▼ 文師の当選予言記事を持つレーガン大統領 |
手に持つのは投票当日の朝発刊された「NewsWorld」紙 |
レーガンの選挙はきわめて苦しいものであった。71歳という高齢での候補であったこと、一般に「極右」として知られていたこと、既に1976年の選挙で敗北していること、俳優出身であり政治家としての実績がないこと、現職のカーター大統領には根強い人気があること、実に多くの点でレーガンが不利であることは明らかで、ほとんど全ての新聞は「カーター優勢」との論調であった。 |
「ニューズ・ウィーク」社長の朴普煕社長は、文師が「ワシントン・タイムズ」紙を創設した時に初代の「ワシントン・タイムズ」社長となった。レーガン大統領は「ワシントン・タイムズ」の徹底した愛読者となり、同紙はレーガンが寝室まで持ち込む唯一の新聞として有名になった。実際、レーガンの政策はワシントン・タイムズの論調から強烈に影響を受けていた。 レーガンは8年間の大統領任期を終えてホワイトハウスを立つ時、特別に朴普煕社長をホワイトハウスに招き、こう言った。「私はワシントン・タイムズに最大の恩を受けました。私の任期8年間、ワシントン・タイムズなくしては、私は絶対にレーガン・ドクトリンを推進することは不可能だったでしょう。ワシントン・タイムズの創設者レバレンド・ムーン(文師)に深く感謝の意を伝えてください」と。上はその時の写真である。 |