祝福後に堕落しても何ともない !?


原罪は自覚しうるものではありません

「祝福を受けて堕落〈不倫)しても何ともないよ。以前と何の変化もないし、大丈夫だよ」というようなことを言う人もいるようです。しかし、それは原罪というものの性質をよく知らないということを自証した考えです。

堕落すると霊的主管圏の移行が行なわれますが、それには自覚は伴わないし、外的には何らの変化もないのです。統一原理でも、アダムは堕落いても「外形的には何らの異変も起こらなかった」(復活論1節の四)と書かれてあるとおりです。

原罪は「罪の根」です。根ですから見えない。「罪の葉」(自犯罪)などは自覚がありますが、連帯罪、遺伝的罪。。。というふうに「罪の枝」や「罪の幹」になるにしたがって自覚は薄れます。しかし、そのほうが罪の程度は深刻なのです。つまり、罪の自覚の強さと深さはまるで逆比例するような関係にあるのです。そして、最も根本の罪である原罪を解明し、清算する道をもたらすのがイエスであり再臨のキリストなのです。

原罪が消滅するメカニズムは複雑ですが、その仕組みが分からなかったとしても、ともかく堕落しないことが大切です。病原菌の構造についてよく分からなかったとしても、ともかく感染しないことが大切であるのと同じことです。