▼ 統一教会と岸信介元内閣総理大臣 〜久保木修己・統一教会名誉会長の話〜 | ||
久保木修己著 『愛天愛国愛人 ─母性国家、日本のゆくえ─』(世界日報社、1996年発行) 107〜112頁より 60年代の中ごろ、太田郁恵(旧姓福井)さんが山口県に開拓伝道に行った時、「踊る宗教」の教祖に会ったのです。この教祖は、20年以上も前から岸先生のことを「岸は必ず総理大臣になる」と予言していました。そうしたら本当になってしまいました。 そのころ、統一教会の本部は渋谷区南平台にあって、実は岸先生のお宅の隣でした。それで太田郁恵さんがその教祖の紹介もあって、岸先生宅に通うようになりました。(中略) 岸先生は、信念の政治家でした。国家と国民にとって必要であるという確信を持てば、それに向かってあらゆる勢力を結集し、果敢に押し進めていく。60年の日米安保改定作業がその顕著な例です。 岸先生にとって、大切なことは、政治家として何をなすかという明確な目標でした。政治家であることは、目標達成の手段に過ぎないのです。今日政治家の多くが政治家になること自体が目標となり、何をなすかという明確なビジョンを持ち合わせていないことは、寒心にたえないところです。(中略) 岸先生は、しばしば統一教会の本部や勝共連合の本部に足を運んでくださいました。隣同士のよしみということもあったのかもしれません。しかし、それはあくまできっかけに過ぎません。日本の現状を憂うる気持ちと日本の将来に対する夢において、先生と私たちには共有できる精神的連帯感がありました。 今思えば、先生は大変懐の広い政治家でした。私たちは当時、まだ信者が数千人の弱小団体でありましたし、教祖が韓国人ということも一般の日本人にとってマイナスのイメージとなっていました。(中略) しかし、岸先生はそういうことには一切関心がありませんでした。世間の評価とかマスコミの情報というものがいかに薄っぺらなものであるかを自分自身がよくよく体験してこられていたのです。先生は自分の心に感じた真実を評価の基準に置いてくれました。世間が見る統一教会ではなく、先生の心に直接映る統一教会を見てくれたことが、私たち青年にとって大変ありがたいことでした。 岸先生に懇意にしていただいたことが、勝共運動を飛躍させる大きなきっかけになったことは間違いありません。国内においても国外においてもそれは言えることです。 |
(参考)
「岸信介元首相が統一教会に来教、文鮮明師と会談」
「文鮮明師のアメリカ裁判に関する岸信介元首相の意見書」
「統一教会・統一運動に賛同する人々(日本人)」
「久保木修己・統一教会初代会長夫妻」