第4章 なぜ文明は突如として栄え、滅亡するのか     [古代文明論]

 1.イエスの人類史的な位置づけ

 ●「第2アダム」としてのイエス

 人間始祖アダムは、もともとは無原罪であった。アダムは「罪なき方」「神の子」として生まれたからこそ、神から大いなる子孫の繁栄を願われたのだ。ところが、堕落の罪に落ちてしまったため、神は「第2のアダム」を探し求められたのだ。あえて大洪水で人類を滅ぼしたとしても、ノアの家庭に無原罪のアダムを再び誕生させようとしたのである。

 ノアがいくら偉大でも、あるいはアブラハムとかヤコブがいくら信仰者でも、「第二のアダム」が誕生して、あの天地創造の時アダムの誕生を喜んだ心情に触れることがない限り、「アダムよ、いずこなりや」(「創世記」第3章9節)という悲痛な親としての神の叫びは決して止むことがないのだ。
 もしも、ここにアダムがもう一度誕生したら、神は彼に「生めよ、殖えよ、治めよ」といって祝福し、天地の再創造を開始するだろう。そのアダムは真の人間となり、真の父母となって子孫をふやし、宇宙を治めて神を慰めることであろう。

 そして、今やその「第2のアダム」の誕生の時が近づいたのだ。それは重大な事件であり、人類史の紀元を分けねばならないほどの人類革命的な出来事になるのだ。その時、人類の文明はどうなるだろうか?発展するだろうか、それそも変わらないだろうか。

 神は「第2のアダム」を中心として、真の人間の文明を構築しようとするのだ。もしも彼が生まれるという時が近づけば、あらゆる文明を最高レベルに引き上げて彼の誕生に準備するに違いない。それはあたかも、ソロモン王の時代にあらゆる知恵と文化が花開き、まるでエデンの園のようになったごとく、である。

 ●イエスの誕生を目指して全文明が復興した

 ご存知のように、文明というものは大きく波打ちながら発展する。しかも単純な周期ではなく、ある時突然世界のあちこちで、まるで申し合せたかのように同時に急速な発展を遂げるのだ。それはあたかも表面には見えない海底の巨大マグマが大変動をしたために、世界中の火山が同時噴火するようなものである。そして、イエスが誕生するまでの400年間というものが、まさに世界同時文明開化の時代ともいうべきものであったのだ。

 イエスが誕生するまでの400年間という時代は、インドでは釈迦の仏教、中国では孔子や老子の思想、ギリシャでは哲学や数学、天文学等が華々しく発展し、おまけに東西を結ぶシルクロードまで準備されていた。
 紀元前400年頃、預言者マラキが「主の大いなる恐るべき日」を叫んだ時、世界中の国ではもうその預言を知っているかのように聖人、賢人が続出し、文明が開花していった。釈迦はすでに人類平等思想を説いていた(「平等」は仏教用語)。孔子・老子は現代の人間に十分通用する古今不易の名言を残した。ギリシャでは、ソクラテス、プラトン、アリストテレス、ピタゴラス、アルキメデス、ユークリッド等々、もう賢人の目白押しのような事態である。


 それらの思想が発展し開花する時期がなにゆえに紀元前500年〜400年前後に集中しているのだろうか。これは、一個人や一国家の次元ではないもっと大きな何かが作用しているとしか思えない。このような不思議な現象は、人類に「第2のアダム」が誕生するという喜ばしい摂理を考慮する事によってはじめて真の根拠をもってくるのである。