◆巨大企業の不労所得について◆


銀行の振込み手数料というもの

銀行を利用してお金を振り込む場合、例えば入金する銀行と振込先の銀行が異なると通常「630円」の手数料がかかりますが(土日・営業時間外だともっと多くかかるのかもしれませんが)、この630円というのは普通の商売で考えれば尋常でない金額だと私は思います。この場合、
銀行がやっている商売内容はある人の預金を他人の預金に「移してあげる」というだけのことです。それに対してカード使用、暗証番号打ち込み、金額打ち込み、相手先打ち込み、入金操作など、全ての「労働」は顧客本人に強いているわけです。

そういう顧客自身の労働に対しては何の代価もないわけですから、顧客としては労働をしたにもかかわらず逆に630円もの手数料を取られるわけで、この手数料システムはほとんど銀行の「不労所得」という性質が濃厚ではないかと考えることもできます。


しかも、普通の会社は朝から夕方5時まで営業し、開店営業しているお店では夜8時以降も営業している場合が多いですが、銀行は午後3時で店を閉めます。そのかわり銀行は「昼休み」がないじゃないかという人もいるかもしれませんが、対面でお客を相手にしているお店は昼休み時間に来たお客にも対応するのが当たり前ですから、「3時閉店」というのはあまりにも早すぎるのではないかと思います。

銀行の不良債権問題や営業悪化が指摘されていますが、よく考えれば顧客に労働させて不労所得を狙ったり、3時で店を閉めてしまうようなお店がつぶれるのは当たり前のことで、何の不思議もないことだと私は思います。

NTTの公衆電話における不労所得

公衆電話をよくみると、電話の右上当たりに必ず書いてある文句があります。「100円はおつりが出ません」。これは何でしょうか。「恐れ入りますが」もなければ、「ご注意ください」もなく、「申し訳ありません」もありません。

どこぞの商売に、「100円で支払う客にはつり銭を出しません」という乱暴な営業があるでしょうか。急ぎで公衆電話をかける際に10円玉が見つからないことはよくあることですし、気軽に両替をしてくれるお店が周辺に見当たらないこともあります。「両替おことわり」と書かれたお店もめずらしくありません。また、10円玉を用意していても、つい話が長くなればどうしても無くなってしまうこともあります。

NTTの公衆電話で私が特に問題だと思うのは、客につり銭を支払わないという商売を始めてからの期間が非常に長いということです。昔の技術では難しかったかもしれないことも現在では十分可能である、ということはよくあります。例えばつり銭が出るシステムに切り替えて、「つり銭切れランプ」を付けることぐらいは十分可能でしょう。理論的には10円玉が9枚存在している限り「つり銭切れ」にはならないはずです。

つまり、
技術的に「十分できるはずなのに、それをせずに顧客の不利益を放置している」ということが、NTTにおける「不労所得」の重大問題ではないかと思うのです。では、NTTが「100円にはつり銭を支払わない」ということで得られた年間の不労所得はどれほどのものでしょうか。私は計算するのが恐ろしいぐらいとてつもない金額になるのではないかと予測しているのですが、一体その計算が可能かどうかすら分かりません(それが分からないということ自体が大問題だと思うのですが)。

銀行にせよNTTにせよ、問題点は「顧客の利益を無視していること」、「一件についての金額は小額であるため訴訟問題にならないこと」が挙げられると思います。ただ、
NTTの場合のように技術的に改正可能であるのにそれをしなかった、という不作為の過失(それとも故意?)をめぐる責任については、その利益を得た期間(年数)や推定総額などの大きさを考えればそこに何らかの不法行為が成立するようにも思われるし、場合によっては税法上の問題も発生する可能性があるのではないかと私は考えます。

殿様商売をはじめた商人

このように、客を無視して自分の強い立場にあぐらをかく横柄な商売を「
殿様商売」と称したりします。日本には長い間「士農工商」という身分制度がありましたが、その最下層に位置していた商人が次第に力を持ってきた原因は、武士のようにいばらず相手が弱い者であろうが子供であろうが顧客である限り「お客様は神様です」という調子で頭を下げてきた、その謙虚な精神にあったと思うのです。そういうことは身分の高い殿様にはとても出来ないことでした。

ところが、
日本経済が狂ってしまったのは、その商人があまりにも巨大化して利権を持つようになってきたため、今度は次第に商人が「殿様」のように振舞うようになったことが根本的な間違いだと思います。そのことに巨大企業が気づき、「商い」の原点に立ち返らない限り日本経済が根本的に改革されることはないでしょう。2003.8.09江本武忠