ヒトラーの妻エバ・ブラウン


ヒトラーにおける“マリア的愛”の幻影

ヒトラーの周辺にはいろいろな女性がいて、その解釈には苦労します。ただ、ヒトラーの行動に著しい影響を与えた女性としてゲリ(アンゲラ・マリア・ラバウル、「ゲリ」の愛称で知られる)とエバの二人は決して無視することは出来ません。

ゲリはヒトラーの姪(腹違いの姉の娘)で、近親相姦的な愛情関係にあったという噂もありますが、事実は分かりません。ゲリがヒトラーに恋心を抱いていたことは確実だったようですが、ヒトラーにとってゲリという存在は、常に裏切りの可能性を秘めた周辺の人間関係の中にあって、人間らしい思いやりと気配りに満ちた人格的交わりを示すことのできる相手でした。

日曜日にゲリは町の中心部にある「イエスとマリヤ」教会のミサに出席していましたが、「だれもが、合唱隊でさえも、お祈りはそっちのけで彼女の美しさと端麗さにうっとり見とれるありさまだった」と言われています(ネリン・E・グーン、「エヴァ・ブラウン」P.25)。きっと、ゲリという女性にはカトリック信者が理想とする聖母マリア的な魅力の片鱗があったのではないだろうかと私は推測します。
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(ゲリの写真、「エヴァ・ブラウン」ネリン・E・グーン著、口絵写真)

ところが、悲惨なことが起こりました。ゲリは、ヒトラーの愛人であるエバよりも4歳年上でしたが、二人の関係には微妙な葛藤がありました。ゲリが23歳の時(1931年9月18日)、愛するヒトラー総統の部屋を片付けていたところ、ヒトラーの上着のポケットから一通の手紙を見つけました。それは「親愛なるヒトラー様」で始まるエバからの手紙だったのです。それがどれほどゲリにとってショックだったでしょう。その日、ゲリは自分の心臓をピストルで打ち抜き、自殺してしまったのです。

ヒトラーは、思いやりを深めていたゲリが自殺したことで大きな衝撃を受けました。彼はゲリの自殺後何週間も誰とも口をきかず、食事もまともにとらず、呆然自失の状態になってしまいました。ヒトラーはゲリの部屋をそのままにするよう周囲の者に命じ、戦争が勃発するまで毎年クリスマス・イブには彼女の部屋に行って瞑想することを忠実に守りました。

また、ヒトラーは誰一人として深く信用することはありませんでしたが、母親を慕う念だけは非常に深かったという事は有名です。彼の女性観は、そういう母親的なものを求めるものであったことだけは確実のようです。

エバとはどういう女性だったのか

さて、エバは最終的にはヒトラーと一緒に自殺をすることになる女性ですが、エバはゲリとはまた全く違った魅力を持つ女性でした。
ゲリが世の男性心をとらえ、盛んに注目をひくような女性であったのに対して、エバは純潔を守って修道院生活を選んだ女性でした。保存されている修道院の卒業生名簿にはエバの名前が記載されており、そこには純潔を確認した産婦人科医の証明書が付記されています。

彼女は子供のように非常に純粋でかわいい人でした。ダンス、体操、演劇が好きで、映画は「風と共に去りぬ」を何度も繰り返し見て感動する人でした。エバは17歳の時、40歳のヒトラーと出会い、それ以降運命的な生涯をたどることになりました。この23歳も離れた二人の出会いは、再臨主が40歳の時に17歳の韓鶴子女史と御聖婚するという摂理史的な伏線にもなっているものなのでしょう。

ヒトラーはエバのことを「かわいい魔女」と呼ぶことがあり、最初は本気で妻にする気はなかったと思われます。しかし、エバは(この辺は謎ですが・・・)何か強く決意するものがあって、ヒトラーの内面に深く入り込むようになっていきました。
そして、次第にお互いを認め合うようになっていった頃、ゲリの自殺という事件があり、エバはゲリの自殺とそれを見て苦しむヒトラーの姿を通してヒトラーと結婚することを真剣に望むようになりました。

エバは自分の心を理解してくれず、政治の世界ばかりに没頭するヒトラーに絶望することがあり、ついに1932年11月1日、ピストルを心臓に当てて発射するという事件がありました。ゲリの自殺から約1年後のことでした。しかし、銃弾は心臓をわずかにそれていたため一命を取り留めました。このエバの自殺未遂事件の頃から、ヒトラーはエバの心を非常に気遣うようになります。

ヒトラーは独身主義を貫き、周囲の者に「ドイツこそ我が妻である」と言っていました。ヒトラーとエバは「使用人たちに二人がたんに仲のいい友人であると思わせるために、相変わらずの演技をした。たとえ前の晩を二人だけで過ごしていても翌朝になると、彼らはまるで偶然に食堂車で顔を合わせた見知らぬ乗客のように冷ややかな挨拶を交わした」といわれており、その関係をひたすら隠すような行動を取っていました(「エヴァ・ブラウン」P.220)。

