● 【統一原理の解明】
■統一原理の概要
文鮮明師が解明した真理は「統一原理」と呼ばれる。要約すれば、人類始祖(アダム・エバ)は本来イエスと同等の価値を有する「神の子」となるべきだったのであり、もしも人格を完成したアダム・エバが結婚して人類の「真の父母」となっていれば(当然、全人類が神の子となり)、人類は真の愛による神中心の統一文化世界を創造していたと解するもので、従来のキリスト教に比べて注目すべき点は、「第2のアダム」として降臨したイエスの十字架と復活によって成就した救いはあくまでも「霊的救い」であって、更にイエスが再臨して(アダムが完成できなかった)「真の父母」の使命を果たすことで人類の血統を支配してきた原罪の根本が清算され、「実体的救い」を得ることができると説くことである。
このようにイエスの救いは再臨によって成就するという考えは、再臨が「聖書の中心的真理」であり「平和は彼の再来に由て始めて実現するのである。(中略)天国は単に霊的状態ではない、地に建設せらるる国である」として熱心な再臨運動を展開した内村鑑三の見解などがこれに近いといえる(『基督再臨問題講演集』9〜30頁)。
統一原理によると、メシヤを待ち望んだイスラエルの歴史はイエスが十字架につくことで中断してしまったため、イエスの復活を信じるキリスト教の歴史は再臨のメシヤを待ち望む路程としてイスラエル史を反復する現象(摂理的同時性)を生じる、と説明される(江本武忠による簡単な解説)。
なお、統一原理の概要は『原理講論』(日本語版、1967年発行)という600頁ほどの教理解説書に簡略にまとめられており、「創造原理」(神・人・万物の本然の存在様相)「堕落論」(本然の状態から離れた原因)「復帰原理」(本然の状態に戻る法則と歴史過程)の3項目に大きく整理される。それに加えて、原理講論の発行以後に文師が新たに語った内容等を合わせるときわめて膨大なものになる。
■統一原理が従来のキリスト教の抱える諸問題を克服している点
若干は上述したが、統一原理の特質について従来のキリスト教をいかに克服するものであるかという観点から紹介しておく。
(1)イエスの十字架必然論の問題> 従来のキリスト教では「イエスは十字架につくために降臨した(十字架必然論)」という立場に立つが、そうであればイエスを裏切ったユダなどはその目的に貢献した者として逆に絶賛されねばならない等の矛盾を生じる。また「もし出来ることなら、この杯(十字架)を私から過ぎ去らせて下さい」(マタイ26:39)と神に祈ったイエスの言葉が不明になる。統一原理では、イエスは本来は十字架につかずアダムの使命(真の父母となること)を果たすべきであったと説く。その使命が中断する状況に直面したからこそ、イエスは「まだ語るべきことが多くある」(ヨハネ16:12)と述べつつ再臨を暗示されたのであり、その結果「キリスト教」という新しい宗教が生じた(生じざるを得なかった)のである。
(2)神の完全性と人間の責任論> 従来のキリスト教では、神が全知全能で完全であることから「なぜアダム・エバの堕落を防げなかったのか」、更には「神が完全ならば、なぜ戦争を終わらせることが出来ないのか」等の問題提起に回答することができなかった。もしもアダム・エバの堕落が不可避で必然のものであったとしたら、神がアダムに対して「生めよ、ふえよ」(創世記1:28)と祝福して結婚や子孫繁栄を願ったことと、彼らの堕落を嘆いて「人を造ったことを悔いる」(創世記6:6)と述べたことが矛盾してしまう。しかし、統一原理では神の全知全能性を否定しないまま、神と人の親子関係による責任分担という真理を知ることによって解決される。
(3)イエスは創造主か> 従来のキリスト教では「イエスは神自身(創造主)である」と説くが、創造主が十字架で死ぬことは不合理と思われる。統一原理では、イエスは神自身ではなく、完成した人間(神の子、第2のアダム)であり、そもそも本来は人間始祖アダムが到達すべき立場であったと説く。また、イエスが創造主自身であれば結婚する必要もなかったかもしれないが、イエスは「第2のアダム」としての使命を全うする立場であり、もしも十字架につかなければ結婚して人類の「真の父母」となるべきであった。その使命が成就した場合、やがて全人類がイエスと同じく神の愛を体現するようになるのであり、だからこそ「天の父(神)が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい」(マタイ5:48)というイエスの言葉が具体的な意味を持つのである。
