ユダヤの「命の木」とヨガの「チャクラ」の図

●ユダヤの教えの一部の流れには「カバラ」(カバル=伝授)という秘伝的修行体系があり、その体系は「生命の木」という謎めいた図式にまとめられています。図は、修行のシステムと獲得すべき10の境地を示しており、体系にしたがって初歩的な霊視などの訓練を始めとする修行の全ステップを忠実に実践すれば神の知恵とパワーを備えた宇宙の「王」(メシヤ=神の子=完成人間)の位置を獲得できる、とされています。

●本来、人間の祖先であるアダムは「生命の木」の全プログラムを体得した原型(アダム・カドモンという)を備えた、いわば「完成人間(神の子)」となるはずだったのです。ところが、悪魔となった天使長ルーシェルの支配を受けて堕落した結果、神は「生命の木に到達する方法を封印した」のでした(旧約聖書「創世記3章24節」)。その方法は、神の子(生命の木)であるイエス、更には再臨主のみによってのみ解かれるものと考えられます。

●「生命の木」の修行体系は、見方によるとヨガの「チャクラの図」とか仏教の「曼荼羅」の図に似ているとも言えます。いずれも人間の完成図とか理想の境地を示しているのだから似ているのは当然のことかもしれませんが、あまりこの図にこだわって深入りをすると非常に危険であることを強く警告しておきましょう。実は、この修行は(方法を誤ると)精神異常を引き起こす危険性を伴うものだし、とんでもない人生の寄り道をしてしまうことになりかねないのです。私はオウム真理教の麻原彰晃の処女作『奇跡の超能力開発法』(大和出版)の初版が出た頃から麻原教祖には注目していましたが、私の見るところでは麻原教祖とか高弟の上祐という人については、彼らが独自に工夫したヨガの修行システムによってかなりの程度の境地(霊的ステージ)を獲得したような印象も受けます。しかし、彼らはある段階(啓示を受けるような段階)で完全に方向が狂ってしまった典型的な失敗例の部類に属するのです。彼らは個人の修行の価値を強調しますが、個人的修行以上に優先する高次の原理軌道を自覚しないと悪魔の罠にひっかかってしまいます。オウム真理教については教義上だけでなく活動面において完全な間違いがありますので徹底的に根絶するべきものと私は考えます。ともかく、危険な修行には一切近づかないことです。くわばら、くわばら...。