● 【教会草創期・梨花女子大事件】
■釜山での伝道再開〜統一教会創立
北朝鮮での牢獄から解放された文師は弟子と共に南下した後、1951年に釜山で教会(土石とダンボールで作った「ボンネッコル教会」)を建てて伝道を展開した。粗末な建物であったが、啓示を受けて来教するクリスチャン(姜賢実女史等)も現われた。1952年、教義(統一原理)をまとめた『原理原本』を著す。1954年、世界基督教統一神霊協会(統一教会)創立。
■梨花女子大事件〜世界宣教への拡大
梨花女子大より多数の優秀な教官(梁允永女史、崔元福女史、金英雲女史等)および学生らが統一原理の内容に共鳴して入教してきたが、大学当局がマスコミを巻き込んで事実無根の風評(洗脳、監禁、淫乱など)を流して反発し、統一教会に入教した教授・助教授ら5名の退職処分(3月24日)と学生12名の退学処分(5月11日)を決定した。この件の取り調べで文師は同年7月4日に逮捕され、13日に西大門刑務所に拘束されたが、10月4日にソウル地方院で無罪判決が言い渡された。しかし、当時の風評はその後も統一教会に反対する者によって再利用されることとなった。
同10月7日、教会本部を青坡洞に移転。翌56年に李相憲(相軒)氏(医師)が入教。1957年、『原理解説』発行。1958年、崔奉春宣教師(日本名・西川勝)を日本に派遣。1959年、金永雲宣教師を米国に派遣。1960年陰暦3月16日、文師は韓鶴子女史と結婚。同年より合同結婚式が始まった。1965年1月28日から文師は世界120か国を巡回し、伝道の基盤を拡大していった。

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