ネットにおける反対派の主張とその特質
統一教会に反対しておられる方の論法に見られる大きな特徴として、単なる噂話で犯罪だの加害行為だのということを断定したり、すぐに誹謗中傷の言動をするということがあります。しかも匿名であることが多いようです。そういう議論の仕方の特徴をよく示す事例について、ネット上の掲示板で具体的に検討してみましょう。

この項目内で述べる「反対派」の定義

まず、「反対派」というものがとりあえずこの文章の中でどういう種類の人々を示すのかを明確にしておかないと話が進みません。
反対というのは何かに対する反対ということで相対的な言葉ですから、「反対派」という特定団体等を示すわけではありません。
ここで「反対派」と呼ぶのは統一教会の教義ないしは運動等に対して反対する者たちの総称というほどの意味です。戦時中に育った世代を「戦中派」と呼びますが、それは彼等が何か特定の団体を作っているという意味ではなく、お互いに共通項を持つ者を総称しているに過ぎないのと同様、ここで述べる「反対派」という言葉も、統一教会に反対しているという共通した性質の人間を総称しているにすぎません。なお、「反対派」という言葉は文字通り「反対」であるという意味であって、言葉そのものには「悪質である」という意味が含まれないことは言うまでもありません。

「反対派」という呼び方に対して、そうではなく自分は「真実派」である、あるいは「真理派」「正当派」であるなどということを主張する方もおられるようですが、あくまでも「反対」に対応する概念は「賛成」「賛同」「支持」等であって、「真実」とか「正当」というのは別概念です。すなわち、特定の思想を支持する者も反対する者も、
通常はどちらも自らが「真実」であることを主張しているに決まっているわけですから、一方が「真実派」などと称することにはほとんど意味がないと私は思います。

反対派の議論は「誹謗中傷」行為が一つの特質

反対派の方々と議論すると、ほとんどの場合、すぐに誹謗中傷するという特質があることに気づきます。その例は枚挙にいとまがありませんが、私が遭遇した事例では、こちらが聖書を引用してある内容を主張するや否や、聖書の内容が「与太話」であるなどといきなり言い返して来られました。また、自分の主張が行き詰まってくると相手を「サル以下」などと言って中傷することで何か優位に立ったような気持ちになる、という方もおられました。
確かに、批判するということは大切なことです。しかし、すぐに相手を中傷する方というのは「批判」と「誹謗中傷」の区別がうまく出来ない方々なのかもしれません。大人の社会では、批判をする際に誹謗中傷表現を使用することは控えるのが最低限のマナーなのです。

最近、ある統一教会の信者が書いた本が出版されたのですが、それを「ありがたがって読む」のは「まともな教育受けなかった人達」であると決め付けたり、「サリンとかミイラとかを作ったり、白装束まとって徘徊したりするレベルです」などという著しい誹謗中傷表現を使用してネット上で発言しているケースも見られます(「楽しい掲示板」http://bbss.tv/cgi-bin/bbs7/presi.cgi?room=douwa管理人翔子氏2003.07.29.22.29,No,3256,発言者「あゆぽん」氏)。
サリンは製造するだけでも凶悪犯罪になりますので、この発言は統一教会の特定信者が書いた本をありがたがって読むのは凶悪犯罪者と同レベルだという、きわめて悪質な誹謗中傷発言であることは明白です。このように誹謗中傷をして議論に勝ったと思い込むタイプの方は、最初からまともな話し合いができる素地がありません。

概して、反対派の方々はこのように相手の名誉や信用を毀損するような誹謗中傷表現を使用されることが多いわけですが、何かを主張する際に誹謗中傷表現など全く不要であることは明らかです。
もしも仮に、正当な根拠を示せないために誹謗中傷表現によってしか自らの主張ができないから仕方ないのだ、という特殊な事情があると仮定しても、そもそも誹謗中傷表現によって批判や主張に代えるということは社会人として到底認容しうる行為ではないと私は思います。

反対派の匿名性

また、反対派の方々の中にはメールアドレス等を公開しながら発言しておられる方もおられますが、特に誹謗中傷表現を好む方においてはメールアドレスを公開しておられないことが多いように思います。

ネット社会の匿名性の是非についてはいろいろ議論されるところであり、インターネットの文化や技術が短期間に大きく進歩したのは匿名性という気軽な性質に寄るところも大きいとも言われていますが、
逆に匿名性というものがきわめて無責任な発言や誹謗中傷行為が横行する悪質な文化の温床となったということも否定できないと言わねばなりません。

今後も、匿名の反対派の方々による誹謗中傷行為は続くものと予想されますが、ネット文化の倫理基準がもう少し高まって、心無い誹謗中傷の言動が下火になってこなければ、ネット上でまともな議論が可能になる時期はまだまだ遠いかもしれません。
2003.8.23江本武忠