金百文牧師の教義をパクったって!?
統一教会を非難する内容として、文鮮明師の教義(「原理講論」の内容)は文師が仕えていたことのあるイスラエル修道院の金百文牧師が書いた教典の内容を盗作した(パクッた)ものであるという見解があります。この「教理盗作問題」は、1975年5月19日にソウル・セムアン教会で行なわれた統一教会批判の講演会で朴英官氏が発言した内容が発端となったもので、古くから言われてきた非難の一つです。それについて、ここで考えてみましょう。

金百文牧師のイスラエル修道院

神の摂理歴史の観点からみると、ルターの宗教改革(1517年)から400年後に再臨主誕生の摂理が動くわけですが、
再臨主自体はメシヤ誕生をめぐる神とサタンの世界的闘争(第1次世界大戦)が終結するまでは誕生できない。でも、再臨主を証言する使命を持つ人物は宗教改革から400年後(1917年)に誕生することができます。

再臨主(文鮮明師)を証しする立場にあった
金百文(1917〜1990年)はイスラエル修道院という摂理的教団を作っていたわけですが、そこに文師が6か月間いました。多くの啓示的現象もあったのですが、結局その時に金百文は再臨主の出現を証しすることができなかったのですね。

摂理的には当然のことですが、金百文が再臨主を証す位置にあった以上、彼の教義も再臨主が説く教義に通じるような要素がなけりゃおかしいわけです。全く異なった考えを持つ人物であれば「この人が再臨主ですよ」と証すこともできません。そういう理由で、確かに金百文の説いた教義にも(正当に発展させていけば)統一原理に通じるような要素があったようです。

しかし、統一教会に反対する方々の中にはこの金百文の教義を文鮮明師が「パクった」のだと言われる方もたまにおられます。どこをどういうふうに「パクった」のでしょうね。「パクった」という説を唱え始めた方は、その部分を明らかにしていただかないと、何が「パクり」なのか不明です。
ちなみに、この盗作設を唱え始めた朴英官氏の主張では、文師が実際に金百文牧師に仕えていた期間を間違えている上、文師は「朴泰善」という人物(イエスの空中再臨を強調した「オリーブの木教会」長老)と共に熱心に学んでいた、などという全くの事実無根の内容が含まれていて、その事実認識は誤謬に満ちています。文師と朴泰善長老は相互に面識がありませんし、文師はイエスの空中再臨を否定しています。

著作権というものの性質

まず、金百文の本の中には堕落論の詳細は書かれていませんし、堕落は一種のアクシデントを“論じた”ものであって「非原理」であるにもかかわらず、彼の本では「堕落原理」というまるで必然的原理のようなタイトルになっていたり(笑)。。。それから、彼の教義には復帰摂理を支える「蕩減」という肝心要の考えが欠落しています。

もちろん、上に述べた理由で言葉・用語は確かに統一原理と似ているものもないわけじゃないですが、「考え方」や「目的論」「方法論」などにおいて著しく異なっていると思います。
また、単に言葉・用語が似ているだけで「パクり」というのならば、歴代の科学者・哲学者・宗教家などはそれまでの何らかの学説の土台の上に新説を提唱することがほとんどですから、こういう世の学者・宗教者たちはほとんど全員、それ以前の学説を「パクった」ということになってしまいます。

あと、記憶は正確ではないですが、金百文の弟子の証言では当時「混淫派」というような宗派があって「血分け」儀式が存在していたけれど、イスラエル修道院では全くそのような儀式はなかったと語っていたと思います。資料が見つかったら確認してどこかで書こうと思います。

「パクり」というのは基本的に著作権問題に関係しますが、金百文は統一教会の原理原本も読んでいますし、近年死去されるまで統一教会のことはよくご存知だったようです。
もしも本人が「パクり」だと判断したら、それこそ著作権侵害で教団か本人自身(又は多くの弟子たち)が裁判所に訴えているはずではないかと思います。そういうオリジナル性をめぐる訴訟は、自主性の強い民族的性格を持つといわれる韓国ではけっこう多いとも聞きますが、統一教会に関しては一切そういう裁判があったということを聞いたことがありません。

本当は統一原理をヒントにして金百文牧師の教典が作られた

なお、反対派の方々は統一教会の「原理講論」(1966年5月1日発行)と金百文牧師の「聖神神学」(1954年3月2日発行)、「基督教根本原理」(1958年3月2日発行)の発行年代を比較して、「統一教会の『原理講論』は金百文牧師の著作を盗用した」というようなことを言うわけですが、
よく知られるように、統一教会の「原理講論」はそれ以前の「原理原本」(1952年5月10日発行)や「原理解説」(1957年8月15日発行)の内容を土台にしていますので、私はむしろ逆に金百文牧師が1952年に読んだ「原理原本」という文鮮明師の著作の内容にきわめて強い示唆を得たために、その後の「聖神神学」や「基督教根本原理」を書くことができた、というのが真相なのではないかと思います。

だからといって、「金百文牧師が統一教会の教理を盗用した」とまで言うつもりもないですが、少なくとも反対派のいうような「パクり」という事実を問題とするならば、むしろ金百文牧師のほうが統一原理の内容をパクったというほうが時系列的に見て正当であると言わねばなりません。2003.8.23江本武忠