◆孫正義社長と日韓新時代◆


日本に帰化しているのに「孫社長」とは、これいかに?

ソフトバンクの孫正義社長さんといえば、いろいろな意味で日本のIT業界に旋風を巻き起こした先駆者です。在日の方ですので中学までは「安本正義」という日本名を使用しておられましたが、これはあくまでも「通称名」であって、安本姓で帰化していたわけではありません。

だから、高校(久留米付属高)を中退されてアメリカに留学した時もパスポートの本名は「孫正義」の名前で、その下にカッコで「通称・安本正義」と書いていたとのことです。アメリカでは、ずっと「孫」の本名で通されました。

さて、1980年にアメリカのバークレー校を卒業され、翌1981年に日本で「日本ソフトバンク」を設立しました。そして、いよいよ孫社長が日本国籍を取得しようとしたのだけれども、これが簡単じゃなかったのです。

なぜかというと、「孫」という“韓国名”では日本国籍は取得できないといって役所が受け付けないわけです。つまり、「孫」という名前の日本人が存在すれば受け付けるのだけれども、日本人で「孫」という人はいないのでダメということ。。。
孫さんは、「アメリカではどんな名前でも国籍を取れるのに、日本はどうして“日本名”でなければいけないのか」という不満があったそうです。

その後、日本人である奥さんが裁判所に行って「孫という韓国名に変更してほしい」という申請をしました。これは、ものすごくめずらしい事例なので裁判所は何度も念を押して確認した上で、奥さんの名前を“夫”の名である「孫」に変更しました。ちなみに、日本人で韓国名に変更した例はほとんどないそうです。

さて、ここからが面白い。。。
再び、孫正義さんが日本国籍を取得するために役所に出向いて行きました。そして、「日本国籍を取りたいけど、孫という韓国名をそのまま名乗りたい」と堂々と主張しました。「孫という名前の日本人が存在しないからダメ」という役所の見解に対しては、「いや、帳簿をみて調べてくれ。一人だけいるはずだ」と。すると一人だけいました。奥さんでした。(笑)

「帰化」とは一体なんでしょう?

このようにして、晴れて孫社長は日本に帰化されたわけですが、いわば孫社長は日本の役所に対して「孫」という韓国姓のまま日本国籍の取得を“認めさせた”と言うべきものであって、従来の「帰化する」というイメージからは遠い感じがします。

それと同時に、一体「帰化する」とはどういうことなのかと、しばし考えさせられるエピソードだと思います。日本の役所の形式主義的な面はいまさら指摘するまでもありませんが、既に「朴」はパク、「崔」はチェ、「金」はキム、「盧武鉉」はノムヒョンと読む時代になり、「孫社長」を「まご社長」と読む人もいないわけですから、そろそろお隣の韓国・朝鮮人の方が帰化する際の氏名についても、次第に融和政策の方針を検討してもいい時代になっているのかもしれません。
2003.8.23江本武忠

(参考文献)
清水高著「インターネットの超新星・孫正義」財界研究所、1999