フリーメーソンと幣原内閣


文鮮明師のイスラエル修道院時代

統一原理によれば、文鮮明師は1945年の終戦直後、メシヤ(真の父母)として出発できる摂理的条件を持っていました。しかし、イエスの時も同様でしたが、メシヤが「私はメシヤである」と自称するのでは誰も信じないばかりか逆に「偽キリスト」として断罪されてしまう結果になります。だからこそ、イエスの時にはイエスをメシヤとして証言する役割を持つ
洗礼ヨハネという人物の存在が必要であったわけです。

新約聖書は、洗礼ヨハネについて「この人は証しのために来た。光(メシヤ)について証しをし、彼によって全ての人が信じるためである。彼は光(メシヤ)ではなく、ただ、光(メシヤ)について証しをするために来たのである」(ヨハネ福音書1:7〜8)と書かれてあり、また、イエスによると洗礼ヨハネは旧約聖書マラキ書が預言した「
エリヤ」だということなのですが(マタイ17:13)、エリヤというのは「父(メシヤ)の心をその子供たち(全人類)に向けさせ、その子供たちの心を父に向けさせる」(マラキ書4:6)という役割を果たさなきゃいけない人物なのでした。

ところが、洗礼ヨハネはイエスを「神の子羊」として証したものの、イエスと別行動を取ったので、民衆は洗礼ヨハネの洗礼を受けるべきかイエスの洗礼を受けるべきか混乱が生じてしまいました(これを「
きよめの争論」と言います)。そこで当然のことながら、不審に思った当時の聖書学者たちが使者を遣わして洗礼ヨハネに対して「あなたはメシヤを証すために来たエリヤなんですか?」と聞いたわけですが、洗礼ヨハネは「いや、そうではない」(ヨハネ1:21)と答えてエリヤ(メシヤの証人)であることを否定してしてしまったので大変なことになったのです。なぜなら、イエスは単なる「自称キリスト」という立場に追い込まれ、結局そのことが裁判で有罪となって処刑されてしまったわけですから。なお、統一原理では洗礼ヨハネの使命失敗の経緯・原因を詳しく分析しています(「原理講論」前編第4章2節の三〜五等)。

さて、文鮮明師においても洗礼ヨハネと同じ役割を持つ人物が存在しました。
金百文という方でした。金百文が書いた書物は分量は少なくて大ざっぱな書き方なのですが、確かに文師が解明した膨大な統一原理のごく一部分に通じるような内容を読み取ることもできます。

文師は金百文の
イスラエル修道院に入りました。そこでさまざまな現象が起き、金百文にも神からの啓示的な出来事があったのですが、最終的には金百文は文師がメシヤであることを悟ることができず、イエスの時の洗礼ヨハネと同様に使命を果たせなかったのでした。

幣原喜重郎内閣の使命とは

文鮮明師が金百文のイスラエル修道院に入っていた期間は1945年10月から翌46年4月までの約半年間でした。
その半年間、日本ではどういう時期に相当していたのかと言いますと、それは日本の終戦直後の社会体制を確立するための重要な法案を成立させた幣原喜重郎内閣の期間(1945年10月〜46年5月)に相当します。この幣原内閣の期間において、天皇の「人間宣言」がなされたり「婦人参政権」が認められたり、戦後日本の根本的な変革がなされました。また、誰でも知っている日本国憲法の前文のところに唯一「男爵」という肩書で名前が載っている人物としても幣原喜重郎は有名です。

また、幣原首相は関東大震災の時、日本人によって殺されそうになっていた朝鮮人を必死でかばって、その日本人に対して「君たちは日本の恥じだ」と言って大喧嘩したエピソードが示すように、当時の一般的風潮とは違って韓国に対してきわめて好意的で平和的思想を持っていた人物でした。

