2005.11.21(2006.11.1補足追加版

宛先:saibanin.goiken2009@courts.jp
最高裁判所・裁判員制度(http://www.saibanin.courts.go.jp/

裁判員制度は被告人に対する人権侵害の恐れがある

これから実施されようとする裁判員制度は、法の下で平等な裁判を受ける権利を有する被告人に対して、重大な人権侵害が発生する危険があると考えますので、以下に理由を述べます。

1.高度な法的判断を素人に委ねる危険性

裁判員は20歳以上の国民から無作為に選出されますが、原則的にはその選定を本人が拒否することは出来ません。しかも裁判員の仕事は裁判に対する市民としての参考意見を述べるような軽い内容ではなく、実際には裁判官とほぼ対等の立場で有罪・無罪を決めるという、重大な責任を伴うものです。

まず第一に、法律の専門家でさえ意見の分かれる法解釈や法の運営について、そこに素人の裁判員が加わることで「より正しい判断」になるという保証は全くありません。

私は民事裁判に関しては何度も法廷に立ったことがあるので、裁判がどういうふうに行なわれるか大体の流れやポイントは分かるつもりですが、刑事裁判についての判断は非常に難しいと思います。特に被告人が無実を訴えているような場合、一つ間違えると重大な人権侵害を犯す恐れがあるからです。

しかも現実の事案は、検察と弁護人が互いに対立する立場から激しく争われている場合もあり、当事者の事情をよくよく知らなければ判断できない内容が多いと思います。それは、かなり法律に詳しい人間でもいきなり自分の意志に反して呼び出された場合には正確に判断できるかどうか怪しいと言わねばなりません。

これについて、裁判所がもしも「どうせ有罪に決まっている刑事事件だけを審理するので難しい問題ではない」などと考えているのならば、それこそ被告人に対する人権侵害も甚だしいと言わねばならないでしょう。

2.裁判に対する裁判員の精神状態と被告人の不利益

第二に、裁判や法律解釈になじみの薄い主婦やサラリーマンが、多忙な仕事や家事育児の中をいきなり裁判所に呼び出されて、全く知らない人間の有罪・無罪を決めるような難しい判断を強いられた場合、その強制的な命令に対して著しい不満や不快感を持つ心理状態で参加することが簡単に予想できます。これは、公平な裁判を受けるべき被告人にとって致命的な環境をもたらすのではないでしょうか。

そもそも裁判員の存在は、裁判が密室的に行なわれないように国民が監視するという意味で有益なのだろうと思いますが、これを「制度化」してしまうということは、いわば裁判所が裁判における法の専門的判断を放棄して衆愚化することにもつながりますし、参加することに強い抵抗感を持ちながらも「不本意ながら罰則が恐いので参加する」とか、「この忙しい時に裁判所から呼ばれた」と不平不満の気持ちを(外面に表明しないまでも)内面に持ちながら参加する人々が多数生じることが明らかに予想されるのであり、到底まともな法的判断が行なわれるとは考えられません。

このたびの裁判員制度は、いわば法律関係者の間だけで検討されたようなものであって、我々一般国民にはほとんど知らされないままに成立してしまった法案である、という印象を強く受けます。国民と被告人の立場が欠落しているのです。

裁判に対する国民の意識を高めることも大切ですが、それ以上に大切なことは、いかにして被告人が平等な法の下で公正に裁判を受けられるようにするか、ということでなければなりません。裁判員制度に対する、いろいろな立場の見解はあると思いますが、被告人となる方々の意見は十分に聞かれているのでしょうか。完全に無視されているような気がしてなりません。

3.裁判員の「当たりはずれ」と被告人の人権

もちろん、裁判員の中には法律の専門家や法務の国家資格を持つ者も含まれるでしょうし、法に対する善良な運営を心がける者もいるでしょう。しかしながら、いかなる裁判員が選ばれるかは全く被告人の意思とは無関係です。いわば被告人にとって、裁判員の知識・良識・感情・国家資格の有無等の程度の差がもたらす「当たりはずれ」の不公平・不平等はきわめて顕著なものがあると言えるのではないでしょうか。それはむしろ、この制度自体が被告人の人権を侵害する性質を有する欠陥法案であると言うこともできるのではないでしょうか。

これに対して、「当たりはずれ」の不公平については被告人が裁判官を選べないという事実においても同様である、という反論もあるかもしれませんが、司法試験等を通じて法的判断能力が認められた裁判官と全くの素人を含む裁判員を比較した場合、両者に著しい差違があることは誰の目にも明白です。その両者に対等の権限を与える制度自体、問題があるのではないでしょうか。よって、再考をお願いする次第です。

○江本武忠(えもと・むちゅう) <muchu@chojin.com>
■人類史の大真実 http://www.chojin.com
<補足>
上記の反対理由に更に補足をしておきます。(2006.11.1)

補足(1) 弁護士でもない一般庶民に厳格な守秘義務を課することは不合理であり、被告人の人権を守ることはできない。

裁判員制度は、裁判員に対して罰則を前提とする守秘義務を課するものですが、弁護士でもない庶民としては夫婦間の会話や酒に酔った上での雑談等で厳格に守秘義務を守ることは考えにくいと思われます。また、どこまでが秘匿すべき内容であるかについても厳格な法的知識を有さないことが多いでしょう。

その事実はすなわち裁判における犯罪内容等の情報が簡単に漏洩され、被告人の人権が侵害される可能性が大きいことを意味するものであって、この制度の本質的な欠陥の一つでもあると言えます。

補足(2) 裁判員は選ばれた場合、それを断ることが可能となる基準(理由)について曖昧であり、裁判官の判断によって不公平が生じる危険がある。

裁判員として選定された者の中には、人を裁くことに対して強く拒絶する意識を持つ者もいますし、中には精神的・身体的にトラブルを抱える人の場合もあります。例えば入院するほどでなくても(医師の診断書はなくても)、ノイローゼ気味であるとか鬱病経験者である場合や、性格異常者等が含まれる可能性があります。自己破産をして精神的に窮地に追い込まれ、正常な判断が困難な状況である場合もあり得るでしょう。

そういう事例において裁判員を断りたいと申し出た場合、それが断る理由になるか否かという判断は個々の裁判官に任せられるのであって、きわめて曖昧なものになってしまう恐れがあります。また、本人が非常に嫌がっている状態で、それを無理やり参加させることにどれほどの意義があると言うのでしょうか。

そもそも、人の罪を裁く行為について、本人の意に反して罰則をもって内心の自由を拘束しつつ参加を強要する裁判員制度は法運用上の妥当性を著しく欠くと言わざるを得ません。