◆進化論について考える◆


サルが歩いて人になった!?

進化論者は「私の先祖はサルである」と言います。しかし、私はどうしてもサルを先祖として仏壇にお祭りする気にはなれませんし、私の先祖をずーっとたどっていくと野生のサルが登場するとも思えないのです。そこで、人間がサルから進化したという進化論について考えてみましょう。

人間がサルから進化したと考える人は、大昔に一部のサルが木から降りてきて、二本足で歩き回っているうちに重い脳を支える力が生じ、その結果脳がどんどん発達した(=重くなった)、などと言うわけです。

しかし、少し冷静に考えればすぐにわかることですが、二本足で歩く動物は何もサルに限った事ではありません。一時有名になった「エリマキトカゲ」などは、大昔から二本足で歩くどころか時速30キロぐらいで走り回っていますが、何十万年経っても人間のように脳が発達したという形跡はありません。

 また、イルカは二本足で歩いているわけでもないのに、その知能はサルや犬よりもはるかに上ではないかとも言われています。
私はイルカの知能について、サルどころではない何かもっと心を癒してくれる倫理的な性質すら感じるものがあります。

つまり、二本足と脳の進化の関係など、最初からほとんど根拠をもっていないというべきなのです。二本足で歩いたから脳が発達したなどという考えは最初から唯物論的な作り話であって、脳の重量が大きいほど賢い、というのも唯物論者が好む考えです。例えば、クジラの脳などは人間よりもはるかに重いのです。

きわめて精密で、しかも未使用部分の多い人間の脳

人間の脳がどれほど精巧に出来ているか、考えてみましょう。品川嘉也博士という学者によると、人間の脳はコンピュータ以上の記憶容量があり、その大部分が未使用であると言われています。それほど精密で未使用部分の大きいものが、おサルさんが木から降りてウロウロしたぐらいで生じるわけがないのです。

確かに、進化論者は「作り話がうまい」ということは言えるでしょう。「風が吹けば桶屋がもうかる」という、不可能に近い確率のこじつけをテーマにした落語がありますが、進化論はまさに「サルが歩けば人になる」という笑い話のようなものだというべきなのです。

進化論では説明のできない大自然の様相

また、進化論者は「サル」という存在にこだわりすぎているようにも思われます。部分にこだわると大自然のあり方が見えなくなってしまいます。サルと人間は外形的に似ている面もありますが、よく見ると非常に異なっています。そこで、サルにこだわらず他の生き物に目を向けてみましょう。

例えば、枯葉にそっくりの姿をした「
カレハカマキリ」という昆虫がいます。これは人間でも騙されてしまうほど枯葉にそっくりの姿をしているカマキリです。もうこれは、サルが人間に似ているなどという次元じゃないほど枯葉に酷似しています。もしも、これを進化論者が説明するとしたら、どういう「作り話」になるのでしょうか。カレハカマキリが、どうやって枯葉そっくりの姿に「進化」したと説明するのでしょうかねえ。。。2003.7.13江本武忠