十字架  


 結局、洗礼ヨハネの失敗によってイエスは十字架の道を選ぶしか方法がなくなってきました。多くのクリスチャンは「十字架必然論」の立場ですが、それは間違いです。決してイエスの十字架は最初から神が決め込んでいた運命ではなかったのです。その証拠に、十字架につく前にイエスが「神よ、できることなら十字架で死ななくてもすむ道をお与え下さい」と言って真剣な祈りを神に捧げた事実が聖書に記録されています。その祈りはイエス自身のためではなく、もちろん全人類の運命のためでした。

 ともかくイエスの十字架の問題は決して必然論で解決がつくようなものではなく、本来は十字架につく予定ではなかったにもかかわらず、神が予定した人物(特に洗礼ヨハネ)が神の意思(御旨)に反して責任を全うできなかったため、やむを得ず十字架の道を選択せざるを得なくなったというのが歴史の真相です。だからこそ、イエスは「私はまだ語り尽くしていないことが多くある」とか「私はまた来る」などと言って再臨を予告されたのです。もしも十字架がイエス誕生からの必然的運命だとするならば、イエスの(あるいは神様の)とんでもない一人芝居になってしまうでしょう。

 イエスが次第に基盤を失って十字架の道を選択せざるを得なくなった経緯は次の通りです。まず、イスラエル国家の方針を左右するほどの力を持っていた洗礼ヨハネの不信によってイエスは国家的な基盤を失いました。そこでイエスは早急に72門徒、120門徒という民族的基盤を新たに編成してサタンの勢力に対抗したのですが、聖書学者(律法学者)たちによる強烈な宗教迫害を受けて弟子たちは次第に減少し、やがて12弟子(氏族的基盤)を中心に活動するようになっていきました。

ところが、その中の経理担当だったユダという人物がイエスを裏切る事件が起きたために12弟子の基盤も崩れ、3弟子(個人的基盤)が最後の守りとなりました。しかし悲しいことに、ユダヤ人による夜中の裁判の場でイエスに対する死刑の判断が下された時、3弟子の中でも一番弟子だったペテロが共犯の疑いをかけられるのを恐れた結果、イエスから警告されていたにもかかわらず「私はイエスという人を知らない」などと言ってイエスを裏切ってしまったため、もはやイエスを守る基盤は完全に消滅したのでした。

そうなったらもう、イエスは自分の最後の最後の基盤(つまり自分の肉体)をサタンに渡して、その代償として「霊の復活」を為し遂げる、という手段を取るしか道がなくなったのです(だからこそ、聖書にはイエスの死体は見つからない、と書かれているのです)。

     国家的基盤 → 洗礼ヨハネの不信で崩壊

     民族的基盤 → 宗教迫害により72門徒が崩壊

     12弟子の基盤 → ユダの裏切りで崩壊

     3弟子の基盤 → ペテロの裏切りで崩壊

さて、イエスが十字架で殺されたため、せっかくインド(仏教)や中国(儒教)で準備された高度な古代文明の発展はストップせざるを得なくなり、イエスを中心とする信仰の基盤は東洋回りではなくヨーロッパへと回る、いわゆる文明の流れの逆転現象が起こったのでした(これ以外に人類の文明が逆方向に転回した理論的説明は不可能です)。