それで、
私の摂理的な解釈ですが、もしも文鮮明師のイスラエル修道院の時代に金百文という人物が文師を再臨のキリストであると証言していたならば、この幣原首相という方は非常に大きな世界的使命を果たすべき方であったのではないだろうか、と思うのです。

フリーメーソンと再臨摂理

ですから、
私の解釈はこうです。1945年10月から46年4月までの期間において金百文が文師を再臨主として証言することができなかったため、同時に幣原首相の摂理的使命も(当面は)失われてしまい、それゆえにその直後に当たる46年5月に幣原内閣は崩壊せざるを得なくなった、ということです。これは、もちろん通常の歴史観では認められない論理ですが、神の摂理は世界的にシンクロナイズしているのであり、相互に「共時性」をもって進んでいるので、あるいはそういう見方もできるのではないかと思うわけです。

また、その後に文師が共産党政権の監獄である興南工場に収容されてしまうのですが、そこから解放される大きな要因を作ったのが
マッカーサーの「仁川上陸作戦」による興南攻撃でした。摂理的には、いわばマッカーサーはメシヤを監獄から解放した人物の一人と言えるでしょう。では、マッカーサーという人物はどういう信仰を持っていたのでしょうか。ここでマッカーサーと幣原首相に共通する面があるのです。

マッカーサー(聖公会のクリスチャン)がフリーメーソンという秘密結社の最高階位(33階位)の位置にあったことはよく知られていますが、実は幣原首相もフリーメーソンであったと言われています。再臨のキリストの教えを世界に知らしめて、再臨のメシヤ(真の父母)を中心とする世界平和を成就するためには単なる平凡なキリスト教思想ではなく、現実に世界を統一しうる具体的なネットワークが必要です。そして、そういう世界平和思想こそ、当時マッカーサーたちが所属していたフリーメーソンの思想であったと私は考えています。そもそもアメリカの初代大統領であるワシントン自身、著名なフリーメーソンであり、その精神がアメリカの建国精神になっていることは歴史上あまりにも有名な話です。そうです、アメリカ自体が再臨のメシヤを受け入れ、世界に証しをするために誕生した国家だと言うべきなのです。

そして、幣原喜重郎という人物がフリーメーソンのメンバーであったとしたら、当時のマッカーサーと完全に一体となって日本をキリスト教の国家にできる(あるいはキリスト教に連結できる)神の摂理も十分実現可能であったと私は考えるのです。実際、皇太子(現天皇)はキリスト教精神によって養育されましたし、皇室関係者には非常に多くのクリスチャンが生じたことは周知の事実です。しかし、金百文が失敗した事情もあって摂理が延長してしまったため、幣原首相の時代に完全に日本をキリスト教化することはできなかった、と見るべきではないかと思います。

私の考えでは、フリーメーソンに対する歴史的位置付けはいわば「世界的洗礼ヨハネ教団」ということになります。聖書的に表現すれば、「光(メシヤ)について証しするために来た人々」です。フリーメーソンが一挙に世界的に組織化するのは、世界の植民地を支配していた大英帝国イギリスでフリーメーソンのグランドロッジ(本拠点)が結成された所に始まりますが、そのロッジの結成が1717年6月24日に設定されていることも、私がフリーメーソンを世界的洗礼ヨハネ集団であると考える根拠の一つになっています。なぜなら、わざわざ6月24日という「洗礼ヨハネの誕生日」をグランドロッジの創設日に選んでいるからです。またフリーメーソンを守護する霊として、しばしば洗礼ヨハネが挙げられることも、その根拠になると思います。ちなみに、マッカーサーの甥に当たるマッカーサー2世(元駐日アメリカ大使、故人)は文鮮明師を深く信奉し、文師の統一運動のために余生を捧げました。

(なお、私が述べるフリーメーソンはあくまでも終戦直後に於ける世界平和志向の組織を指しており、それ以降の現在に至るメーソンのあり方に対しては多大な疑問を持っていることを付言します)2003.7.21江本武忠