預言者エリヤの立場の人物  

 


「死海文書」などの研究で、当時イスラエルの秘儀を伝授されていた最高の宗教組織はクムラン宗団という教団であったことや、その教団が断食修行や洗礼儀式を特徴としていたことなどが明らかになりつつあります。その中から、最も優秀な指導者(義の教師)として世に出た人物が洗礼ヨハネという人だったと考えられます。

 ヨハネという名前の人はたくさんいるので、この方は「イエスに洗礼を与えたヨハネ」という意味でのちに洗礼ヨハネ(バプテスマのヨハネ)と呼ばれるようになったのです。彼はイエスが誕生する半年前に生まれ、誕生した時から何かと奇蹟が起きて全国中の評判になっていました。民衆の中には「この人がメシヤかも知れない」と考える人もいたようです。
聖書では、彼について明確に「彼はエリヤの霊と力をもって、・・・父の心を子に向けさせ・・・」(ルカ福音書1章17節)と記載されていますので、当然彼が旧約聖書最後の預言者マラキが預言した「預言者エリヤ」(メシヤと民衆をつなぐ者)だったことは全く疑う余地がありません。

 新約聖書にもヨハネがキリストの「証し人」であることが明記されています。たとえば、「ここに一人の人があって、神からつかわされていた。その名をヨハネと言った。この人は証しのために来た。光(メシヤ)について証しをし、彼によって全ての人が信じるためである。彼は光ではなく、ただ光について証しをするために来た」と書かれています。つまりヨハネは、世の光(メシヤ=キリスト)がイエスであることを証言するために現れた人物なのです。

 実際、彼がイエスに洗礼を与えた時は「見よ、世の罪を取り除く神の子羊!」などと言ってイエスがメシヤであることをハッキリと証言したのでした。だから、民衆は大工さんの息子イエスがメシヤだったという意外な事実には驚いたけれども、「あの偉大なヨハネが証言するんだから絶対間違いない。よっしゃ、これからはイエス様の洗礼を受けてわしらの罪も取り除いてもらおう」とみんな同じことを考えたのは言うまでもないことです。

 ところが、その後まもなく洗礼ヨハネはイエスと全く別行動を取るようになり、全然別な場所で洗礼活動を続けるようになったので当時の民族は非常に混乱してしまったのです。いわゆる「清め(洗礼)の争論」が生じました。
「一体、わしらどっちの洗礼を受けたらええんや。イエスとヨハネとどっちが偉いのかね?」「そりゃ、あんたイエスにきまっとるがな。洗礼ヨハネは預言者エリヤという神の証人にすぎんばい」「でも、それやったら何でヨハネはイエスの弟子にならんのじゃろか。けんかでもしたんかいな」「いやいや、やっぱ本当はヨハネがメシヤじゃないの? あの人、謙虚じゃけん自分では言わんのじゃ。こっちから聞いてあげんと」 ─というわけで、もめにもめたあげく結局、首都エルサレムから偉い律法学者、祭司たちがヨハネのところに来て代表質問をした。

 「あのー、イエスじゃなくてあなた様がメシヤですか」という質問に対してはヨハネはきっぱり「違う」と答えた。やれやれ、ヨハネさん自身はメシヤじゃないらしい。これで問題点は一つに絞られた。あとは、この人が預言者エリヤだと言う事実さえ明確になればイエスは正真正銘のメシヤということになる。なぜかと言うと、以前ヨハネはイエスを指さして「神の子羊」とか「世の罪を取り除く者」などと言って証言したのだから。

 ところが、である。「それじゃあ、あなたは預言者エリヤですか」という質問に対して、彼は「いえ、そうではない」(ヨハネ福音書1章21節)と断言してしまったのだ。完全な「逃げ」である。ヨハネよ、あんたは何を考えとるんや。

 いやー、これは大変なことになった! ヨハネという最高の預言者が「いえ、私はエリヤではない」というのだから、それ以降イエスが「私はメシヤだ」なんて言おうものなら「偽キリスト」になってしまう。処刑もんだよ、これは。実はイエスが裁判で死刑になった最大の理由は、この洗礼ヨハネの愚かな発言によるものだったのです。

 ヨハネの最後は悲惨でした。当時のヘロデ王が弟の妻を横取りしたという、週刊誌ネタのようなスキャンダルにヨハネが口出しをして、王様の反感を買って逮捕され、ヨハネは獄中の人となりました。その後、王様の誕生日のパーティーの席で裸踊りをしたサロメという少女への「ほうび」として洗礼ヨハネの首が切られたという、悲しくも情けない物語。この話、ワイルドの戯曲「サロメ」で有名ですね。