山崎浩子さん失踪事件

元新体操選手の山崎浩子さんは統一教会に入信後、同じ理念を持つ信者同士の間で結婚をする合同結婚式に参加することを自ら希望していた。そのため、同様の結婚を希望していた勅使河原秀行氏(京大卒、大和証券本店勤務)という相手が候補に選ばれ、それを本人たち同士もお互いに納得していたことはテレビの会見などで周知のことであった。

ところが、統一教会信者に対して拉致・監禁、棄教を迫る強制改宗グループによって山崎さんが拉致された結果、突然消息を断つという異常事態が発生した。そして、強制改宗グループはいわゆるディプログラミングという密室集中説得的な手法を施し、山崎さんを脱会決意に至らせた。

統一教会信者は、これまでに拉致監禁被害の事例を多く見ているので、こういう暴力的改宗という現象自体には今さら驚くことはないのであるが、このような違法ともいうべき許されない行為が白昼堂々と起きていることに対して、テレビ(特にワイドショー)はあいかわらず元共産党員のジャーナリスト有田芳生氏や山崎さんのディプログラミングに当たった左翼牧師(元全共闘)、旧社会党系や共産党系の左翼弁護士の意見を一方的に視聴者に信じ込ませることを繰り返したことについては、いつものコースとはいえ驚きあきれてしまうのである。

ただ、そうはいっても、健全な見解を述べていた言論機関もかなり多数あったので(テレビではこういうまともな意見は一切取り上げられないが)、山崎浩子さんの脱会の前後において左翼思想等に汚染されていない“正常な言論人の方々”はどのように述べていたか、ということについて参考までにここで紹介しておく。文中、文字の色は江本武忠が付けたもの、ネット上で見やすくするために改行を変更したり、横書きにするため漢数字をアラビア数字に変えた部分があることをご了承いただきたい。強調するが、以下に引用するご意見は決して「統一教会寄り」ということではなく、あくまでも普通の常識人として「正常な意見」ということである。


東京新聞
「メディア新事情」
1993.4.4
奇妙な記者会見だった。「週刊文春」4月に山崎浩子さん失踪後初めての写真と直筆文が掲載されたが、発売日前日、花田紀凱編集長と担当デスクによる記者会見が行われたのである。約百人の報道人がつめかけたという。週刊誌発売に合わせてワイドショーやスポーツ紙が記事内容を紹介するというのはよくあるが、記者会見まで開かれるのは異例。しかもワイドショーがその会見のもようを構想するというのは前代未聞ではないだろうか。「週刊文春」の担当記者自体は、山崎さんの義兄のインタビューを載せただけなのだが、何といってもインパクトを与えたのは写真の存在だった。掲載されたのは13カットのうちの4カットとのことだが、義兄宅を訪れた記者にフィルムごと渡されたという。「週刊文春」はこの間“反統一教会”の姿勢を旗幟(きし)鮮明に出していたから、そうした立場の人にはかなり評価されていたのであろう。
一方、
統一教会側は「一週刊誌の売り込みにマスコミ全体が振り回されているのは遺憾」とのコメントを発表した。「一週刊誌の売り込みにマスコミが・・・・・」というのは言い得て妙で、思わず笑ってしまった。(メディア批評誌「創」編集長・篠田博之)
産経新聞
「遮断機」
1993.4.16
ところで私は今回の反統一教会側の動きや発言に、正直言ってとてもいやな感じがしている。二つほどその理由をあげてみよう。まず彼女の発言以前に反統一教会側のスポークスマン・ジャーナリストの有田芳生などが、彼女の脱会を確信していると述べるだけでは足りず、婚約者勅使河原さんとの結婚もありえないなどとあたかも当事者の意志を代弁するような発言をしていること。さらに彼女に関する最重要事項の情報を知る通路が、もうひとりの当事者である勅使河原さんには意図的に完全に塞がれている点である。彼女の意志も不明なままこのような交信不能な状態は、一種の強制的な隔離である。(幸)
読売新聞
「メディア時評」
1993.4.25
島森路子
山崎浩子さん「脱会」会見が映し出すもの
山崎浩子さんの記者会見の様子をあとでビデオで見て、なんともヘンチクリンな気持ちになった。そのヘンチクリンな感覚は、こうした記者会見やあるいはリポーターにムリヤリつかまったタレントや有名人のコメントを聞いたりしたときにいつも感じる“なにかムリな感じ”とかなりの部分で共通しているが、今度の場合は必ずしもそればかりではない。
山崎さんが自身の身と心をさらして話せば話すほど、それを“見物”しているこちら側と、それを“演出”しているメディアの関係が、なんともグロテスクなものとして感じられてくるのである。
そんなことはいまさら言うまでもないだろう、とっくに日常茶飯事ではないか、なにをナイーブブリッコして、という声が私の片方の耳に響いてくる。そりゃそうだ。メディアとタレント(商品)の関係はもちつもたれつ、互いに利用しあい、化かしあい、一つの幻の(と同時にきわめて現実的な)“産業”を作り出している関係だ。そのなかでは、プライバシーだの人権だのといった甘い言葉は、とうの昔に通用しない。それさえも切り売りし、痛みさえ感じなくなるようでなければ、このマスメディアの中を生きる“現代人”として一人前とは言えないと、皮肉な私のもう一つの声が言っている。そしてこれを同じように痛みもなく“消費”しているのが、私たちテレビの前の“一般大衆”である。
けれども、
とりわけここ1、2年“宗教”がワイドショーの常連ネタとなったあたりから、このなかば“皮肉”を言ったりやったりすることでもちこたえてきたメディアと人間の関係が一線を越えてしまったように感じられる。その宗教の実質がどうであれ、ひとの踏みこんでならないところまでメディアが踏みこみ、内側から切り崩していくような、そんな気持ち悪さを感じてしまうのだ。(中略)
それにしても、
会見後、記者席からいっせいに拍手がわきおこったという話もちょっとこわい。(中略)メディアがこぞって“正しい”生き方を強要し内面に干渉しているように感じられるところがこわいのである。(「広告批評」編集長・島森路子)
毎日新聞
1993.5.9

