4.神の王国建設とその失敗

●民族基盤から国家基盤へ

 ちょっと、まとめよう。ヤコブが「イスラエル」すなわち“天使をも統治する”という勝利をなしたことによって、その子孫に神の子が誕生できる基準が打ち立てられた。しかし、ヤコブの勝利は個人や家庭の次元ではダメであり、サタンの勢力基盤に打ち勝つだけの民族基盤を作らなければならなかった。たとえ仮にメシヤがヤコブの家庭に誕生できたと仮定しても、家庭次元ではサタン側の民族基盤の勢力によって簡単に殺されてしまうからだ。それゆえにモーセが民族を率いて、砂漠で訓練しながら世界で一番強烈な選民意識をもつ、最強の民族に育てあげたのであった。

 そして、イスラエルは400年以上を経てやっと民族的な基盤をもって故郷カナンに帰ってきた。聖書によれば、モーセの後継者としてヨシュアが選民を率いて故郷カナンを目指しながら、敵陣エリコ城を崩した。しかも何らの武器を使ったのではなく、ただ雄羊の角笛を吹き鳴らしながら城の回りを巡回する事を7日間続けただけで城壁は突然崩れ落ちたという、まさにモーセの奇跡にも匹敵する奇跡を起こしている

 ただ、ここで注意すべきことはサタンの勢力もじっとしているわけではないということだ。サタンはじっとしていないどころか、常に神側の基盤に追いつかれないように必死で基盤を拡大しているのだ。モーセが民族基盤を確立した時点でも、既にサタン側ではエジプト王国を中心とする強大な異教国家の基盤を作っていたのである。したがって、イスラエルとしてもいつまでも民族レベルに留まっていては、いつ滅ぼされるかわからない。はやく国王を立てて、国家基盤という姿に拡大しなければならない。そのようにして確立していった国家が「ユダヤ王国」なのである。

 ハーレイ博士は、「この時までの政治形態は『神政政治』政体であった。すべての民族が強盗である。略奪の世界では、民族が生存を保って行くためには相当な強さが必要であった。そこで神ご自身も人間的なやり方に歩調を合せて、他の民族がしたように、一人の王のもとに彼の民族の『統一』を許された」というように考えておられる(『聖書ハンドブック』P.178 )。実際、神の摂理は常にサタンとの緊迫した拮抗関係の中で形成されていったのである。

●豪華絢爛、ソロモン王の栄華と自滅

 選民イスラエルの初代国王となったのは、サウル王である。彼は謙虚な人ではあったが、戦勝の成果におぼれ、次第に傲慢になる。というよりも神に導かれているという民族的自覚が薄れ、自分勝手な判断をするようになったのだ。それゆえ彼をバックアップしていた預言者サムエル自身も、神がサウル王から離れた事を直感した。預言者は神の意向を国王に伝える重要な役務であるが、国王の政治方針とぶつかる事も多かったのだ。

 サウル王の次の王をダビデにするという事はすでに密かに進められていた。ダビデは次第に人気上昇となるが、サウル王と闘って権力を取ろうと考えるような野心家ではなかった。彼は、詩や音楽を愛する深い信仰者であった。聖書の叙情深い「詩篇」の多くは彼の作品である。ダビデは宗教的に深い心情をもっていたが、同時に勇者でもあった。敵陣ペリシテ人の戦士でゴリアテという身長2.7メ−トルもある巨人に勇敢に立ち向かってこれに勝った。しかし、そういう功績で国民的英雄となりつつあるダビデに対して、サウル王はますます嫉妬心を燃やすようになる。
 サウル王はダビデを殺そうとするが、ダビデのほうが人格的に何枚も上であり、無用な闘いを避けて身を隠し、サウル王が壮烈な戦死を遂げたあとを継いで二代目の王となった。東京聖書学院の千代崎秀雄教授は、サウル王とダビデ王の関係を「信長の亡きあと天下を取った秀吉のような、二人の関係であった」と表現しておられるが、そういう面があったのかもしれない(『歴史読本ワールド』特集聖書の謎、P.100 )。

 ダビデ王は、常に神に対して忠実であった。国土も拡大し、強大になった。ところが、完璧と思える人間にも弱点があった。ダビデも女性に関する情欲には勝てなかったのだ。ある日、彼の忠実な軍人であるウリヤの妻バテシバの入浴姿を見て、その美しさに心を奪われてしまい、彼はバテシバと不倫の関係を結んでしまった。しかも、軍の大将ヨアブに命じて、ウリヤをわざと危険な戦地に向かわせるように仕向け、戦死させた。そして計画通り、未亡人バテシバを王妃にしてしまったのである。

