人類史の系図(聖書によるアダム〜イエスの流れ) 解  説
アダムとエバは「神の子」として誕生しました。そして、やがて彼らは人類の「真の父母」となり、「王の王」となるはずだったのです。人間は本来、宇宙をも愛で包むことのできる存在であり、神が創造した大自然の美しさもさることながら、人間が持つ霊肉共の機能は更に絶妙なものだったのです。

しかし、アダムとエバが神の子として完成するためには、単なる万物の成長プロセスとは異なり、人間は「万物の霊長」(宇宙万物の主人)ですから、神による「真の愛」を完成させて、天地創造に対する責任を果たさねばねばなりません。

ところが、人間が完成するプロセスにおいて最も重要な「愛の行為」において過ちを犯してしまいました。聖書は比喩的な話でその事実を伝えています。それで、アダム・エバは神の子という位置からはずれ、
再び地上に神の子が来ることを待たねばならなくなったのです。
アダムとエバが犯した罪は単なる個人的な行為ではなく、子々孫々の血統を変質させる行為(性的行為)であったため、それが「原罪」となって遺伝的に殖え広がってしまいました。アダムから10代目に現われた偉人・ノアの時代の大洪水は、それまでの人類の誤った血統圏を清算・根絶し、人類史を新しくスタートさせるために起きた出来事でした。

当時は「ソドミー」などと称して淫乱な同性愛が流行していました。天使と人間の間の淫行もなされていたことが聖書の記述から知ることができます。それに対し、ノアの家庭はそういう淫乱とは全く無関係の、神による真の愛で出来た家庭であることを示す使命があったのです。

ところが、ノアの信仰を受け継ぐべき息子のハムが、父ノアの裸を見て洪水前の淫乱の愛を想起する行動をとったため、ノアの家庭も「神の子」を迎えることができませんでした。
セムから10代目のアブラハムは、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の先祖です。イスラム教はアブラハムに仕えていたハガルの息子イシマエルの流れに生じたと言われています。

アブラハムは神の摂理のためであれば最愛の息子・イサクをも捧げる信仰があったことを聖書は述べています。有名な「
イサク献祭」の話です。神に対する忠誠の信仰はイサク・ヤコブへと継承されました。

ヤコブは天使との闘いに勝ってイスラエルの称号を受けました。長男エサウから家系の相続権を引き受ける問題で、一時はエサウから殺されそうになったヤコブでしたが、最終的にはエサウと心底からの和解を成立させて長子の権限を持ち、堂々たる
イスラエルの先祖となりました。
ヤコブ(弟)がエサウ(兄)の長子の権限を平和に引き受けることができた、その出来事にはアダムの家庭で兄カインが弟アベルを殺してしまった事件を清算させる内容があったのです。

人類の歴史にはアダム・エバの誤った血統を清算してメシヤ(神の子)を迎えるプログラムが含まれています。
アダムの家系が人間ならざる者(ルーシェル=サタン)の支配を受けたため、家系の相続権を神の信仰によって取り戻さねばなりません。

ヤコブはその摂理を成し遂げました。しかし、そこに神の子が誕生するわけではありません。神の子は母親の胎内に宿るわけですから、ヤコブが勝利したレベル(弟が兄の権限を持つ)を「母の胎内」でなしとげねばならないからです。その信仰を全うした人が
タマルという女性でした。

ヤコブ(=イスラエル)の勝利とタマルの信仰により、地上に神の子を迎える基盤ができました。ただ、同時にサタン側も国家基盤を作り上げてきましたので小さな家庭基盤の中に神の子が誕生してもサタン勢力に対抗できません。神の子をサタン勢力から守り、メシヤを国家的に迎える基盤の役目を担っていたのがダビデ王、ソロモン王などのユダヤ王国だったのです。

ユダヤ王国は、その人類史的使命があまりにも大きいため、実に波乱万丈の戦場となりました。ダビデ・ソロモンという超天才的な偉人を輩出しながらも国家が南北に分断される形で崩壊しました。そして、イスラエルに臨んだ天地創造の神ではなく異教徒の神々を信じる者が増え、淫行と殺戮が繰り返されました。


イスラエルに本来の信仰を取り戻そうとして警告を発し続けたのが「預言者」と呼ばれる人々でしたが、彼らの多くは狂人扱いされたり、殺されるなど、厳しい迫害を受けました。

そのイスラエルに本来の信仰が取り戻されたのは、イスラエル民族が
バビロンの捕虜となり、自らの国の運命や使命について深い民族的反省を強いられた時でした。

メシヤを迎える信仰が再び覚醒されたイスラエルは神殿を再復興し、民族の歴史の記録ともいうべき旧約聖書は最後の預言者マラキの預言をもって完結しました。マラキ以降の預言者は出ておらず、マラキからイエスキリスト誕生までの400年は「空白の400年」と呼ばれています。

マラキの預言とは、「
メシヤが来る前にエリヤが来て、メシヤにつながる道を整えてくれる」という内容でした。ですから、当時のイスラエルの人々の間ではエリヤという人物は一体どこに誕生するのか、ということが重要な関心事となったのです。

やがて、ローマの繁栄の時代がやってきて、ユダヤ王国はローマの属国のような立場になりました。ヘロデというユダヤの王はローマにペコペコ頭をさげる自虐的外交をしていたので、本来の独立国家を目指す国民の間にはいよいよ「メシヤを紹介してくれるエリヤとは一体どこに現われるのか、一体誰のことか」ということが話題になっていました。

そういう状況の中で「
エリヤの霊と力」を持つ人物として登場したのが洗礼ヨハネだったのです。近年、「死海文書」が発見されましたが、詳細な研究が進めば洗礼ヨハネのいた教団について明らかになってくるかもしれませんが、聖書によると彼は人々からメシヤではないかと思われるほど注目されていたようです。
神の子を産む信仰を立てた聖母マリヤは主イエスをみごもりました。イエスは約半年ほど年上の洗礼ヨハネのもとに行き、エリヤの使命を彼が全うしてくれることを望んだのですが。。。

※ 上記の解説は統一原理の一部を江本武忠個人が解釈したもので、統一教会の公式見解として扱われるものではありません。