三枝成彰
ただ、ワイドショーの姿勢には問題がある。たとえば統一教会のアンチは正義だとする反統一教会の存在について、その実態を明確にすることなしに世論の代弁者にしてしまう。このように主張だけうのみにして正義をふりかざすのは危険であり、それがこうじると弱い者いじめに通じる性質をもってしまう。
かくゆう僕もワイドショーにかかわっているのだが、世間が悪だとする事柄をよってたかって攻撃する姿は、あたかも小型犬のようである。決して自分よりも強大なものにはキバをむかないからだ。
僕は統一教会に対しては宗教としてではなく、政治的な面において批判的である。
その存在そのものを悪だとする主張に満ち満ちている楽屋にいると、どうしてもその雰囲気に寄り切られてしまいがちだ。だが、ワイドショーでつるしあげられた経験のある僕は、そこで作り上げられる嘘や当事者にしかわからない真実があることを知っている。だからコメンテーターとして、自分が正義だという態度を取らないでいられるか・・・・・・。それは現場にいる僕をつねに躊躇させるのである。
月曜評論
1993.5.10
[山崎浩子さん報道]
信教の自由はどこにいった!?


あってはならない暴挙

3月上旬に失踪していた元新体操選手の山崎浩子さんが4月21日、東京のTBSスタジオで記者会見し、世界基督教統一神霊協会(統一教会)から脱会すると発表した。この会見は、テレビなどが大きく伝えたが、言論機関として報道姿勢に多くの問題を残した。
山崎さんはキリスト教の新興教派のひとつである統一教会の信者であったが、3月7日に姉宅を訪問後連絡を絶ち、警察に捜索願いが出されていた。親類や統一教会信者改宗専門の左翼牧師につかまり、事実上監禁状態に置かれて、洗脳を受けていたようだ。
本人は記者会見で、「(姉とともに)マンションの中で普通の生活をしていた」(「産経」4・21夕刊)と語っている。だがその反面、当初自動車に押し込まれたときは「改宗させるための姉の拉致・監禁であると思い、怒りがわいた」と語っており、「毎日」メディア欄の背景説明(4・22)での指摘通り、拉致・監禁否定は「改宗後の意識」である。
この会見を伝える一般紙は、「おしなべて『問題の多い宗教からの奪回は歓迎』という視点に終始していた」(前期「毎日」)スポーツ紙やテレビと違い、発言内容を淡々と報道。また、統一教会側の「関係者との一切の連絡を絶った状況の中で行われたものであり、本人の自由意志に基づいたものといえるかどうか強い疑問が残る」とのコメントを伝えている。
だから一般紙の報道姿勢は妥当と言えるかというと、逆だ。今回の会見は、反統一教会キャンペーンを繰り広げてきた文藝春秋が主催し、TBSスタジオで行なわれた。これに対して、「産経」(4・22)はメディア欄で、「文春、巧みな目ディ戦略、早期会見、発売日に合わせ?設定」と、文春やTBSの商業主義の批判をしているだけだ。
この改宗問題は「信仰の自由」、ひいては「思想の自由」を侵害する、近代自由主義国家にあってはならない暴挙である。いかなる宗教・教派を信じるか、仮令(たとえ)メザシの頭を信じるにしても、それは個人の自由なのだ。他人が介入すべき問題ではない。