 預言者ナタンを通して、彼は神の前に悔い改めた。しかしながら、その預言の通りバテシバとの間の不倫の子は病死した。そして、ダビデは心底から神の前に深い懺悔をなし、その清らかな心情の上に生まれてきた王子こそ、彼の後継ぎとなった賢人ソロモンだったのだ。
 ダビデ王の基盤を相続してソロモンは三代目の王となった。彼は人類史上最高級の知恵者である。ダビデが詩情豊かな心情の王だとすれば、ソロモンは知恵の王である。聖書の「詩篇」によりダビデの情感の深さを知ることができるが、ソロモンは知恵の書と言われる「箴言」の大部分の作者でもある。

 ソロモンの王国は、まさにメシヤが誕生するにふさわしい全ての環境を備えており、当時考えうる最高最大の基盤をもっていたといえる。輝かしい黄金造りの神殿や豊かな繁栄に支えられた国家の平和はまさに「第二のアダム」の誕生を待ち望むかのような華やかさであった。ソロモンの名は「シャローム」(平和)と同語源とされている。彼は外交能力も卓越しており、しかも全世界から彼の知恵を訪ねて諸国の王達が彼のもとにやってきたのだ。ソロモン王の実力を考慮すれば、当時一挙に世界を神の理想郷にする事も十分可能な事であったといえる。

 しかも彼は、エジプト王(パロ)の娘を王妃としていたのであるから、来たるべきメシヤを中心として異教の国々までも巻き込んでしまう実力すらあったのではないかと考えられるのだ。
 また私は、ソロモン王がユダヤ神秘学であるカバラの秘儀を自在に駆使する人物であったという事に特に注目したい。世界最大の魔法書とも言われる『ソロモン王の鍵』には47種類の魔法円が収録されているが、それらはソロモン王があらゆる知恵を駆使して編み出したものであり、伝説によると彼はそれを使って悪魔を自由に呼び出して命令する事もできたと言われている。
 考えてみれば、ルーシェルは天使の中でも知恵の天使といわれるほど知恵深かった。その天使と対等に渡り合い、誕生する「第2のアダム」を守護する人物は、当時のエジプト学、ユダヤ神秘学に精通している必要があったといえる。その役割に対して、ソロモン王以上の適任者は皆無であったというべきである。

 しかし、ルーシェルが知恵の天使であったと同時に淫欲に溺れた堕天使でもあるように、残念なことにソロモン王にも同様の弱点があった。というより、その淫欲を克服する事によってこそ、彼がサタンに一言も文句を言わせない堂々たる国王となる道があったと見るべきかもしれない。しかし、人間は悲しいものだ。彼は異教徒の女を次々に自分の妻にして、何と彼の妻は700人、そばめが300人もいたというのだ(「列王記」11:3)。そして、諸外国の女性との関係を保つため、次第に彼は異教の神々を礼拝するようになり、本来の重要な摂理的位置から脱落してしまい、ついに神も彼を見離さざるをえなくなったのである。

 彼の最後はあまりにも惨めである。一体何のための繁栄だったのか? 何が世界一の知恵者か?どれほど実力があろうと知恵があろうと、黄金ピカピカの神殿を建てようと、神から任された本来の使命を離れれば、結局金と女に狂った一時的な権力者と何ら変わらなくなってしまうのだ。ソロモンの時代から約1000年後にようやく誕生したイエスによって、「栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった」(「マタイ」6:29)という言葉で彼の栄華のむなしさを表現された、そんな彼の哀れな運命を当時の誰が予測したであろうか。
 せっかく、メシヤの到来の準備が出来つつあったのに、淫行に溺れたソロモンの不信仰により、一転してまた歴史が逆戻りし、彼の死と共にやがて王国は真っ二つに分裂する事となったのである。

 しかし、それにしてもつくづく実感させられる事は、ソロモンほどの聖者においても、性的欲望というものには勝てなかったのだ。ソロモンに限らず歴史上の多くの英雄の失脚の背後には必ずといってよいほどこの色情問題が絡んでいる。それほどにこの課題の克服が困難である理由は、この課題が個人的レベルではなく、「人間始祖」自体が越えられなかった、人類全体が抱える血統問題にかかわる性質をもっているという事実に由来するのである。

●王国の分裂と民族の捕虜生活

 ソロモンの堕落により、王国はメシヤを誕生させる基盤(霊的・実体的な両方の意味で)を失った。ソロモンを越えるほどの名王がいるはずもなく、特に彼の子であるレハベアムは全然ダメであった(親が偉大すぎた場合よくある話だ)。レハベアム王は重い税金を更に重くしたので、民衆は不満をつのらせ、ソロモン王の元部下だったヤラベアムを勝手に自分たちの王として祭り上げ、北に新しいイスラエル国家をつくってしまったのだ。ここに北イスラエルと南ユダの南北王朝の分裂時代が始まった。

