進化論者は言う、「私の先祖はサルである」と。しかし、私はサルを先祖として仏壇にお祭りする気にはなれないし、私の先祖をずーっとたどっていくと野生のサルが出てくるとも思えない。ここで冷静に進化論について考えたい。

 人間がサルから進化したと考える人は、大昔に一部のサルが木から降りてきて(サルも木から落ちる!)二本足で歩き回っているうちに重い脳を支える力が生じて脳がどんどん発達した、などと言う。

 少し冷静に考えればすぐにわかることだが、二本足で歩く動物は何もサルに限った事ではない。一時有名になった「エリマキトカゲ」などは、大昔から二本足で歩くどころか時速30キロぐらいで走り回っているのだ。
 また、イルカは二本足で歩いているわけでもないのに、その知能はサルや犬よりもはるかに上ではないかとも言われている。私はイルカの知能について、サルどころではない何かもっと倫理的な性質すら感じるものがある。

 すなわち、二本足と脳の進化の関係など、ほとんど根拠をもっていないというべきなのである。二本足で歩いたから脳が発達したなどという考えは最初から唯物論的な作り話だったのである。脳の重量が大きいほど賢い、というのも唯物論者が好む屁理屈みたいなものだ。例えば、クジラの脳などは人間よりもはるかに重いではないか。

 ちょっと考えてみてほしい。人間の脳というものは想像以上に精巧にできており、品川嘉也博士という学者によると、人間の脳はコンピュータの約100万倍の記憶容量があり、その大部分が未使用であると言われている。それほど精密で未使用部分の大きいものが、おサルさんが木から降りてウロウロしたぐらいで生じるわけがないだろう。

 要するに進化論者は作り話がうまいのである。「風が吹けば桶屋がもうかる」という不可能に近い確率のこじつけをテーマにした落語があるが、進化論はまさに「サルも歩けば人になる」という笑い話のようなものだ。
  また、進化論者は「サル」にこだわるから大自然というものが見えなくなってしまうのだ。サルと人間は外形的に似ている面もあるが、よく見ると非常に異なっている。そこで、他の生き物に目を向けてみよう。例えば、枯葉にそっくりの姿をした「カレハカマキリ」という昆虫がいる。これは人間でも騙されてしまうほど枯葉にそっくりの姿をしている。サルが人間に似ているなどという次元ではない。もしも、これを進化論者が説明するとしたら、どういう「作り話」をするのだろうか。カレハカマキリがどうやって枯葉そっくりの姿に「進化」したと説明するのだろうか。さあ、みんなで進化論者の面白い「落語」を聞いてみようではないか。