ローマ支配  

 

ネロ皇帝
 イエスの弟子たちは巨大なローマ帝国の中で迫害を受けながらも、イエスの「霊的救い」を伝えました。ただ、ローマの迫害があまりにも強烈なので一番弟子であったペテロでさえ一時はローマから逃れようと考えたほどでした。しかし、ペテロが目の前に出現したイエスの霊を見て「主よ、いずこへ行かれるのですか(ドミネ、クオ、ヴァディス?)」と訪ねるとイエスが「ローマへ」と答えたのでペテロは驚きました。そしてペテロはローマから逃げようとした自分の心を悔い改め、再び迫害のローマへ引き返した、という有名な話があります。その後、ペテロは十字架で処刑されました。その場所が現在の聖ペテロ(セントピーター)寺院です。また、ローマのネロ皇帝の残酷さ、淫蕩ぶりは世界的に有名な事実です。まさに当時のローマは、サタンが背後で思うがままにあやつっていたのでした。

 これは、ちょうどイスラエル選民がエジプトで400年間の迫害を耐え抜いたという試練をキリスト教が民族的規模で乗り越えない限り、いわば「第2イスラエル選民」としての民族基盤は構築できない、ということを意味しています。
 そして、みごとにキリスト教はそれを乗り越えたのでした。すなわち、あれだけ迫害したはずのローマ帝国がクリスチャンを保護し、更にはキリスト教を国教として制定するほどになったのです。
 つまり、キリスト教がローマ帝国から迫害を受けた400年間はユダヤ教がエジプトから迫害を受けた400年間の歴史を「繰り返している」のです。すなわち、この二つの時代は神の摂理的な原因によって同時性をなしているのです(「摂理的同時性」の項目を参照)。