東久邇稔彦首相とマッカーサー精神


「東に国が成る」はずだった

1945年(昭和20年)8月15日、昭和天皇はラジオを通じて全国民に終戦を伝えられました。国家として非常に特殊な状態でしたから終戦直後は皇族の
東久爾稔彦(ひがしくになるひこ)殿下が内閣を構成しました。この方は「東に国が成る」という実に摂理的な響きを持つ人物ではないかと私は感じます。

東久爾稔彦さんが首相の立場を退かれた後、昭和22年に書かれた著書を読みますと、終戦直後の困難な状況を皇室内閣としていかに苦心して歩まれたかが感じられます(「私の記録」東久爾宮稔彦著、昭和22.4.1、東方書房発行)http://www.chojin.com/zatsu/higashikuni/higashikuni.htm

この本の中で、マッカーサー元帥について稔彦殿下は「日本占領の第一歩が、未だかつて世界歴史に類のない、無血占領となったことは、彼の第一の大きな成功・・・」(P.170、原文旧字体、以下同じ)と述べておられるのですが、私が思うに当時の特殊な状況下にあった日本の首相という位置は通常の政治家では難しかったのだろうな、という気がします。そして、稔彦殿下はマッカーサーの精神を最初に正確に汲み取った首相ではないだろうかと思います。

稔彦殿下は東条英機と何度も意見が対立したことなども書いておられますが、「戦時中、日本は小さなことに、こせこせしたが、大きなことにはぬかっていた。全体と部分との混同──が、至るところに見られた。部分的には実に立派なものであるが、全体的に総合すると、てんでんばらばらのものばかりで役にはたたなかった」(P.252)とも書いておられます。
考えてみると、
殿下が終戦直後に体感されたその内容こそ、まさに現代の日本に最も当てはまることではないかとも思われます。そして、最も全体的・巨視的な観点こそが神の摂理的観点であり、統一史観であると私は考えるのです。

マッカーサーの「日本再建構想」

東久爾内閣は約2か月で解散し、1945年10月には幣原喜重郎内閣が成立しました。幣原内閣もまたマッカーサーの構想を基本的に受け入れる姿勢を取っていたと言えます。では、マッカーサーの構想というものはいかなる精神に基づいていたのでしょうか。

昭和22年に「マッカーサー元帥の日本再建構想」(パシフィカス著、昭和22.12.20、毎日新聞社)という本が出ています。http://www.chojin.com/zatsu/mac/mac.htm

この本の詳細を述べる余裕はありませんが、この本は全部で17章から構成されており、各章の扉のページにはそれぞれ聖書の詩篇、箴言、黙示録からの聖句引用がなされているのが印象的です。こういう本の体裁だけを見ても、
マッカーサーが日本をクリスチャンの精神で再建し、神の国を実現しようとしていたことを漠然と感じることができるように思います。

ちなみに、この本が出た昭和22年という年は日本社会党が政権を取り、当時の社会党党首である
片山哲さんが首相になっていた時期ですが、片山首相は上記のマッカーサーの本に対して「これこそ終戦後初めて現れた全国民必読の書である」という最高最大の賛辞を送っておられます。

片山哲という方は敬虔なクリスチャンで、誠実な弁護士でした。また禁酒運動や純潔運動の推進者としても日本で草の根的な存在であり、実に尊敬に値する人物であると私は思います。
私は日本の「社会党」(現・社民党)の原点となる精神は本当はこのクリスチャン精神にあったのではないかと考えています。ですから、現在の社民党はこの原点を見失う方向にある限り存在価値を失うこととなり、崩壊せざるを得ないのです。しかし、そのことについてはまた論を改めましょう。2003.8.04江本武忠