(4)人間は「木の実」を食べて堕落したか> 従来のキリスト教では、人間始祖アダム・エバが堕落して子々孫々に遺伝する「原罪」を発生せしめた具体的原因が不明瞭で、漠然と「木の実を食べたから」等と信じているが、現実であるとは考えにくい。従来から、アダム・エバの堕落には天使の性的誘惑があったことが暗に示されてきたが、統一原理では聖書の多くの箇所で用いられる比喩的表現が意味する事実関係を解明し、霊的存在である天使とアダム・エバをめぐる「堕落の動機と経路」を具体的に明らかにした。
(5)再臨主は雲に乗ってくるか> 従来のキリスト教では「再臨のキリストは雲に乗ってくる」と固く信じているが、物理法則に反するように思われる。統一原理では、イエス自身も「天の雲に乗ってくる」(ダニエル書7:13)という旧約聖書の預言に反してマリヤの母胎から生まれたように、「雲に乗ってくる」という聖書の表現はあくまでも比喩的なものであり、再臨主もまたイエスと同様に地上で母胎を通して誕生すると説く。
(6)洗礼ヨハネの使命とイエスが十字架についた原因> 洗礼ヨハネ(バプテスマ・ヨハネ)はイエスに洗礼を与えた偉大な聖者で、多くの聖画でもイエスと並んで描かれている。聖書はヨハネについて「神からつかわされていた」(ヨハネ1:6)としており、「光(キリスト)についてあかしをし、彼によって全ての人が信じるためである」(ヨハネ1:7)と記している。すなわち、ヨハネは旧約聖書最後の預言書でマラキが預言している「預言者エリヤ」(マラキ書4:5)の使命を持ち、新約聖書においても「エリヤの霊と力とをもって(中略)民を主に備える」(ルカ1:17)とされる最重要人物であった。イエス自身もヨハネについて「きたるべきエリヤなのである」(マタイ11:14)と語っていた。しかし、実際はヨハネはエリヤであることを自ら否認し(ヨハネ1:21)、イエスの弟子として従わずに使命を放棄した。そのため、イエスは神が準備したヨハネという決定的に重大な「証人」を失うことにより、「自称メシヤ」「偽キリスト」という非難を受ける結果を招き、十字架の道に向かわざるを得なかったのである。ヨハネは使命を果たさないまま投獄され、獄中からイエスに使者を送って「来るべき方(キリスト)はあなたですか?」と尋ねたが(ルカ7:19)、ついに彼はイエスの真意を悟ることが出来ず、ヘロデ王の妻ヘロデアと娘サロメの意向で首をはねられる運命となった(マルコ6:24-28)。統一原理ではイエスが十字架に至った原因について洗礼ヨハネの行動を含めて細かく分析しているが、従来のキリスト教では、洗礼ヨハネが使命を果たさなかった点について曖昧であり、それがゆえにイエスの十字架の原因分析も不十分である。そして、イエスの十字架の原因に関する歴史分析が進まない最大の理由は、かたくなに信じられている「十字架必然論」に基づくものと思われる。
(7)
聖母マリヤと原罪の問題> 原罪のないイエスを産んだ母マリヤも無原罪であるという考えがあるが、イエスを産んだゆえにマリヤが無原罪だと言うならば、マリヤを産んだその母もまた無原罪と言わねばならず、どこまでも際限がなくなるという矛盾が生じる。統一原理は、何ゆえに原罪のある人間のうちから無原罪のイエスが生まれるのかという「胎中聖別」のメカニズムを解明している。聖母マリヤは胎中が聖別される信仰的条件を全うしたからこそ聖母なのである。統一教会の合同祝福結婚式による原罪清算も基本的には胎中聖別のメカニズムによるものである。
■思想的に注目されるべき点
創造論と進化論> 人間は本来は神の子であり、神によって創造されたとする点では、「人はサルから進化した」とする、いわゆる「進化論」と対立する。また、人間が神の子であると同時に宇宙万物の主人(万物の霊長)であるという考えも進化論と対立するが、最近では宇宙や地球が人間を誕生させるために存在すると仮定することで宇宙の諸相を合理的・統一的に解釈しうると考える「人間原理」という考えが注目され、更には宇宙が知的存在によって創造されたとする「インテリジェント・デザイン理論(ID理論)」の研究がなされている(例えば渡辺久義・京大名誉教授らの「創造デザイン学会」等)。このような考えは統一原理にも通じるものである。
