● 【国際ハイウェイ・日韓トンネル】
■国際ハイウェイ・日韓トンネル構想の提唱
シルクロードの例をあげるまでもなく、人や物資が通る交通ルートの形成と文化・学問・経済等の交流や平準化・向上等は一体不可分の関係にある。1981年11月、文鮮明師は109か国からノーベル賞学者10名を含む770名の学者が参加した第10回国際科学統一会議(ICUS)の席上、東京・ロンドン間と世界中を高速道路網で結ぶ「国際ハイウェイ構想」を提唱した。
■日韓トンネル研究会の事業展開
この構想に共鳴した西堀栄三郎博士らを中心として1982年4月、国際ハイウェイ建設事業団設立。1983年5月、日韓トンネル研究会設立(会長は佐々保雄・北大名誉教授、副会長は金山政英・元駐韓大使等、顧問は福田信之・元筑波大学長等)。
その後、具体的な調査・工事等が進む中、1990年7月10日には現場の調査に携わる専門家の立場から谷藤正三博士(元北海道開発庁事務次官、元日大教授)は日韓トンネルが日本と世界のために絶大な貢献をなすことを指摘した。1993年6月17日、設立10周年記念シンポジウムで、吉田信夫・福岡大工学部教授が「プロジェクトの波及効果の評価と課題」をテーマにスピーチし、建設費を6兆円と推計、21兆円の経済効果がもたらされると推定した他、高冠瑞・韓国釜山水産大教授等によるスピーチ、朱振中・河北省交通庁副長官、憑西六・同庁科長、康雄偉・同庁所長らとの間に活発な意見交換があった。
1996年8月1日、日韓トンネル構想を自民党が研究。2000年5月、映画「海峡」(高倉健主演)のモデルとなった持田豊博士(日韓トンネル研究会常任理事)が会長に就任。同年10月20日にはアジア欧州会議(ASEM)のワーキングランチの席上、金大中大統領が日韓トンネルの話題に触れ、「海底トンネルができれば、日本、アジア、欧州は鉄路で1つに結ばれる」と述べたのに対して森嘉朗首相が「技術的には可能だ。問題は資金だが、大きな関心を もっている。もしもこの鉄道ができればASEM鉄道と名付けたい」と述べると、シラク仏大統領が「ブラボー!」と拍手した(産経新聞2000.10.21)。2002年6月、持田会長の逝去に伴い高橋彦治博士(日韓トンネル研究会常任理事)が会長に就任。
2003年6月19日、同構想について自民党が「技術的に可能」と確認。2004年2月、内閣府よりNPO法人として認可。2006年6月30日、NPO法人・日韓トンネル研究会会長に野沢太三・元法務大臣(元国鉄施設局長・日韓トンネル研究会常任顧問・工学博士)が就任(歴代会長参照)。

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