■平安北道定州に弥勒(メシヤ)が誕生するという伝説 (以下の伝説によると、趙氏の家系に弥勒が誕生する予定であったが失敗してしまったという内容になっている。ちなみに、文家の家訓に「趙家の過ちを繰り返すな」というものがある) |
▼ 元神奈川大教授・宮田登著『ミロク信仰の研究・新訂版』(未来社発行、1975) |
「孫晋泰『朝鮮民譚集』には、北鮮平北定州の超漢俊弥勒の伝説がのせられている。万暦任寅年間超漢俊なる者がいたが、(中略)全財産を投じて石橋を架けた。終わって余財は七文ばかり、それで一足の草鞋を買い取って旅に出たという。この漢俊は死んで三日目空中より声があって『超漢俊が弥勒となって出世するからよくこれを祀れよ』という。村人が声のする方角に行くと一座の石仏が地中から出現していた。人々はそこに小屋を立ててかぶせたが、弥勒は次第に大きく成長して屋根を突き破ってしまったので大屋をさらに作った。この超漢俊弥勒に祈れば男子を得ると信じられている。(中略)なお明の皇帝が一女をもうけた時、その背中に『朝鮮超漢俊』の五字があった。使を遣わして漢俊の有無を問うたが、時の人後患を恐れてその人のいたことを言わなかったので、明の皇帝は女子を妖物として殺してしまった。もし漢俊が七文で草鞋を買わなかったらば、明の皇太子に生まれ代わったのに、七文を利用したから皇女に生まれ、惨殺されたのたという話である。この超漢俊弥勒は民間によく口碑として残されているものだが、ミロクに子授けの機能があること、ミロクが再生すると期待されていること、そして外敵明の皇帝の意のままにならぬことを表示したことがうかがえる」(同書P.311〜312) |
北朝鮮「定州」の弥勒(ミロク)伝説 (江本武忠の「天地の諸事情」より) 宮田博士は孫晋泰氏の『朝鮮の民話』『朝鮮民譚集』を引用しながら、平安北道定州の偉人・趙漢俊の伝説を紹介しています。趙漢俊は全財産を投げうって、6年がかりで川(撻川江)に石橋をかける工事を行ない、多くの人々を助けた人です。 漢俊の死後3日目に空中より声があり、「趙漢俊は弥勒となって生まれるから、よくこれを祀れよ」という。村人が声のする方角に行くと石仏が地中から出現していた。人々はそこに小屋を立て、趙漢俊弥勒に祈ると男児を授かるという民間信仰が広まった。 しかし伝説によると、漢俊が行なった工事で余ったお金はわずか7文にすぎなかったが、彼がその7文を自分のわらじを買うために使ったため、世界を救う人物として生まれ変わることができず、中国(明)の皇女として生まれたという。 皇帝は、その皇女の背中に「朝鮮趙漢俊」の5文字があったため「妖物」として殺してしまった。もしも余財7文を自分のために使わなかったら、明の皇太子として生まれ、やがて世を救う人物になっただろうに、という内容です(『ミロク信仰の研究・新訂版』85〜86頁、311〜312頁を参照)。仏教の弥勒信仰を基盤としながら、常に中国を大国として強く意識しつつ生きてきた朝鮮民衆の気持ちが非常によく現れた伝説だと思います。 統一教会の文鮮明師は平安北道定州の生まれですが、文家代々の家訓の中には「趙家の過ちを繰り返すな」というものがあるそうです。文鮮明師または統一教会については、一般にはほとんど知られていませんので、教義や活動内容をある程度知りうる立場にある私としては、その由来や理念について多少なりともご紹介することができればと思っています。 ところで北朝鮮はいろいろな事情で文化的に遅れをとってしまった感があり、また世界からバッシングされる内容も多々あります。しかしながら、今月3日には韓国から受けた物資支援に対する「恩返し」として、精米されたコメ1トンが韓国京畿道に送られてきたということです(韓国統一省、5日公表)。 お礼とはいえ、困窮の極みにある北朝鮮にとってコメ1トンを寄贈することがどれほど大変なことでしょうか。北朝鮮は、政治的な立場はいろいろありますが、本来はそういう純粋で平和志向の精神伝統を持っている国です。世界に平和をもたらす弥勒出現の伝説が生きている北朝鮮の精神伝統の中に、南北統一を目指して今後平和国家へと大きく進展する希望を見出したいと思います。 |