ルターとノストラダムス


旧約聖書最後の預言者マラキ

39巻からなる旧約聖書の最後の書物は「マラキ書」ですが、旧約聖書の一番最後の最後にたった数行で書かれたマラキの預言はきわめて重要です(マラキ4:5)。
その内容は「
メシヤが来る前にエリヤが来る」という趣旨ですが、旧約の全ての預言がメシヤの降臨にかかっているものだとすれば、メシヤの降臨形態をこのように具体的に結論づけたマラキの預言は、いわば旧約の全預言を受け止めていると言ってもよいほどの価値があると思います。

ところで、文師が説く統一原理の「摂理的同時性」によると預言者マラキと同時性をなす、2000年後の摂理的な人物は宗教改革者ルターである、ということになっています。ところが、ルターは誰が見てもマラキのような「預言者」ではないです。

そこで、どうしても私の性格上(笑)ルター当時に生きた預言者で、しかもマラキと同様に“最後の預言者”と呼びうるほどの資質のある預言者の存在について追求したくなるのです。

ユダヤ教とキリスト教に精通していた預言者ノストラダムス

そうなりますと、どうしても私の大好きなノストラダムス先生のことを書かずにおれなくなります。
まず、ノストラダムスというと“大予言”みたいに連想が直結しますが、(もちろん霊通してたので預言もしましたが)実際には
ノストラダムスという人物は、預言者ということ以上に「カバラ」というユダヤの秘儀を体得した数少ないユダヤ人でありながら、しかもそれと同時にイエス・キリストに対する深い信仰に達していた敬虔なキリスト教徒の思想家であったという事実が重要で、そういうことをもっともっと高く評価するべきだと私は思います。

また、ノストラダムスはモンペリエ大学から公式に博士号を受けた医師でもあったのですが、当時恐るべき猛威をふるったペスト(黒死病)の治療に当たっては驚異的な治療法によって実に多数の命を救ったという記録があります。しかも、遠くまで献身的に治療に出ていたために自分の妻子を治療することができず、ペストで家族を犠牲にしてしまったのです。

つまり、ノストラダムスは驚異的霊能力を持っていましたが、単に霊能者というのではなく、ユダヤの秘儀とイエス信仰の双方に深く精通しながら、しかも優秀な医師としての人間理解を伴った、非常に深い信仰者であり人格者であったと言うべきだと私は思います。

ルターとノストラダムス

統一原理の摂理的同時性という観点からこの二人の同時性を検証してみましょう。すると、
ノストラダムスは宗教改革者ルターが20歳の時(1503年)に誕生し、ルターの死後20年(1566年)で没しており、まるで“ルターの影”ようにちょうど20年ずれて生きていますので、何かルターの信仰や教義において不足している側面を、霊的にあとから調整するような役目をノストラダムスが持っていたのではないか、などと私は解釈しています。

私は個人的にはルターの二世界統治説などには非常に抵抗を感じる面があるのですが、逆にノストラダムスの調和的な信仰にはものすごく共鳴してしまいます。

また、ルターは非常に短気な方で有名で、それまでのカトリック教会に抗議(プロテスト)して新教(プロテスタント)を生み出し、歴史的にカトリックとの決裂ムードを作っていった過激な性格の偉人だとすれば、
ノストラダムスは旧教だの新教だのというような次元の枠さえも超えて、ユダヤ教をも大きく抱擁するほどの穏当で深い信仰と学識を持っていた人物だと私は考えます。

私の敬愛するノストラダムスよ、再臨千年王国のこの時、われらの頭上に蘇ってくれ!!