◆マザー・テレサの預言と文鮮明師の歩み◆


マザー・テレサに7年間仕えた牧師が告げられたこと

現在ハワイに在住しておられる
サム・マシラモニー牧師はヒンドゥー教の家庭で育ちながらもキリスト教に転向された方で、神学校時代には校長からの指示でマザー・テレサのもとで働くことになり、7年間にわたってマザー・テレサをボランティアで支えながら病気の子供たちや路上で死んでゆく人々の世話をした方です。

その頃(1960年代)のマザー・テレサはカトリック教徒ではあっても世界の宗教を一つにするという願いを強く持っておられ、サム牧師が会った時も修道女の姿ではなくサリー(インド服)を着ていました。そのように、異教徒の中に溶け込みながら活動するマザー・テレサの活動をあまり快く思わなかったローマ教皇としては、マザー・テレサに対する積極的支援をしていませんでした。そのため、物心両面でサム牧師が支援することになったのです。

ある時、文鮮明師による合同結婚式などの活動があまりにも盛んに報道されていたので、サム牧師はマザー・テレサに文鮮明師のことについて尋ねました。
すると、
マザー・テレサは「レバレンド・ムーン(文師)は預言者である」と答え、更に「あなたは注意深くレバレンド・ムーンの言うことを聞かなければなりません。もし全ての宗教を一つにすることが出来る人がいるとすれば、それはレバレンド・ムーンである」と言われました。

当時、サム牧師は文鮮明師にはあまり関心がありませんでしたが、マザー・テレサの言葉があったため、心の奥では「いつか私はレバレンド・ムーンにお会いするだろう」と思っていました。

原理講論を7回読み、悟る

その後、1976年にサム牧師はハワイで教会の仕事をするようになりましたが、その頃に統一教会の人々と接する機会がありました。当時は文鮮明師に対して非常に否定的なことを言う人々が多かったので、マザー・テレサから文師のことを聞いていたサム牧師は「文師は素晴らしい方なのに、どうして人々は反対するのだろう」という疑問が生じ、文師の祈祷文を読んだり統一原理について調べるようになりました。

やがて、サム牧師は統一原理の講義を聴き、更に統一教会の教典的書物である「原理講論」を熱心に7回繰り返して読みました。そこで、
彼は統一原理が全て聖書の真実から来るものであり、聖書に関する疑問を全て解き明かすものであるという事実を知ったのです。

サム牧師はクリスチャンとして独身を通していましたが、メシヤによる結婚によってはじめて天国に入ることができるという統一原理を理解し、文師によって選ばれた相手の女性と結婚することにしました。
その祝福の時、彼は文鮮明師と夕食を共にする機会に恵まれましたが、文師は彼以外の誰も知らないはずの、数年前に彼自身に起こった出来事を語られたので非常に驚きました。まさに、文師はメシヤであり再臨主であるということを実感しました。

教会の十字架を降ろす

先ごろ、文鮮明師はキリスト教の教会から十字架を降ろすようにという指示を出されましたが、これは2000年間にわたって「イエスの十字架が救いである」と考えるクリスチャンにとっては衝撃的なことです。しかし、再臨主が地上で神の救いの摂理を行なっている以上、イエスの十字架は不要であり、むしろこれからは再臨主を人類の真の父母として受け入れる時代になっているわけです。サム牧師は教会から十字架を降ろしました。そして、文師の指示通りイスラエルに行き、その十字架をイスラエルの地に埋めました。

すると、どうでしょうか。それまで統一教会に対して否定的だった人々がサム牧師を招待して、「一体、何が起きているのか証してほしい」と言って盛んに統一教会と文鮮明師の話を聞くように変化してきました。今、確かにキリスト教会に変化が起きています。そして多くの実を結ぼうとしています。「すべて良い木は良い実を結ぶ」(マタイ7:17)というイエスキリストの言葉は2000年を経て大きく成就しようとしています。

文鮮明師は世界中で宗教迫害を受けたり、アメリカでも牢獄に入れられましたが、そのアメリカでは統一教会の教義に感銘を受けた国会議員たちによって「父母の日」という祝日が法制化され、全米国民が永遠に祝う日となったほどに、統一教会の理念は受け入れられてきました。
しかし、
マザー・テレサのように文師のことがあまり詳しく知られていなかった時代から文師の価値を悟っておられた方も存在していたのです。これは、マザー・テレサ自身がいかなる状況にあっても神に仕え、常に神に通じる深い祈りをしておられたという事実を大いに裏付ける内容でもあると思います。

1946年の啓示、1948年の苦難、支持者12名と1950年の出発

さて、神の摂理史において再臨主の歩みとマザー・テレサの歩みはどのようにかかわるのでしょうか。私は「啓示と再出発」という観点でその深い関わりを見ておきたいと思います。

再臨主である文鮮明師は、1946年6月6日に神から啓示を受けました。それは、「北朝鮮に行きなさい」という内容でした。北朝鮮は、当時若かった金日成が恐るべき粛清によって独裁政権を樹立しようとしていた暗黒の国家です。しかし、その最も悲惨な場に深い神の摂理が隠されていることを知っていた文師は妻子を韓国に置いて、神の指示通りに北に向かったのでした。

一方、
マザー・テレサ(当時「シスター・テレサ」)は1946年9月10日に列車の中で有名な神の啓示をお受けになり、最も貧しい人々に仕えることを決心されたのです。そして、1948年に一人カルカッタの貧民街に入られ、神の御旨を実践されました。そこでの歩みはあまりにも過酷なものでしたが、シスター・テレサは表現しがたい苦労の中で病人や孤児たちのため、愛の限りを尽くされました。そして、次第に彼女の理解者や支援者が現われるようになり、やがて彼女を中心に12名のシスターたちによって共同生活体が確立し、それはついに1950年10月7日にローマ法王によって修道会「神の愛の宣教者会」として公認されたのでした。それ以降、彼女は「マザー・テレサ」と呼ばれるようになり、人生の新しい出発をされたのです。

1946年に神の啓示を受けて北朝鮮に行った文師は、1948年5月20日宗教迫害によって北朝鮮の地獄とも言われた興南の強制収容所に投獄されることとなりました。そこでの苦難は筆舌に尽くしがたいものでしたが、文師は監獄の中で自分に命がけで従う12名の弟子を見出したのでした。そして、ついに1950年10月14日にマッカーサー率いる国連軍の爆撃によって興南の囚人たちは解放され、文師もまた新しい出発をすることになったのです。

このように
文鮮明師とマザー・テレサの歩みを照らし合わせる時、(1)1946年に神の啓示を受けられたこと、(2)1948年に最も悲惨な場に行って神の御旨をなされたということ、(3)最も困難な所から12名の支持者が現われたこと、(4)1950年10月に新しい次元で出発されていること、などが全て共通しており、その時期に神の深い摂理が世界的なレベルにおいて確かに働いていたという足跡を見ることができるように思われるのです。2003.8.19江本武忠

(注)サム・マシラモニー牧師の証しは、光言社「ファミリー2003年8月号」P.62-68に掲載されました。