私が察するに、エバはヒトラーにとってまるで天が与えた大切な“宝物”のような存在だったのでしょう。「ヒトラーはつね日頃から、エヴァの身の安全を大変気づかっていた。足を折る恐れがあるからといって、彼女にはスキーを許さなかった。癌になる恐れがあるからと、彼女は日光浴もあまりできなかった。私服の警官の護衛なしには、絶対に単独で外出できなかった」と述べられています(同書、P.290)。

エバの前では政治談義はタブーということになっており、ヒトラーでさえそのタブーに逆らうことはできないほどでした。エバは、ヒトラーが喜劇や冒険映画しか見ないので、アメリカ映画の荒筋を書いて教えたりしました(当時はアメリカ映画は上映禁止だった)。
エバの純情さ、天真爛漫の生き方はヒトラーにとって反対することのできない聖域を形成していたのかもしれません。

彼女はヒトラーをくどいて「風と共に去りぬ」を無理やり一緒に鑑賞したこともあります。確かにエバはヒトラーにとって何か非常に大切な心の糧を与えてくれる、かけがえのない女性だったのです。“悪魔”ヒトラーによって“かわいい魔女”と呼ばれたエバは、まさに天からの使者のような存在でもあり、不可解な魅力を持つ女性だったのでしょう。

エバの誕生の瞬間には「太陽と金星はそれぞれ水瓶座と雄羊座にはいる一方、土星が雄牛座に向きあった」(同書、P.45)とされていますが、これが占星学的にどれほど驚嘆すべき運命を意味しているのか、私には解読するだけの力はありません。

エバについては。。。
http://www.chojin.com/zatsu/eva/eva.htm

ヒトラーとエバの結婚、33歳でエバ死す。

やがて、運命の時がやってきました。1945年4月28日土曜日の深夜、二人の結婚式が行なわれました。エバは興奮のあまり結婚証明書に署名する際、それまで書き慣れた「Eva Braun」というスペリングにつられて「Eva Hitler」と書くべき所を「Eva B …」と書き違えて、×印で消し、生涯最初で最後の「Eva Hitler」の署名をしました。

ついに、彼女・・・エバ・ヒトラーは第三帝国のファースト・レディの位置に立ちました。しかし、その期間はわずか40時間にすぎませんでした。。。4月30日、ごくありふれた食事を済ませてから、二人はピストルで自殺しました。午後3時半頃だったと記録されています。これがイエスの「3時頃」の死(マタイ27:46)に符号が合うことはよく指摘されるところです。エバは33歳でした。

「エバは頭を片隅に横たえ、ヒトラーの腕に触れようと左手を伸ばしたまま、ソファの左端に倒れていた。胴の部分にバラの花模様のあるドレスを着ていた。髪は洗いたてで、入念に手入れがされていた。表情のない顔が美しかった。彼女の小さいピストルは、赤いストールの近くにあるペデスタル・テーブルの上に置かれていた。口紅のように見える毒薬入りの小びんが割られて、床に落ちていた。空中には酸の匂いが漂い、アーモンドの香りがした」(同書、P.374)。

サタン側のイエスキリスト(第2アダム)であったヒトラーの欠如した心の中に、真実の愛、聖なる情念を吹き込むことの出来る唯一の手がかりとなる女性、それがエバ・ブラウンであったのでしょうか。。。

千年王国を夢見たサタン側の第2アダム・ヒトラーと、神の千年王国を出発した第3アダム・サンムーン(文鮮明師)。。。そして、二人に与えられた純真な妻たちは、どちらも夫と23歳も離れた幼い立場から妻の位置を全うしたのです。。。

ヒトラーはアダムと同様、「結婚イコール死」を意味していたのでしょう。そして、33歳の純粋無垢な生涯と40時間しか許されなかった“妻”の立場に立ったエバ。。。彼女は愛するヒトラーと決定的運命を共にすることによって至福の極地の中で霊界に行ったということも出来るのでしょうけれど。。。

第3アダムである文鮮明師は2003年2月6日に天一国開門式を挙行し、また同時に文師夫妻の誕生日を祝賀しました。実は、その日は奇しくもエバ・ブラウンの・・・いや、エバ・ヒトラーの誕生日でもあったのです。再臨千年王国の誉れある式典の日に、私は。。。もちろん再臨のキリストの誕生をお祝いしましたが、某教会で式服に包まれて礼をすると同時に、私はヒトラーに献身的に仕えたエバの誕生日を心よりお祝いして慰労しました。エバ・ヒトラーの心情の解放されんことを!