神の心情を知る> 統一原理では、人間始祖アダム・エバの堕落により神と人の本来の親子関係に断絶が生じたことから全ての悲劇が生まれたとされ、それが神の悲痛な心情でもあると説く。日本の神学者北森嘉蔵氏は「神の痛みの神学」を説いて注目されたが、「神自身(=イエス)が十字架につく」という矛盾点に終始していた。統一原理では、アダムの堕落、ユダヤ民族の迫害の歴史、イエスの十字架、キリスト教の迫害の歴史等の全ての人類歴史を見つめる神の奥深い心情の痛みを知る真理であり、その心情を解放して本来の神の理想を実現するためにメシヤが降臨すると説く。
歴史解釈> 統一原理は人類歴史の解釈にも大きな影響を与える。すなわち、これまでの歴史は何の目的もなく動いてきたものではなく、「堕落した人間世界に神の子(メシヤ)を誕生させて本来の真実の世界を取り戻す」という明確な神自身の意思に貫かれていると解される。それゆえに歴史の法則性や繰り返しの現象(摂理的同時性)等を検証することが可能なのである。
本然の人間の姿> 現在の人間は「堕落」によって本来(本然)の状態ではなくなっていると説く統一原理の観点からすれば、本来の人間の機能や性質についての考察が重要になると思われる。統一原理では、もしも人間始祖アダムが堕落しなかったならば「科学はそのとき、ごく短期間の内に驚くほど向上したはずであった。従って、今日のような科学社会は、既に人間始祖当時において成就されるはずであったのである」(原理講論3章2節の三)と説かれる。例えば人間の脳機能は神秘的であり、数%しか使用されていないとも言われているが、21世紀は本来の人間の姿について探究されるべき時代でもあると言える。
霊界の研究> 統一原理は霊界(無形実体世界)と地上界(有形実体世界)の関係や、人間の霊人体と肉身の関係などを説き、死後に行くべき世界と霊人体の成長レベルの関係、更には天使の使命や人間との関係なども説かれている。人間が本然の姿に近づく時代を迎えるにつれ、人間の霊的五感の発達や霊界の構造などの研究が急速に進められるものと思われる。
探究されるべき時代でもあると言える。
死海文書、聖書解釈の再構築> イエスと洗礼ヨハネの関係等をめぐって死海文書などについても統一原理の観点から再検討されるべきである。また小説「ダ・ヴィンチ・コード」で指摘されるような課題、すなわちイエスは本当は結婚するべき立場にあり、血統を残すべき使命を持っていたのではないか、聖書の重要な記述に関して権力が秘密にしてしまった事実がなかったか等の問題提起についても、既成観念にとらわれない立場から再検討されるべきである。
諸宗教の調和と統一> 統一原理が示す真理は、イエスを信じるキリスト教のみならず、旧約聖書の奥義に通じるユダヤ教、アブラハムの血統を受け継ぐイスラム教、更には弥勒仏を待ち望みながら自己の我執を離れる修行をしてきた仏教等にも通じるものであり、実際多くのイスラム教とやユダヤ教徒、仏教徒などが統一原理の真理を受け入れており、合同結婚式にも参加している。世界の紛争の根本原因が宗教にあることを考えれば、世界の平和は宗教を調和的に統一しうる統一原理の普及によって始めて本格的に実現するのである。
■統一原理に対する有識者らの評価等
統一原理は多くの宗教者・学者らによって研究されており、例えば池田和義・大阪大名誉教授(物理学者)は「統一原理は、私がそれまで積み上げてきたものを、物の見事に体系的に跡づけてくれた」「統一原理という理論体系は、人類史上いかなる哲学思想も及ばない優れたもの」と評価し、高橋磐郎・筑波大名誉教授(数学者)は「これこそ21世紀以降の人類を救う根本思想となるに違いないと確信するに至りました」と述べ、両角宗晴・信州大名誉教授(精密工学者)は「歴史の背後で神様が実に見事に人類を導いてこられたことを目の当たりにさせられた思いがした。まさに動かしがたい事実の証明であった」と述べている。
日本において文師の思想と運動をよく理解していた代表的人物としては、松下正寿・元立教大総長(『文鮮明・人と思想』等の著者)、福田信之・元筑波大学長(『文鮮明師と金日成主席』等の著者)、助野健太郎・聖心女子大名誉教授、中村信一牧師らがおり、政財界・法曹界等の各方面にも驚くほど深いレベルの理解に達している人々が存在する。
また、統一原理は宗教と科学を統一する新しい真理であり、単なる論理や歴史解釈ではない。宗教が求めてきた神霊的・精神的な自覚の深まりと、科学が求めたロジカルで偏見のない真理探究の道を通して真実の神の心情に触れ、深い真理の認識に至るものである。

→ 文鮮明師の紹介・トップページに戻る