文師が通っていた「明水台教会」(イエス教会所属)
  (イエス教明水台教会礼拝堂前での写真)

「イエス教会」を創設した李龍道牧師(イ・ヨンド、1900〜1933)
韓国延世大教授・柳東植著『韓国のキリスト教』(東京大学出版会、1987)
「李の日記に、当時の教会を批判した次のような一節がある。『あるもの──うわさ、ねたみ、紛争、不平、心配、分裂、利己、家庭不安。ないもの──祈り、愛、感謝、讃美、協同、奉仕、家庭祈祷』。そして『イエスを殺して、その衣だけを分ける現代の教会』と言い、また『イエスの血を捨てて、その形式のみを取る教会』と断じた。こうして教会の復活の必然性を力説し、リバイバル運動であるブフンフェ(復興会)の必要を主張していった。
教会から彼は熱狂主義者と見なされていた。(中略)彼が唱える熱狂的な信仰とは、イエスと一つになって、彼とともに無差別の愛と無限抱擁の愛を実践することであった。当時、既成教会から異端とされ排斥されている人々がいたが、『人に一つの善と九九の悪があるか。それなら、私は一個の善のために、その人を愛し尊敬しよう』と日記に記す。彼は自己の所有のいっさいを投げうって、社会と教会から疎外された人々を愛し、抱擁しようとした愛の熱狂者であった。
何よりも彼には全身を捧げることのできる信仰体験があった。山の中での祈祷の折にイエスと一つになる神秘体験を得ていたのであるが、それには個人的な終末意識も作用していた。彼は肺病三期という危険な段階にあってつねに死を見つめねばならず、自らの余生と余力を永遠に価値あるただ一つのものに捧げようとしたのであった。また生まれつき熱狂的な性格の持ち主でもあり、三・一独立運動以後、三度も投獄されたが、そのときまだ中学生であった。それでも再三入学して、九年かかって中学を卒業したほどの粘りと情熱をもっていた。
その彼が復興会を導いたのはわずか二、三年にすぎない。が、教派の別なく、全国を歩きまわりながら集会を開いた。彼がひとたび講壇に立つと、賛美歌を歌い説教し祈ること四、五時間にも及び、よく祈りの恍惚のなかで時間と場所を忘れたといわれている。
李の信仰運動は、新しい土着教団を生みだすほどに強力なものであった。彼に随っていた教会人が集まって、三二年には独立の『
イエス教会』を形成していた。しかし、一方では多くのスキャンダルを残し、教会からは異端視され、ついには教会から追放された。
一九三二年十二月末の日記に、彼は次のように心境を記している。
  静かに名もなく、過ぎゆく孤独な野花!
  今や噂を残し、路傍で踏まれる、名のある、しかしやはり孤独な百合の花だ。

(同書P.100〜101)


洪順愛ハルモニ(韓鶴子女史の母=テモニム、1914〜1989)の証言
  光言社『ファミリー』(1987)より

19歳になった時に、李龍道牧師が新しい役事を始めたので私も3日間の恵みを受けました。また李龍道牧師と同じ復興師であった黄国周氏が、人々に多くの恵みを与えました。黄国周氏の一派は約50名余りだったので、間島から新しい役事を起こして、韓半島を巡回していました。
彼らは小麦粉に水を入れた物を飲みながらも、復興集会の時には激しく祈祷し、霊的な復興を行いました。また、黄国周氏には黄ウンジャという妹がいましたが、彼女は自分の兄のようにとても多くの火(聖霊の火)を受けたのでした。私は李龍道牧師から3日間恩恵を受け、黄国周氏の妹からも大きな感銘を受けました。
それで
黄国周氏の妹と、彼の父親、伝道隊員、そして私の6名で伝道に出発しました。安州を出て信義州まで歩きながら、「悔い改めよ、天国が近づいた」と叫びながら伝道しました。イエス様が行われたとおりにやったのです。(中略)
その夜、約300〜400名が礼拝堂へ集まりました。そこで16歳になる娘が、昔アハシュエロス王がエステルを選んだ歴史(エステル2:7〜18)を説教しました。その時、刑事たちが「民族思想をもって説教するのか」と摘発にきたのですが、その娘が素晴らしい説教をするのを聞いて感動し、何も言えずに、ただ「本当の神だ」と言い残して帰りました。神でなければそんなことはできないと言うのです。
その当時は民族思想を話したら、直ちに捕まる時代でした。ところがこの娘の話は生粋の民族思想だったのです。そこで、イスラエルの民たちがハマンの謀略により、全滅するようになった時、王宮のエステルが3日断食をして、自分の命を懸け王様に訴えてイスラエルの民を救ったことを語る時には身じろぐこともできないほどでした。日本人たちも説教を聞いていましたが、彼らも感心するほどに、その娘は霊的に聖霊の火に満ちて説教をしたのでした。
ところが
その時は、李龍道牧師と黄国周氏を、監理派教会と長老派教会で埋葬しようとしていた時でした。それで、ある所では受け入れても、ある所では受け入れない所もあったのです。(「ファミリー」1987.10、P.29〜31)
李龍道牧師