島森路子氏の論評に同感
33歳の大学出の成人をマンションの一室に1カ月半も押し込み、改宗を強要するなど、歴史の歯車が数世紀逆転したかの感じを受ける。
もっとも、ソ連や東欧諸国ではつい最近まで、体制を批判する政治家や思想家を矯正収容所にぶち込み、思想改造していたし、中国や北朝鮮は現在でも行なっている。
統一教会は裏腹の組織として、思想団体「勝共連合」を持っており、改宗専門の牧師が「解放の神学」系の左翼牧師であるところから、ソ連邦の崩壊で“祖国を失った”マルクス・レーニン主義者が宗教レベルで仕返しをしたといった側面がある。
今回、左翼牧師の思惑通り、山崎さんは改宗したが、もし断固として改宗を受け入れなかったならば、どうするつもりだったのであろうか。万が一にも、北朝鮮に移送して洗脳教育を行なってもらったり、あるいはある日、路傍に死体となって転がっていたという事態にならないと思うが…。
いずれにしろ、常日頃、宗教の自由、思想の自由を口にし、言論の自由に依拠して報道活動を続けている報道機関が、これらの視点から文春やTBSを批判していないのは、異様である。
ただ、島森路子・「広告批評」編集長は「読売」の「メディア時評」(4・25)で、「会見後、記者席からいっせいに拍手がわきおこったという話もちょっとこわい。…メディアがこぞって“正しい”生き方を強要し内面に干渉しているように感じられるところがこわい」と指摘している。まったく同感だ。
本来、社説などで、このような視点からの論評が行なわれなければならない。「読売」はまだ、この島森氏の論評を載せたから救いがあるが、「朝日」はまったく沈黙を守っている。仮に「朝日」の首脳が拉致・監禁され、思想転向を迫られても、このように頬かむりをしているであろうか。(瑞)
産経新聞
「遮断機」
1993.7.6
だがこんど「月刊Asahi」7月号で有田芳生氏の文章をまともに読んでみて、ひでえもんだと思った。だってこの人は自分の「正しさ」の感覚が何に支えられているかについての疑問がそもそもカケラもないんだもの。立派な大人が数週間かそこらで洗脳されたり逆洗脳されたりという奇妙さへの驚きも不安もなしに、どうやって正邪をめぐる断絶に直面する家族のことを考えようというんだ。これはもう思想原則の問題ではなく、単純にジャーナリストとしての力量の問題だ。統一教会批判の論理がこんなもんなら、こっちの反発のパトスまでしぼんじゃうよ。
「逆洗脳」か「脱洗脳」かという問題もこの人には「事実」の問題に見えるらしい。
事実を明らかにすれば事の正邪もおのずからあきらかになるといいたげな、倫理的な問題を考えるための条件を何かひとつ決定的に欠いているこの手の文体には、昔よくお目にかかったことがある。有田氏はミンセイみたいだ、と私は思ったのだが、そしたらこの人は本当にかつて共産党員だったらしい。(島田裕巳の記述による)。文体をかえずに逆洗脳されたのは山崎浩子さんである前に有田氏自身だったわけだ。こんなこと書いていると、この私の文章自体が共産党ぎらいの野次馬のノリじゃないか、と言われそうだが、まあ正直言って半分くらいはそうだ。(棚)
東京新聞
「信教の自由」
1994.11.4
諸井 薫

