なぜ歴史は繰り返すのか? これは難しい問題のようですが、実は理論的に理解することができるのです。

<概略の説明>

.人類の先祖(アダム)は本来「神の子」であり、エバと結婚して「真の父母」となり、神が統治する王国を樹立して「王(=メシヤ)」となるはずであった。

.ところが、人間でない者(正体はルーシェルという名の天使)がエバを堕落させ、アダムも堕落してしまったため、全人類は人間と人間でない者(=サタン)のハイブリッド(混血)の状態となり、崇高な神の心と非情な悪魔の心を共有せざるを得ない矛盾的な存在となってしまったのである。

.神とサタンの混血状態からサタン的部分を切り離すことに成功したのがヤコブという人物であり、ヤコブはその勝利をもって「イスラエル」と改名、ユダヤ民族の先祖となった。ここから神の選民イスラエルの歴史が始まる。

.やがてイスラエル選民は人類歴史において、アダムの再来(第二アダム)である「神の子」イエスを地上に誕生させることに成功した。ここで、イエスは結婚して全人類の「真の父母」となるはずであったが、残念ながらイエスはイスラエル民族自身の手によって殺害された。

.イスラエルに代わってイエスを「神の子」と信じる集団(第二イスラエル選民)が発生し、「キリスト教」と呼ばれる勢力を形成した。キリスト教はイスラエルの2000年歴史を繰り返しつつ、イエスの再来(第三アダム)である再臨主を迎えるのである。しかし、イエスの時と同様にキリスト教がその再臨主を不信することがあれば、どうしてもキリスト教に代わる第三のイスラエル選民が必要となる。

<アダムの時>

 神は土(アダーマ)に命の息(霊)を吹き入れて人間(アダム)を創造されたと伝えられています。元来、「神の子」として誕生した人間始祖アダムは妻エバと結婚して「真の父母」となり、豊かに実を結ぶ樹木のように子孫を繁栄させるべきでした。聖書にある「生命の木」はそのようなアダムの理想の姿の象徴です。そして、アダムはやがて「王」(メシヤ)となって神の王国を実現するべきでした。それは、神の愛に満ちた平和な統一文化世界(地上天国)となるはずだったのです。
 ところが、人類の歴史の出発時点で悲惨な出来事が起きました。ある天使がエバと姦淫の罪を犯すことによって神の計画(摂理)を妨害し、そのときアダムも堕落してしまったのです。アダムとエバを堕落させた天使は、歴史上「サタン」と呼ばれるようになりましたが、その正体が特定の天使であったことは長らく解明されなかったのです。また、アダムが堕落した直後、神は「生命の木に到達する方法」をサタンに知られないように封印したと聖書は記しています。
 そして、アダムとエバの堕落が血統を汚す罪(姦淫)によるものであったため、全ての人類は「原罪」という血統的な罪を子々孫々に渡って受け継ぐことになり、「神の子を生む」というエバの神聖な機能は(聖母マリヤの出現まで)中断してしまったのです。

<ヤコブの時>

 やがて、神の意思を受け継いだヤコブ(別名イスラエル)を出発点とするユダヤ民族が神の選民(神の摂理を実現する中心民族)となって拡大していきました。
 しかし、神の計画に反逆したサタンがイスラエル民族の拡大を許しておくわけがありません。サタンはイスラエル民族に対して実に悲惨な迫害を与え続けたのです。エジプトにおける壮烈な迫害については、聖書にも克明に記録されています。ようやくイスラエル民族はユダヤ王国を建設しましたが、迫害が終わったわけではありませんでした。
 そして、長い迫害の路程を乗り越えた末、その信仰の土台の上にユダヤの国に「神の子」すなわち「第2のアダム」が誕生しました。それが、イエスという人物だったのです。イエスこそ、イスラエルの王(メシヤ)となり、世界のメシヤとなるべき方でした。

<イエスの時>

 イエスは聖母マリヤの聖なる母胎から原罪のない人間として誕生しました。アダム以来、地上に再び原罪のない赤ん坊が誕生したのです。イエスという無原罪の人間が聖なる結婚をなし遂げて「真の父母」となることでアダムとエバの罪が清算されます。それと同時に、民族的・世界的な規模で聖なる結婚の儀式を執行されることにより全人類の原罪も清算され、人類はサタンの血統が断ち切られ、新しい人類歴史が出発する道が開かれるのです。天は喜び、地は踊りました。紀元の前後を別けねばならないほどの革命的・世界的出来事だったのです。
 ところが、全く残念なことに「神の子」イエスを待ち望んだはずのイスラエル選民は、その使命を悟ることができず、イエスを十字架につけて殺してしまったのです。イエスは聖なる結婚もなすことができず、33才の生涯を終えました。その最大の理由は、当時のイスラエルの最高の預言者(洗礼ヨハネ)が選民を誤った方向に導いてしまったことによるものでした。
 ここにイエスを中心とする全人類の原罪清算の摂理は中断し、歴史は振り出しに戻されたのです。ただ、サタンはイエスの肉体を殺すことはできても魂(霊人体)を奪うことは不可能でした。それゆえイエスは霊的に復活し、イエスを信じる人々に「霊的救い」が与えられるようになったのです。

 イスラエル選民は、神が地上に送ったイエスを「神の子」として信じる信仰を失ったため、イエスを「神の子」として信じる少数の集団に神の摂理がバトンタッチされることとなりました。これがキリスト教徒です。キリスト教徒は神の子イエスを信じ、イエスの復活を信じます。ですから、キリスト教は「第2イスラエル」と呼ぶこともできるのです。歴史の中心は、今やイスラエルからキリスト教に移行しました。それゆえ、イエス当時に栄えていた東洋を中心とする文明から西欧の文明の時代に転換するという「文明の流れの逆転現象」が起こってしまったのです。