 
もともと12の部族があったが、北に行ってしまった反逆部族が大半で10部族。ダビデの王統を継承するレハベアム王についたのは、ユダ族とベニアミン族の2部族だけという有様であった。
 北イスラエルのほうは、やはり反逆組だけのことはあって、とんでもない悪王がどんどん出現していった。そして次第に気持ちの悪い偶像を作ってそれを崇拝するという、もとの選民とは思えないほど信仰は地に堕ちた。

 そういう不信仰なイスラエル民族に対して、選民としての自覚を再起させるために多くの預言者が現れて、神のメッセージを叫び続けた。エリヤ、エリシャ、ヨナ、ホセア、アモス等々である。しかし、民族は預言者たちに耳を傾けず、邪神を崇拝し続けた。中でもエリヤという預言者は、真実の信仰を貫いて命がけで戦い、神の戦士にふさわしい生涯を送った。エリヤが天命を全うする時が近づいた事を悟ったとき、彼の後継者である博愛の預言者エリシャに上着を残してバトンタッチした。エリヤは昇天する時、天から火の車と火の馬が降りてきてエリヤを乗せて、つむじ風とともに去っていったという。

 南北王朝の分裂は約400年続いたが、その間に北イスラエルはついに選民としての自覚を復帰できず、アッシリアによって全滅させられる運命となった。一方、本来の正統である南ユダにおいてもヨシア王というような偉大な王も出現したが、ついにあとが続かず、結局北朝からの悪影響を受けて次第に信仰があやしくなってきた。
 国家の思想がぐらついてくると、外敵にも対応できなくなる。当時バビロン(ネブカデネザル王)が強大となり、アッシリアを倒して南ユダに迫ってきた。エジプトもユダに向かいつつあった。選民ユダ国は両国ににらまれて風前の灯となった。こういう運命になったのは真の神への信仰がなくなったからだと預言者エレミヤは王に忠告したが、逆に反感を買って殺されそうになる。そのエレミヤの預言が的中して王国はバビロンに攻め入られ、王は殺されて民族の一部が捕虜となった。

 最後のユダ王であるゼデキヤもまた、預言者エレミヤの忠告にそむき、結局バビロンによって捕らえられ目の前で自分の子供たちが殺されるのを見せられたあげく、両目をえぐられてバビロンに連れて行かれるという悲惨な事になった。彼は鎖につながれたまま獄死する。そのように民族の不信仰の結果、エルサレムの市民の大部分がバビロンの捕囚となり、まさに無惨な亡国の運命となったのである。
 これがいわゆる「バビロン捕囚」という事件であるが、これこそ彼ら自身の選民としての自覚を徹底的に迫られるような、民族史における決定的事件となったのだ。ハーレイ博士は「神は相次いで預言者を送って、再三再四審判を宣告された後、ついにこの民族をまさに一掃せんばかりの捕囚という最後的手段に訴えた」と述べておられる(『聖書ハンドブック』P.225 )。

●預言と年数について

 南北王朝の分裂は、バビロンに捕囚されるという事件で一応終わったが、実は預言者のエレミヤが、この捕囚期間が70年であるという事をバビロン王が即位した時点で既に預言している。

  「この地はみな滅ぼされて荒れ地となる。そしてその国々は七〇年の間バビロンの王に仕える。主は言われる、七〇年の終わった後に、わたしはバビロンの王と、その民と、カルデアびとの地を、その罪のために罰し、永遠の荒れ地とする」(「エレミヤ」25:11 )

 実際、バビロン帝国のネブカデネザルが王となってユダに攻め入り、捕虜を連れ去ったのが紀元前606年であり、その後4度にわたって捕囚とした。しかし、エレミヤの預言の通り、バビロン帝国は70年を越えることなく、ペルシャ王クロスによって滅ぼされ、荒れ地となった。クロス王は、非常に人道的な王であり、ユダヤ人をバビロンからエルサレムに帰還させる政策を進めてくれたのである。それが紀元前536年であるから、結局捕囚期間は預言通り70年であった事になる。

 そして、その帰還は紀元前536年の約5万人を始めとして3回にわたって徐々に民族の再興を図りながら、約100年かけて行なわれた。そして、彼らはようやく選民としての自覚を取り戻していったのである。
 ただ、それはすみやかに自覚されたのではない。たとえば、紀元前457年にバビロンからエルサレムに帰還してきた司祭エズラは、帰還直後に見たエルサレムの堕落した実態に驚きあきれ、神の罰を恐れた。なぜならそこには偶像崇拝の民族との雑婚が横行していたからだ。

 結局、イスラエル選民(ユダヤ人)に再び健全な選民意識が確立するのは、偉大な預言者であるマラキの出現を待たねばならなかったのである。旧約時代最後の預言者マラキの出現によって、ようやく霊的にも実体的にもメシヤを迎える基盤が再び整ってきたというべきなのである。マラキはついにメシヤの到来に関する具体的な預言をした。旧約聖書の最後のページを飾る預言者マラキ。その預言はいかなる内容だったのだろうか。