片山哲首相とキリスト教社会主義国家◆


世界連邦の理念を持つクリスチャン弁護士、片山哲首相

戦後の日本が国際的キリスト教と連結する際に、社会党の片山哲首相の存在意義は非常に大きかったと言えます。あの当時の混乱における理性的な姿勢、民衆の熱意の高まり、強烈な結集力、急速に進む皇室のキリスト教化・・・などから総合的に判断して、そこに社会党を中心にしたキリスト教社会主義国家統一の可能性があったのではないかとさえ私は思ってしまうのですが、社会党初代委員長であった片山哲という方について考えてみましょう。

ご存知のように、日本社会党が政権を取ったことが2回ありました。片山哲首相の時と村山富市首相の時でした。いずれも社会党単独政権ではなく連立内閣ということもあって急激な異変はなかったですが、片山内閣の場合は日本に新しい憲法が公布された直後だったので非常に重要な期間を担当した内閣であったと言えます。

故福田赳夫首相は、「片山哲という方が、あの混乱期の昭和22、3年、日本歴史の中でなされた功績というもの、これは本当にいくら高く評価いたしても、高く評価しすぎということがないくらいに思っております」と語っておられますが、これは決して政治家特有のリップサービス的な評価ではなく、現実に終戦時の貧困のどん底にあった国民に新憲法下の生活を定着させる苦労は想像を絶するものがあったと思います。

片山哲さんは法律的には吉野作造博士、思想的には安部磯雄博士の影響を強く受けました。
安部磯雄は「早大野球部の父(創始者)」としても知られますが、同志社を出てキリスト教の牧師になった方でキリスト教社会主義の方向に進まれた方です。この安部磯雄が委員長となって1926年(大正15年)に「社会民衆党」を結成した時片山さんが書記長になり、終戦後は「日本社会党」が結成されて、片山さんが初代委員長になっています。したがって、社会党の精神的な原点は、まぎれもなくキリスト教であって、しかもただイエスを信じるというのではなく積極的に社会の中で奉仕精神を発揮するという実践的なものだったと言えます。

また当時、クリスチャンたちに向かって「一つの世界」を強調しながら世界連邦構想を提唱していた賀川豊彦などの運動に片山さんは積極的に加わり、国際的な活動を展開していきました。

片山哲さんは「反共」である

こういうエピソードがあります。戦時中は警官などの思想弾圧が厳しかったのですが、片山さんの同志が大衆演説で「わが党は社会民主主義であって、反共産主義である」と言ったのを、警官が「弁士中止!」といって検挙しようとした。片山さんが抗議したところ、どうも「反共産主義」を「半(半分)共産主義」と解釈したらしい。当時は社会を改革するというだけで共産主義のように思われてしまったわけです。

片山さんはあくまでも議会制民主主義を守ろうとしたし、そこに社会の底辺にいる民衆とキリスト教精神によって連結しようとした方でした。片山さんが結集を呼びかけた人々は、「労働組合をはじめとして、農民組合、中小企業者、婦人、青年はもとより、文化人、インテリ層一般をふくんだ。しかし、共産党系は除いた。なぜならあくまでも暴力革命を排し、新しい平和日本、民主日本を目ざして進もうというのであった。したがって、キリスト教界、神社神道、仏教界などの宗教家の参加も大いに期待した」と述べられています(「平和の父 民主政治の師 片山哲宰相」1978.9.6、高世一成編著、文化社刊、P.162)。
http://chojin.com/zatsu/katayama/katayama.htm

両親の影響も強かった

片山さんのお母さんは非常に熱心なクリスチャンであられたらしく、片山さんをお腹に宿している時期に、夫に内緒で洗礼を受けたと言われています。また「よく母が話をしておったことであるが、子供が寝静まるのを待って抜け出すようにして教会へ行き説教を聴いたと。大袈裟に云えば殉教者のような心持でキリスト教に入ったのであろう」と語っておられます(同書、P.72、原文旧字体)。その後も「母のキリスト教へ引き入れる戦術が成功し、父もついに洗礼を受けるようになったのである」ということのようです(同書P.74)。まさに、母親のイエスキリストに対する熱心な信仰がみごとに貫かれたと言えるでしょう。

また、片山さんの父親は弁護士をしていたのですが、清楚な生活を徹底していた方であり、禁酒・禁煙はもとより、食事の時も自分の食器は自分で熱湯で洗わなければ気がすまないぐらいの潔癖主義だったといわれます。
片山さんは日本禁酒同盟の会長になったほどに禁酒というものを広く普及された方ですが、これは(安部磯雄博士の影響もありますが)明らかに父親からの影響が大きいといえるでしょう。

その後の社会党(または社民党)

社会党の精神的な原点がしっかりしていた時代に比べると、最近の「社民党」は離党者も多く、見るからにガタガタしています。特に溌剌(はつらつ)とした女性党というイメージも今はなくなってしまいました。今のところ女性で目立って弁が立つのは福島瑞穂さん(弁護士)ぐらいかなと思いますが、片山哲さんのキリスト教精神を継承しておられるとは到底言えません。福島さんご自身が左翼思想に染まっておられますし、ご主人(海渡雄一弁護士)はオウム真理教に破防法を適用することに猛反対した左翼弁護士で、反統一教会の弁護士としても有名です。

このように現在の社民党がキリスト教の原点を見失っていることは明らかですが、それを具体的に証明するような事件が辻元清美氏の逮捕であったと私は思います。これは国民の税金を騙し取ったもので、社民党が政治倫理の基本を喪失している明白な証拠となるものです。
もしも社民党が存在意義を積極的に回復する道があるとすれば、片山哲首相の精神的原点に立ち返ること以外にありえないと私は思うのですが、現状は難しいようです。

なお、片山哲さんの口癖は「北京で宗教者の世界連邦大会をやろう」ということでした。もちろん当時は時期尚早ではあったでしょうけれども、宗教者としての発想の壮大さ、方向性には大いに共鳴を得るものがあると思います。

■片山哲・参考資料
1887.7.27和歌山県生まれ。弁護士片山省三の長男。
1912 東京帝大卒。
1913 弁護士開業。
1945 
日本社会党初代委員長
1947 
内閣総理大臣
1951 世界連邦建設同盟理事。
1953 
世界連邦日本国会委員会委員長
1954 憲法擁護国民連合議長。
1956 
日中文化交流協会会長
1957 
日本禁酒同盟理事長
1958 
社会純潔化協会会長
1960 西尾末廣を中心に結成した民社党に入党、最高顧問。
1964 勲一等旭日大綬章。
1965 民社党を離党(憲法9条の解釈の相違による)。
1966 
キリスト者世界連邦協議会会長
1967 世界連邦日本宗教委員会代表役員。
1971 国際平和協会会長。
1971 
日本禁酒同盟会長
1973 酒害予防協会会長。
1978 自宅で永眠。90歳。

2003.8.04江本武忠