判所は、統一教会に対するこれまでの課税の措置をくつがえし、統一教会が免税を受けるべき宗教団体であるとの判決を下した。判決文で「統一教会の目的は宗教的であり、逆に課税委員会の決議は独善的かつ気まぐれであり、法の錯誤による傾向がある」と述べた。
1982.5.12 連邦地方裁判所、陪審審議を開始。
1982.5.18 陪審有罪判決を答申。
1982.7.14 文師弁護団の裁判継続申請をしたが、却下された。
1982.7.16 第1審の連邦地方裁判所で、文師は裁判長による裁判を要求したが陪審制を強要され、その結果、懲役18か月、罰金2万5千ドル(約580万円=当時)の判決となる。
1983.9.13 2審(第二連邦巡回区控訴裁判所)では裁判長は文師を無罪としたが、他の2人の判事が1審を支持し、2対1の分立裁定で有罪判決となる。
1983.11.3 デトロイト・フリープレス」紙が「政府の文師に対する復讐裁判」であると強く政府を非難。
1983.12.23 ナショナル・レビュー」紙が文師裁判の陪審員について「あまり教育のない知的でない人々だ」と裁判長自身が発言したことを指摘、「政府の不当な介入であり、信教の自由を侵すもの」との論評を出す。
1984.2.5 ワシントン・ポスト」紙の社説は文師裁判について「ノアの箱舟(神の審判)のような形になった」と述べ、もしも文師と統一教会の権利を擁護できなければ「第二、第三の被害者が出る」、「この件について国民も黙ってはおれない」、と文師を全面支持する見解を示す。
1984.2.6 USA TODAY」紙が、「モルモン教からバプテスト教会に至る諸宗教団体が文師支持に集中している」と述べ、「米国民を代表する5千万人の有力宗教団体」が不当な裁判に対する懸念を持っていることを指摘。
1984.2〜3 全米の主要40教団および宗教指導者、法律家らにより、文師の有罪判決を覆すよう「法定助言書」が最高裁に提出された。
1984.2.26 ワシントン連邦最高裁に上告。この上告に伴ない、米国キリスト教会全国評議会(NCCC)、米国バプテスト教会、米国長老派教会等、40の主要宗教団体が最高裁にアミカス(法廷助言)を提出し、文師支持を表明した。
1984.2.26 ロサンゼルス・タイムズ」紙(社説)は、文師裁判を「信教の自由の侵害」であると指摘、憲法修正第1条の原理を再確認すべきことを強く主張。
1984.4.15 米国憲法小委員会委員長・オリンハッチ上院議員が最高裁に文師を無罪とするための法定助言書を提出。
1984.5.14 最高裁長官を除く8名の判事が5対3で再審理を拒否したため、キリスト教諸団体が一斉に反発することとなった。メディアは一斉に統一教会の立場を支持し、宗教団体は団結してこの裁判が信教の自由を侵害する不当なものであると叫ぶようになった。
1984.5.16 ニューヨーク・トリビューン」紙で、ジョージ・ハンセン上院議員が「起訴背景に偏見と政略」と題して国税局の不当な行動を指摘。
1984.5.20 ニューヨーク・タイムズ」紙で、ジョン・マクロウリー・元ホワイトハウス専任政治顧問が「文師に対する引き合わぬ勝利」と題して不当な裁判による損失の大きさを指摘。
1984.5.30 60教派約500名の聖職者らがワシントンで「宗教の自由を守る大会」を開催し、「文師が有罪ならば我々も同罪であるから、文師と共に入獄する」という決意表明をなした。多くの聖職者らは自分の手に手錠をかけて意思表示をした。
1984.6.11 50教派約500名の聖職者がニューヨークで「宗教の自由の日」大会を開催。「自由宣言文」を採択。
1984.6.12〜13 東京と関西で5000名の学者、宗教関係者、市民らが「宗教の自由の日」大会を開催、松下正寿・立教大総長、景山哲夫・近畿大学長、カプラン・シカゴ大教授等が中心になり、裁判の不当性を訴えてデモ行進を行なった。
1984.6.14 韓国ソウルで約1500名の法律家、牧師、神学者らが「宗教の自由の日」大会に参加。安浩相博士、李恒寧博士らが文師の無実を訴え、李柄勇・大韓弁護士会会長も署名で文師の無実を表明した。
1984.6.26 米議会で「信教の自由と憲法修正第1条」に関する公聴会が開かれ、文師が証言し、トライブ博士(文師の弁護人、ハーバード大法学部教授)、オリンハッチ上院議員(上院憲法小委員会委員長)らが文師の正当性を主張。
1984.6.27 ニューヨーク・トリビューン」紙は「信教の自由を求めた人々が米国を建設した。それなのに今、信教の自由は破壊されている。(中略)国税局こそテロ組織になり果ててしまった」というディクソン氏(非登録教会連合議長)の言葉を引用し、文師裁判の不当性を述べた。
1984.7.18 文師弁護人、刑の再審議を請求したが、ゴーテル裁判長が却下。
1984.7.19 文師、ニューヨーク・マンハッタン本部で記者会見。「アメリカよ甦れ」と題する声明を発表。
1984.7.20 文師(および神山威氏)、コネチカット州ダンベリー連邦刑務所に収監される。
1984.7.25 ワシントンで「宗教の自由ページェント」が開催され、約7000名の米国牧師たちが裁判に対する強い抗議の意思を表明した。
1984.8.13 第4回「神観会議」(37か国、350名参加)が米大統領に公開書簡を送り、文師の裁判に異議を訴える。
1984.9.24 日本の衆参両院議員51名、大学教授84名、その他有識者485名の合計620名が米国政府に対し、文師の無実を訴える嘆願書を提出。
1984.11.15 ラプラタ・カトリック大学、国連ビルで文師に名誉法学博士号を授与、アルヘンタト学長は「文鮮明師は税金申告漏れで入獄中だが、私は文師が無実であることを信じる」と述べた。
1984.12.- 文師、獄中から米国の牧師30万人に対して書簡を送付、統一原理を解説したビデオ(3巻セット)を贈呈。
1984.12.4 神山威氏、出監。
1985.1.1 那須聖・元毎日新聞ニューヨーク支局長、「牢獄の救世主」を出版。
1985.5.11 米ノースカロライナ州のショー神学校が文師に対し、「社会正義、宗教の自由等の分野で際立った貢献をした」との理由で名誉神学博士号を授与。
1985.7.9 米国有力紙「ニューヨークタイムズ」、「ワシントンポスト」、「ワシントンタイムズ」、「USA TODAY」が、「米国憲法を守る委員会」の意見広告を一斉に公表。その中で、文師が「政府陰謀の被害者」であり、この裁判でいかに不当な審理がなされたかが述べられた。
1985.8.20 文師、出監。
同日、米国の約2000名の牧師らが文師を歓迎する「神と自由のバンケット」を開催、文師が登壇すると全員総立ちになって「レバレンド・ムーン(文師)、あなたは勝利されました!」と叫んだ。