光武帝(劉秀)は、中国後漢の名君です。当時、200年間も続いた劉氏の漢王朝(前漢)が王莽のクーデターによって乗っ取られていたのですが、劉氏の末裔である劉秀が奇跡的に政権を奪還して光武帝となったのでした。
光武帝の政治方針は儒学を中心に礼節を尊ぶ、非常に質の高いものでした。君主思想のレベルとしては最高級だと言えます。もしもイエスが十字架で殺されずに世界の統一運動を進めたとすれば、当然のこととして当時の中国の高度な精神文化とも融合していたはずです。そしてイエスと光武帝が出会ったならば、お互いに意気投合したに違いありません。しかも、紀元前6年に生まれた光武帝はイエスとほとんど同級生だったのです(イエスの誕生については紀元前7年説も有力です)。
そして、もっと重要なことは光武帝は日本の運命においても重大な存在であったことです。当時の日本(奴国王)は紀元57年に光武帝から国王名義の「金印」を授かっており、その後の大乱を経てヒミコ女王を中心とするヤマタイ国の統一がなされていったと言われています。
また、日本の神話では太陽神アマテラスの孫にあたるニニギノミコトが筑紫の日向の高千穂にある「クシフル峰」に降臨して日本を統治したことになっていますが、韓国の神話にもそれに似た話があります。韓国の『三国遺事』によると、光武帝の紀元42年に金首露という王が「クシ(亀旨)の峰」に降臨してカヤ(伽耶)諸国を統治したという、日本神話の原型とも言うべき物語が書かれているのです。
これは、光武帝の時代には日本と韓国は国家形成の基盤として非常に強力で親密な結びつきがあったことを意味しているのではないでしょうか。実際、日本の皇紀は二千数百年を数えていますが、その年数は大陸(朝鮮半島)の歴史も含めなければ理解できないとも言われています。ですから、戦後険悪になってしまった日本と韓国の心情的関係から真実の国際的協調関係を復帰するという困難な作業も、実はこの歴史的レベルにまでさかのぼって自覚される必要があると私は思うのです。
そして、人類史が何度もメシヤを迎えようとして失敗を繰り返したという事実が歴史的に認められるとすれば、日本国統一がいかになされてきたかという問題についても摂理的視点から再検討されるべきではないかと思われます。
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