マラキの預言  


 旧約聖書の最後は「マラキ書」です。この預言の中心は、メシヤの出現形態にかかわるもので、それによると「メシヤが出現する前にエリヤが現われて、メシヤと国民を互いに結ぶような役割を果たす」というのです。すなわち、「見よ、主の大いなる恐るべき日が来る前に、私は預言者エリヤをあなたがたにつかわす。彼は父(神)の心をその子供たち(国民)に向けさせ…」(マラキ書4章5〜6節)と記されています。エリヤというのはイスラエル民族なら誰でもよく知っている過去の預言者で、間違った信仰(バアル教という、幼児を殺してバアル神に捧げるという信仰)をする預言者を処刑するなどして正しい道を説き、民衆を真実の父なる神につなげた力強い人物です。
 マラキによると、そういう力強い預言者がメシヤ出現の前に再び現われて、我々に「みなさん、この方が我々の罪を取り除いてくださるメシヤです。間違わないでくださいよ」と言って正しい信仰の道を紹介してくれる、というのです。

 だから、民衆はもちろんメシヤの出現に大きな関心がありましたが、その前にメシヤを紹介してくれる偉大な預言者「エリヤ」が現れると聖書で預言されている以上、民衆はむしろエリヤの登場を心から待ち望むようになっていたのです。バビロンから解放されて次第にメシヤを迎える信仰が深まるにつれ、ますます国民の関心は「エリヤは誰か」ということに集中していっきました。でも実際、マラキが預言したエリヤという人物とは、一体誰のことなのでしょう? (それについては「十字架のイエス」の項を参照されたし)