<その源流について>
▼『日本版収容者列島』(宗教と共産主義問題研究会、善本社、1984)
「改宗ホームとは、統一教会員を棄教させる目的で設けられた改宗専用のヤミの収容施設のことである。
信教の自由など、自由と人権を手厚く保障している日本国憲法の下で、しかも首都・東京の23区内に改宗を強要する暴力的監禁施設が存在したということは、誰にも信じられまい。だが、真実、それは大っぴらに存在していたのである。
改宗ホームの正式の名称は『新生会ホーム』といい、その経営主体は『原理被害者更生会』(会長・後藤富五郎)であった。新生ホームが造られたのは昭和51年6月頃である。(中略)施設の窓という窓はすべて鉄格子で囲われていて、この中に強制収容された統一教会員が容易に脱出できないようにしてあった。閉じ込められた教会員は、この建物の中でロープや鎖で手足を縛られていた。(中略)
(中略)会長・後藤富五郎(明治42年4月24日生まれ)は、統一教会員を精神病院へ強制入院させることや、自宅監禁するよう教唆・煽動している悪質な統一教会反対運動家である。彼はその仕事で収入を得ている改宗プロである。彼は最初、自分の息子が統一教会の信者になったため、統一教会にかかわりを持つようになった。自分の息子が、統一教会をやめたあとも、金もうけと売名のために『吸血鬼文鮮明を葬れ』などという小冊子を出版したり、『全国原理運動被害者父母の会』の会長になったりして、統一教会に対する中傷攻撃を続けた。
(中略)後藤富五郎と共に新生会ホームを造ったもう一人の人物は丸山○(中略)である。彼はホームの顧問をつとめた(同書、P.170〜171)。
<彼らの具体的活動内容>
彼らによって運営されていた新生会ホームでは、被収容者一人につき月額5、60万円の費用がかけられたということである。ここに入れられた統一教会員は、棄教するまで何カ月も監禁された。
新生会ホームを脱走したV君(男性、25歳)は次のように語っていた。
「ほんのわずかの隙を見て二階の窓の鉄格子を壊して道路側に飛び降り、素足のまま住宅側の方へ逃げた。本当に恐ろしくて心臓が張り裂けるかと思った。丸山たちは、手錠をはめたり、鎖などで身体の自由を奪って、原理をやめることを誓わせようとする。現代のキリシタン弾圧だ。絶対に許せない」(中略)
新生会ホームの丸山○顧問は、女性信者L子さん(当時23歳)を何回も強姦し、同女の陰毛を剃り落とすなどの傷害を与えた。
丸山は、L子さんの両親から、L子さんが統一教会員となっていることを聞き、両親に統一教会を故意に悪く吹聴し、L子さんを新生会ホームに監禁することを承諾させた。それは、昭和51年10月3日のことである。
まずL子さんをおびき出し、ホームに拉致する方法について相談がまとまった。同年10月5日頃、L子さんの父親は、『夕食をともにしよう』と言って、L子さんを京王線桜田上水駅の近くにおびき出した。そのさい、後藤富五郎の家に寝泊りしていた男1名を含む4名が待ち伏せし、彼女が姿を現したところ、力づくでタクシーに乗せて新生会ホームに拉致し、監禁した。
新生会ホームに収容されたL子さんは36日目に統一教会に対し脱会届を出した。丸山○らの脅迫によるものである。
丸山は、彼女が脱会届を出した後の同年10月21日午後5時頃、L子さんを自分が住んでいた東京都練馬区中村南○丁目○○番地○○号、メゾン・○○○○○101号室に移した。そして同日午後10時半頃、L子さんがドアに鍵をかけて入浴していたところ、全裸の丸山○は合カギでドアを開いて浴室に入り、L子さんに襲いかかった。L子さんは抵抗し、一度は丸山をドアの外に突き出した。しかし丸山はなおもドアを開けて浴室内に入り、L子さんに襲いかかった。L子さんは恐怖のあまり心神喪失の状態に陥ったところ、丸山はL子さんの局部を洗うなどの猥褻行為をした。丸山はL子さんを寝室に連れ込み、そのあとあらかじめ強姦の目的で敷いておいた布団の上でL子さんを犯した。丸山は、L子さんが逃げたら、テレビで放映すると脅迫した。L子さんは逃げられず、同年11月5日から翌52年1月24日までの65日間、このマンションに監禁されていた。その間丸山はL子さんを何回となく犯した。
また丸山は同年12月9日と翌52年1月14日の2回、自身の寝室でL子さんを押さえつけて彼女の陰毛を電気カミソリで剃り落とした。これは刑法の傷害の罪に相当する。L子さんはたまりかねて52年1月24日、丸山のマンションから脱出した。
L子さんの手紙で事実を知った両親は、最初は『丸山先生がそんなことをするはずがない』と言って、娘の言うことを信じなかった。しかし丸山の犯罪が明らかになるにつれて、L子さんの両親はもちろん、新生会ホームにわが子を入れた親たちは大きなショックを受けた。
(中略)恥辱を受けたL子さんは同年4月5日、丸山○と後藤富五郎らを逮捕監禁、営利誘拐、強姦、傷害などの罪で練馬警察署へ告訴した。そしてこの事件は、警察と検察庁で捜査が遂げられた(同書、P.172〜174)。
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