平安北道定州

文師の生家の住所は1920年の生誕当時「定州郡徳達面徳星洞」であったが、「徳星洞」は行政区分上の名称で一般には「上思里」と呼ばれていた。1931年の合併(徳達、伊彦、阿耳浦)の際に「徳彦面」となった。現在の北朝鮮では1952年以降の地名改変で「定州郡圓峰里」となっている。(光言社「聖地定州」による)
文鮮明師生誕の地 (光言社「新天地」1995.7 “聖地探訪”)