この世の中、挙げつらい出したらキリがないくらい気に入らないことだらけだが、これだけは一日も早く改めて貰いたいと思うのは、宗教への入信者を胡散臭げな目つきで見ることだ。
信教の自由を謳っている憲法を持ち出すまでもなく、誰がどんな宗教に入信しようがその人の勝手であって、他人が口を挟むことではないはずなのに、この国では逆だ。最近女優の斉藤由貴が、信仰を同じくする青年と婚約していることを公表したのを報じるマスコミの姿勢には、あきらかにモルモン教徒に対する露骨な好奇心が窺えた。
もっとひどかったの統一教会信者桜田淳子の場合だ。“歩く広告塔”となじられ、執拗なマスコミの集中砲火を長期にわたって浴び続けたのは、あたかも魔女狩りのごとくだった。
かりに統一教会の霊感商法とやらが、法に触れるものであるならば、法によって裁かれれば済むことで、入信者も違法行為がない限り、とやかく言われる筋合いはないはずだ。(中略)
私は不信心で、宗教に対してまったくといっていいほど関心がないが、人間がこの世を生き通すために、宗教に帰依するのを嘲笑するほど傲慢にはなれない。21世紀へ向かってますます国際化が進むだけに、この日本人の他人の信仰に対する不寛容は、放置しておくわけにはいくまい。
1993.3.6 勅使河原氏と山崎浩子さん、勅使河原氏の両親が一緒に三重県鳥羽市にある浩子さんの一番上の姉・清水紀子さん宅を訪問。5月予定の披露宴の打ち合わせのためという名目であった。この夜、浩子さんだけが泊まることとなり、翌日勅使河原氏と落ち合って名古屋から高速バスで帰京する予定であった。
1993.3.7 浩子さん失踪。浩子さんは予定時刻に現れず、勅使河原氏は単身で帰京せざるを得ず、9日に勅使河原氏は年休を取って鳥羽市を再訪したが、その際に聞いた浩子さんの義兄の話に不安を覚え鳥羽警察署に相談。
1993.3.10 鳥羽警察署、捜索願を受理。勅使河原氏は都内での記者会見で本件失踪が「強制改宗グループによる拉致・監禁の手口に酷似している」ということを述べた。彼自身も過去に拉致・監禁され、脱出した経験があった。
1993.4. 「週刊文春」4月8日号が山崎浩子さん失踪後初めての写真を独占的に掲載、監禁グループとの連携を感じさせた。
1993.4.21 山崎浩子さん記者会見で、統一教会からの脱会を表明。

「週刊朝日」(1993.3.26)、30〜33頁
  「山崎浩子の失踪で明らかになった統一教会vs改宗グループの暗闘」
「週刊朝日」記事「山崎浩子の失踪で明らかになった統一教会vs改宗グループの暗闘」によると、「(山崎さんの)雲隠れの背景には、統一教会と、教会を批判して信者脱会を勧めるグループの暗闘が、ほの見えてくる」として、信者を改宗するグループの存在が指摘されている。

なお、この改宗グループについて全貌社「ゼンボウ」が追及していた。
●「テレビに出る「反統一教会」の人々の正体を「ゼンボウ」が解明していた!?」


朝日新聞社「AERA」(1993.5.4-5.11)、「山崎浩子さんは『文春』の広告塔か」
「AERA」記事「山崎浩子さんは『文春』の広告塔か/マスコミがマスコミを選別する、ちょっと変わった記者会見」によると、山崎さんの「脱会」記者会見は「『週刊文春』とTBSが取り仕切った」という。「この日、ふだんより1日繰り上げ、増刷販売された『週刊文春』4月29日号は、脱会の事情を伝える『山崎浩子独占手記』のスクープを13ページにわたって掲載していた。記者会見の開催とタイミングを合わせたわけである。テレビ局の芸能リポーターらは、この記事のコピーを片手に次々と質問した」。また、会見はあらかじめ20分と決められており、松井清人氏(文藝春秋社・月刊誌「マルコポーロ」デスク)が場を仕切って「ハイ、そこまで。これで終わります」と言って会見を打ち切った。「午前7時という時間は、モーニングショーの中継や生出演を想定した時間帯だった。TBSは、ビッグモーニングで会見を生中継し、続くモーニングEYE、午後からのスーパーワイド、と三番組で会見を扱った。他の局は、中継車の乗り入れは許されず、テレビカメラは二台までと制限され、TBSの映像を生中継に使わざるを得なかった」。一方、この会見ではフリーライターの大林高士氏は取材を断られたのだという。大林氏はこの会見以前に「週刊ポスト」で「家族や反統一教会の牧師らによる山崎さんの説得には、人道上の問題がある」と書いたからだ。大林氏は「私のことを、統一教会寄り、と決めつけて閉め出したのです。それは全くの誤解。両方の言い分を聞いて、公平に伝えようとしただけ。メディアが改宗作業にかかわり、会見のおぜん立てまでするのは、問題がありすぎる」と怒りをぶつけたという。

絶対に許されざる人権侵害「拉致監禁・強制改宗」

(参考サイト)
「テレビに出る「反統一教会」の人々の正体を「ゼンボウ」が解明していた!?」
30000組・国際合同結婚式

マスコミの暴力的取材で桜田淳子さん負傷
バドミントン元世界チャンピョン・徳田敦子「やっぱりこの人が一番」(光言社、1994)